OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 3_4

5月4日

4日目ともなるとさすがに疲労がたまっている。とはいえたった4日で弱音を吐いているようでは、通し打ちなどとてもおぼつかない。現にはるかにご年配の方が平気で通し打ちしているではないか。

今日もいい天気の中、7:30Y旅館を出発。宿のおばあさんが見送ってくれる。

室戸の町を抜けて程なく、川を渡ると山の方に入っていき、いきなりの登りとなる。なんとか上りきると26番金剛頂寺に到着するが、そこからもかなりの石段がある。まったく、たどり着いても油断が出来ない寺が多い。

26番金剛頂寺

人が殆どおらず静寂の中、般若心経を唱え納経を済ませる。鯖大師で新しく買った杖のカバーが早くも破れてしまったので、ここで新しいのを購入。いずれも鈴が付いているが、鳴らしながら歩くのはうるさいので取り外す。

9:15出発。登ったからには下りがあり、最御崎寺と同じくらいの標高なので、それと同じだけ下ることになる。緩やかな田舎道が次第に岩だらけの下り道となり、歩きにくいことこの上ない。

ようやく下り終えた所は黒耳という集落で、まわりにビワの木が多い。と思っていたら通りかかった人に「お接待に」といきなりビワをいただいた。後でいただいたこのビワはとても甘くて美味であった。町中の旧道を歩いていると、自転車に乗った子供が追い越しざまに挨拶してくれるし、気持ちよく歩を進める。

やがて道は吉良川の集落に入る。子供の日ということもあり、こいのぼりが上がっているが、このあたりのこいのぼりは一緒に子供の名前を書いた幟もいっしょに上がっていて独特である。後で聞いたところ、子供が1歳になると幟をあげ、7歳まで続けるのだとか。地方の風習はとても興味深い。

土佐の鯉のぼり

川を渡ると古びた町並みになるが、このあたりの建物は蔵の壁面に幾重にも瓦が葺かれていて、これまた独特の形である。壁が汚れたり水が溜まったりするのを防ぐための水切り瓦というらしい。わりと有名な町並みらしく、観光客がけっこう闊歩している。

吉良川の水切り瓦

旧道から国道に戻って延々と歩く。日差しが強く日焼けした腕が痛いのでタオルを巻いて歩く。雨の日も助かるが、こんな時は移動時は邪魔な大きな笠がとてもありがたい。

昼ごろに国道沿いにレストランを発見、迷わず入る。冷房の効いた中でカツ丼をほお張るのは至福のひと時で、この回でまともな昼飯にありつけたのは今回が初めてである。元気を取り戻し国道に戻る。

しばらく行くと地図のルートでは岬をショートカットする峠越えになっているが、遠回りでも海沿いに行く方を選ぶ。羽根という集落を越えた後、羽根岬という岬を過ぎるとはるかに今日の宿泊地である奈半利が見えてくる。例によって目的地が見えてしまうと、なかなか近づかず辛いものだ。海際で遊ぶ家族などを眺めながらひたすら歩く。

町の手前にお接待場があり、休憩させていただく。地元のご夫婦が好意でやっておられるところのようで、冷たいお茶や飴などをありがたくいただくことにする。

15:30ようやく奈半利の町に入り、本日の宿であるY旅館に到着。おばあさんとおじいさんだけで経営されている旅館で、町中の民家のようなところだが、水周りなど掃除が行き届いていてとても清潔な宿だ。

おばあさんもとても親切で、夕食も地味ながらたいへん美味であった。食事の支度はおばあさん一人で仕切っていたので、なんとなく同宿の人たちも片付けを手伝ったりし始め、そこから皆仲良くなり、しばらくおしゃべりに興じる。

予定では明日中に帰るつもりで、調子がよければ27番を打つつもりもあったが、脚の状態や天気を勘案した結果、朝から帰宅することにする。

本日の歩行距離は24キロ、歩数は35,000歩であった。

5月5日

今日は帰宅するのみ。明日いっぱい使って28番まで行くことも考えていたが、次回に改めて回ることにする。

奈半利からの時刻を調べた上で、他の人より遅れて出発。宿のおばさんが見送ってくれたが、雨の中そのまましばらく付いてきてくれる。話をしながらしばらく一緒に歩き、やがて見送ってくれた。本当にこちらの人は親切で心に染み入る。いつまでも元気でがんばってほしい。

奈半利駅からは土佐くろしお鉄道の列車で一路高知へ。高知駅は前回来たときとずいぶん違い、まっさらな高架駅に変わっている。エスカレータで下に下りるときれいな駅ではあるが辺りに施設が少ない。

高知始発の岡山行き特急「南風」で岡山、新幹線乗り継ぎ名古屋まで。岡山くらいからは旅情もなく、ただ移動しただけのようだった。