OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

置き去り

確か小学5年生の時だったと思う。家族で北陸へ日帰り旅行に行くことになり、両親と年子の兄の計4人で大阪から急行で武生に向かうことになった。

ホームに到着した急行の席についたのだが、ちょうど発車までの時刻に、珍しい列車が大阪に到着することを事前に知っていた。それは新潟発の寝台特急「つるぎ」で、どうしても見たかったので、急いで戻ってくると言って兄と到着ホームに向かった。

無事に特急の到着を見ることができてご満悦だったが、急行の発車時刻が迫っており慌てて戻ったのだが、人混みに阻まれて間に合わず、列車は目の前で発車してしまった。

あろうことか両親はそのまま行ってしまったらしく、ホームに人影はない。兄と二人呆然としてしまった。

なにせすぐ戻ると言って出ていったものだから、お金はおろか何も荷物は持っていない。家に帰ることもできないのだ。兄は絶望で半泣きになっていて頼りにならない(ふたりとも小学生なので無理もないが)

どうしたものかと思っていると、隣のホームに同じ方向へ行く新潟行きの特急が停車していて、まもなくの発車と言っている。直感でこの特急は急行を追い抜くと思い、とっさに乗車することにした。

兄は渋っていたが、このまま大阪にいてもどうしようもない。とにかく急行に追いつくのだと説得して特急に乗り込んだ。

座席に着くわけにもいかず、デッキのゴミ箱の上に腰掛けていると、新大阪、京都と進んでいく。

まもなく社内検札が来たので慌ててトイレに隠れ、やり過ごしたあとは少し慣れてきて、ゴミ箱の上からとはいえ、車窓を眺める余裕が出てきた。(よく考えたら無賃乗車だったのだが、時効としてご勘弁いただきたい)

忘れもしない湖西線安曇川駅で見覚えのある列車を追い抜いたのを見て、急行に追いついたことを確信し、ようやく落ち着いて、次の停車駅の敦賀で下車した。

しばらくして急行が到着、座席に行くと両親は焦った様子もなく駅弁

を食べていた。やってきた我々を見て父は、「おっ、来たか」と言い、「食べるか」と差し出した弁当にはほとんどおかずが残っていなかったことを鮮明に覚えている。

その後は無事に旅を続け、武生から越前岬などを回り、海鮮などを食べた思うが、そのあたりはよく覚えていない

その時は再開できた喜びで何も思わなかったが、後になってよく考えると、子供が帰ってこないまま発車してしまった急行にそのまま乗り続けていた両親は、なかなかの大物だと思う。結果的にはそのおかげで再会できたわけだが・・・。

後年、あの時もし戻ってきなかったらどうするつもりだったのかと聞いたことがあるが、「お前たちなら戻ってくるだろうと思っていた」としか言われなかった。