OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路_高野山

5月12日

四国を打ち終えた1週間後、朝から高野山に向かった。

当初、四国を打ち終えたあとそのまま高野山へ向かうつもりをしていた。徳島からフェリーで和歌山に渡り1泊し、翌日鉄道で向かう予定で和歌山に宿もとっていた。予定をたてていた時は調子にのって、九度山から町石道を20キロ歩いて行く行程まで考えていたのである。前述した通り四国は四国で完結と考え直してこの予定は廃止し、高野山は別に行くことにしたのだった。

大阪から地下鉄に乗り継いで大阪の南の玄関口である難波へ。高野山へ行くには南海電鉄で行くが、「高野山世界遺産切符」というのが便利なので窓口で購入。行きを特急で行ける券にして一緒に特急「こうや」の指定席もとる。この切符は難波から高野山までの往復と、高野山内のバスが乗り放題、さらに土産物屋や寺院の入場料の割引券もついたものだ。トータルでも割安になる。

朝食がわりに立ち食いそばを食べてからホームに入る。特急こうや極楽橋行きは8時に出発。JRとの接続駅である橋本までは変哲もない大都市近郊路線だが、橋本からは単線となり険しい高野山へと分け行っていくため、急勾配・急カーブの連続となる。カーブが急なため極楽橋まで行く列車は通常のものより全長が短い。一つ前の車両が見えるくらいきついカーブが連続する。以前に乗った箱根登山鉄道を思い出したが、南海の面白いのはこの列車が大都会のターミナルから出た列車がそのまま走っていることだ。

高野山行き特急こうや

80分で終点極楽橋に到着。この駅は高野山に登るケーブルカーとの接続駅なので周りに何もなく、特急の乗客は全員ケーブルカーのホームへと進む。南海も鉄道とケーブルカーはひとまとめにしていて、基本的に「高野山行き」となっている。

極楽橋は標高500mを越えていてこの段階でかなり寒い。何でも高野山全体が岩盤の上にあるので、標高以上に冷えるのだとか。ケーブルカーは接続良く出発。ぐんぐん標高を上げていき、約5分で高野山駅に到着。標高は867m。さらに寒い。

極楽橋からのケーブルカー

当初せめて高野山駅からは歩こうかとも考えていたが、調べてみるとここから町まではバス専用道路で歩くことも禁止になっていたので、高野山切符にもバス乗り放題があることだしバスのお世話になる。バスは暖房が効いていて暖かい。暖房にほっとするなど冬の感覚である。バスはくねくね曲がる道を走っていく。

高野山の町を抜けて奥の院口で下車。ここから奥の院までは約2キロで、幽玄な杉木立の中を歩いていく。沿道には織田信長豊臣秀吉を始めとする戦国武将など有名人の墓が並び、その数20万基とも40万基とも言われている。比較的新しいのでは大岡越前井伊直弼などもあるが、古いのでは多田満仲(源氏の祖先)などもあり、石碑もかなり古い。高野山には何度も来ているので早足で歩いていく。中の橋を過ぎるとやがて奥の院が見えてくるが、2キロを約15分で歩き通した。時速は8キロとなり、空荷は本当に楽だ。

奥の院

御廟橋の手前で持参したロウソクと線香を灯し、橋を渡る。ここからは聖域で写真撮影も禁止。奥の院納札を納め裏に回る。奥の院裏には弘法大師御廟があり、ここは弘法大師が御入定されたところで、真言宗最大の聖地だろう。ちなみに弘法大師は現在も生きていて禅定を続けているとされ、奥の院の仕侍僧が毎日食事を給仕しているそうだ。全国に様々な伝説を持っている弘法大師ならではの逸話だろう。

弘法大師がここまでお見送りしてくれるという御廟橋に戻り、納経書で納経していただく。納経すると御姿を一緒にいただくのだが、ここ高野山では有料で白黒200円カラー300円という。もちろんそんなものは要らないので断るが、やはり聖地といえども観光地なのだなと思う。それでも納経してくれたおばさんは気さくに話しかけてくれ、「何年かかりました?」との問いに5年というと「よく頑張ったねー、おめでとう」と労ってくれた。どうせビジネスライクに納経するのだろうと思っていたので嬉しかった。

杉木立の2キロを戻り高野山の町に入る。目的は達成したのでこれで帰ってもいいのだが、せっかく高野山にきたので新たな視点で散策することにする。といっても金剛峯寺と壇上伽藍くらいなので、バスには乗らずにのんびり歩いていく。金剛峯寺を含め建物には特に思い入れもなく、根本大塔だけは中に入ってみたが、仏像が大きいなという程度だった。ただ、高野山全体の雰囲気はとてもいい。時間の制限もないのでゆっくりと雰囲気を楽しんだ。

根本大堂

帰途は再びバスに乗って高野山駅へ。駅前の食堂で胡麻豆腐うどんというのを食べ、ケーブルで下って特急に乗り継ぐ。朝早かったこともあり、帰途は難波まで爆睡だった。