OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

夜行列車

「夜行列車」という言葉には、特別な響きがある。

今ではほとんど見なくなってしまったが、昔は百花繚乱、あらゆる行き先に夜行列車が設定されていた。

鉄道に興味を持った子供の頃は強烈に憧れたもので、乗ることができないのならせめて見たいと思い、大阪で電車に乗り遅れてしまったのは以前に書いた通り。

初めて夜行列車に乗ったのは、大分発新大阪行きの急行「くにさき」。夜行と言っても一夜明けた朝に、地元から大阪に行くのにちょっと乗っただけだが、それでも十分に夜行列車の雰囲気を味わうことができて興奮したものだ。

ちなみに、「くにさき」は夜行列車と言っても寝台ではなく、座席客車の14系という列車だった。熊本からの「阿蘇」を併結して、長大な編成だった。

初めて寝台列車に乗ったのは、青春18切符で北海道に行った時に、調子に乗って札幌から稚内まで行った急行「利尻」。B寝台は3段式で、高さはもとより幅が52センチしかなく、独房より酷い環境だったが、初めての寝台列車に感激したのは今でもよく覚えている。

この頃は全国に夜行列車が走っており、東京からは「さくら」「はやぶさ」など九州へ向かう列車が憧れの的だった。大阪からも「明星〔後の「なは」)」「彗星」などが数多く運行されていて、鉄道雑誌を食い入るように読んだりしたものだ。

当時は、今では絶滅してしまった急行の夜行も数多く走っており、普通列車に寝台車両を連結した夜行まであった(このころは「鈍行列車」と言っていた)。18切符の旅の時に、出雲市始発大阪行きの「山陰」という夜行に乗ったことがあるが、たいした乗車率でも無いのに、一人ずつひとつのボックス席をななめに占領しているので、席を探すのに苦労した。

夜行普通は、他にも北海道の「からまつ」、紀勢線の「南紀(後に「はやたま」)、九州の「ながさき」などがあった。これらを知っている人はかなりのマニアだと思う。

大学は九州に行っていたので、一度帰省の時にお金を貯めて夜行列車で帰ったことがある。長崎発の「あかつき」で、乗車駅の小倉駅は深夜1時くらいの出発だった。駅前のマクドナルドで時間をつぶしていると、まだ自分がいるのに閉店して店のシャッターが閉まってしまったのには驚いた(大声上げて出してもらったが)。

社会人になってからはいくつか乗ったが、印象的だったのは東京から大垣に向かう通称「大垣夜行」。当時は列車に名称もなく(後に「ムーンライトながら」)、列車は153系という急行型車両だったが、背もたれが垂直のボックス席で、今から考えればよくあれで眠れたなと思ったが、満員の車内でも眠ることができたのは若かったからだろう。

最後に乗ったのは、大阪から東京に走っていた夜行急行「銀河」。東京に早朝に着く便利な列車だったからか、ビジネスマンに人気でかなり長いこと運行していた。

会社の先輩と東京に遊びに行くことになり、この「銀河」の切符を買ってきてもらったのだが、妙に金額がはっていたのでよく見るとA寝台だった。なんでA寝台なんか買ったのか聞いたら、世間知らずのこの先輩は寝台にAやらBやらあること自体知らなかった。せっかくなのでA寝台を堪能したが、流石に寝台幅も広く快適だったのは言うまでもない。

あれから年月が経ち、次々と夜行列車は廃止となり、「富士」も「ゆうづる」も「日本海」も「あけぼの」も、20系も14系も24系もみんななくなってしまった。定期列車で残っているのは、東京発の「サンライズ出雲・瀬戸」のわずか1種のみ。なんとも寂しい状況になってしまった。

豪華列車の「ななつ星」や「瑞風」などが誕生したがあれは自分には邪道で、やはり蚕棚のような寝台にゴトゴト揺られるのがいいと思う(高すぎて乗れないというのもあるが)。

夜行列車というのは不思議なもので、ガタゴトと走っているときはよく眠れるが、駅に着いて静かになると目が覚める。誰もいない深夜の駅のホームや駅名標を見たりするのは非日常的な感覚だった。あの感覚を味わうことができないのは寂しいことだ。