OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 9_4

5月2日

4日目

目が覚めて時計を見るとまだ3時半だ。外からは結構な強さで雨の音が聞こえてくる。今日が雨なのは覚悟しているが、これくらい強いとさすがに気が滅入る。そんな夢うつつ状態で5時まで布団の中。起きて準備して、6時から朝食。

昨日遅くに着いたのか、もうひと組のご夫婦がおられた。ご夫婦ふた組はこのまま高野山へと向かうとのことでバスに乗り、残りの単独行3名は雨の中1番を目指すことになる。サラさんは我々と違う大坂峠ルートなのでこれでお別れ。昨日カードいただいたので、裏にアルファベットで名前とアドレスを書いた納札をお渡し、お互いに「グッドラック」「お気をつけて」と、昨日同様逆の国の言葉でお別れする。

入念に準備し、スパッツとポンチョを装着してフル装備で7時前に出発。まだ薄暗い中、国道を進んでいく。道は急に綺麗になったり古いままだったりを繰り返すが、時折工事現場がある。いずれすべて綺麗になるのだろうが、歩く身としてはあまり面白くない。雨も強くなったり弱くなったりし、時折強い風が吹いてポンチョがめくれ上がったりして鬱陶しいが、一旦雨の中に身を置いてしまうと思ったほど不快でもない。濡れたって死ぬわけではないし、山と違って夕方には宿に着いて風呂に入れるのだからそれまで辛抱すればいいことだ。ただ閉口するのは、靴の中に雨が染み込んでずぶ濡れになるのと、スパッツが覆うのは膝下からなのでポンチョがめくれ上がると膝がもろに濡れてしまうこと。

スパッツは今まで使っていたのが寿命となり買い換えたのだが、せっかくなので靴紐まで覆うことのできるヒサシの付いたものにした。確かに靴の中まで水が染みてくるのは遅くなったが、最終的に靴中がビショビショになるのは同じだった。一方膝が濡れる件だが、ポンチョの裾をスパッツに押し込んだりしてみたがうまくいかない。歩きながらどうにかならないか考えて一計を案じた。持ち歩いている細引きで縛るという案で、どこかの軒先をお借りして準備する。適当な長さに紐を切り、ポンチョの裾をひねってそこに紐をくくりつけ、紐のもう片方をスパッツから出ているゴムひもに括りつけるのである。長さを調整することでうまくいった。
隙間ができるのは仕方なく全く濡れないわけではないが、風で捲れ上がることもなく首尾は上々である。ただ、ポンチョを脱ぐときにいちいち紐を解かないといけなくなるが・・・。

そんな状態で歩き続け、県道2号への分岐を過ぎると「徳島県」の看板を通過する。とうとう発心の道場阿波へと戻ってきたわけだ。その先の広場にあった自転車置き場の屋根の下で立ったまま休憩。コースは南下して10番札所を目指す。道はまっすぐで先がよく見えるが、やがて先に出発した同宿のおじさんを捉えた。先行してしばらくすると、岩野トンネル手前にバス停と屋根付き休憩所があり、ここでようやくザックを下ろして休憩する。

阿波の国に戻る

おじさんが追いついてきてお互い雨についてボヤいたりする。今は雨が小康状態なのでゆっくり歩いているらしいが、それでもこのままのペースで行けば宿に早く着きすぎてしまうという。今日の行程は今回でも長い方なのだが、雨なので早足になるのと立ち寄るところがないので、考えていたよりハイペースで進んでしまっている。今晩もこのおじさんと同宿なのだが、電話して聞いてみたところ13時以降なら入れるとのこと。それくらいならと安心するが、早く着きすぎて困るというのも考えてみたら変な話だ。

一息いれておじさんより一足先に出発。雨が再び強くなってきた。「犬墓(いぬのはか)」という変わった地名をすぎ、道は県道から逸れて細い道に入る。集落の中を抜けていくが、雨は強さを保ったままだし景色は面白くないし、まさに苦行である。それでも歩を進めて高速道路の下をくぐると左折して東進する。

やはり景色は変わらないし、雨に加えて風まで強くなってくるし、靴の中の気持ち悪さは限界だし、悶々としながら歩いていると、思わぬところに建物があり、中に椅子などがある。よく見ると猿田彦大神と幟が上がっているので、ここで休憩させていただくことにする。猿田彦大神の像に一礼しベンチに腰掛ける。靴下とインソールを用意していた予備のものに換えると生き返ったような気分だ。どうせ早く着いてもしかたないのでここで時間をかけて休憩することにする。

休憩して息を吹き返す

やがておじさんが追いついてきて、私が休んでいるのを見て「いいとこがあるなぁ」と言いながら建物に入ってきた。次に9番法輪寺まで行って休憩しようと思うと言うと、おじさんはそれだったらここでゆっくり休んで行くという。しばらく雨の景色を眺めながら休憩。建物の中からだと雨の景色も情緒があっていいが、これからこの中に出ていかなければならないとなると話は別だ。勇気を出して再び雨の中を出発。

歩きながら考えるが、確かにおじさんの言うとおりで、もともと1番のお礼参りまで途中の札所には寄らないつもりだったが、9番は平地にある札所で確か屋根付きの休憩所もあったので寄ろうと思っていただけで、思いがけず良いところで休憩できたし、このペースなら宿には14時くらいになると踏んだので、このまま進んで行くことにした。

道はやがて10番切幡寺への登り口の交差点に着く。この景色には見覚えがあり、少し上に5年前に入ったうどん屋もある。懐かしく思いながら通過して先を急ぐ。雨はますます強くなり、せっかく換えた靴下も既にずぶ濡れだ。懐かしい景色も眺めている余裕もなくうつむき加減で歩く。時々屋根やヒサシを見つけて雨宿りするのが関の山だ。

懐かしいうどん屋

切幡寺からは順路と逆に歩くので、道しるべの矢印が反対を向いているのが新鮮だ。逆打ちというのはこんな感じなのだろうなと思って歩いていると、ぼちぼち歩き遍路とすれ違う。すれ違う時つい杖の先を見てしまうが、皆新しいので遍路を始めたところなのだろうか。

法輪寺への分岐は直進し、分岐点にあるお遍路休憩所でこれまた立ったまま一息入れる。ひたすらまっすぐな道を進み、8番熊谷寺のこれまた見覚えのある山門を眺めながら通過。結局景色も雨足も変わらぬまま、今日の宿である7番十楽寺に到着。13:50でだいたい予想通りだった。

十楽寺の宿坊は遍路をはじめて最初に泊まった宿で大変懐かしい。山門をくぐり宿坊に入る前に休憩所で雨具を解き、受付へ。相変わらずビジネスホテル顔負けの宿だが、受付の方は優しく、雨の中頑張って歩いてきたことを労ってくれる。受付をしてカードキーを受け取ってエレベーターで部屋にあがる。

前知識なしで入ると100%宿坊とは思えないツインのベッドがある部屋に入ると、早速靴下を脱ぐ。ずぶ濡れの靴下を脱ぐだけですでに極楽の気分である。雨具等は干し、靴には貰った新聞紙を丸めて詰め込み、同じ階にあるコインランドリーで洗濯。16時30分から風呂に入れるとのことで、前回入らなかった大風呂に入ると広々とした湯船にはジェットのスイッチまであった。

ビジネスホテル顔負けの宿坊

食事は17時30分から。向かいには例のおじさんがいて、我々以外は団体だったのでおじさんと話し込む。いずれにしてもこんな雨のなかよく頑張ったが、テレビを見ると東海や関東では大雨となっているので、まだこの程度の雨でよかったと思う。

本日の歩行は37、000歩、27キロ。

四国遍路 9_3

5月1日

3日目

今回はゆっくり寝ることができ、目が覚めると4時半。5時半ころまで布団の中でまどろみ、準備して6時半に朝食。楽しく話しながら美味しいご飯をいただく。出発の時にお接待として昼のお弁当とみかん、お茶をいただいた。いつもながら遍路宿の暖かい心遣いに感謝する。とにかくいい宿だった。

7時を過ぎて出発。今日は予報では1日曇りと言っていたが、今は晴れていて日がさしている。結願の日なので天気がいいのは嬉しい。

こと電志度駅の前を通って県道に出るが、今日は平日なので登校の子供や学生と次々すれ違う。すぐに右折して県道を延々と南下していく。晴れていて自分の影が出ているのが嬉しい。雨を経験すればこそ晴れのありがたさが分かる。讃岐に入るまでずっといい天気だったのでこういう感覚を忘れてしまっていたのかもしれない。しかし暑くて汗はかくし体力は消耗するし、晴れていたらいたで晴れのしんどさもあると思う。

こと電志度駅

途中先行した同宿のご夫婦に声をかけながら追い抜く。長尾橋を過ぎたあたりで年配女性二人連れの遍路とすれ違う。すれ違いざまに「今日で打ち止め?」と聞かれ、そうですというと「おめでとう」と言われる。最後が近づいていることが実感される。

8:45に87番長尾寺到着。ここも平地の札所で、山門を抜けると境内はあまり建物がないので小さいわりに広々としている。納経してしばらく休んでいると例のご夫婦が追いついて来る。ここも人が少なくゆっくりできるので、結願を前に十分に休憩をとる。9時を過ぎて出発。しばらく歩きにくい町中の道を南下する。町を抜けると道をそれ、里山に入っていく。一心庵を過ぎると大岩に直接像が彫り込んである高地蔵がある。

大岩に刻まれた仏像



県道に合流すると次第に高度を上げていき、しばらく歩くと前山ダムのサイトを過ぎ、その先に「前山地区活性化センター」というのがある。ここには「おへんろ交流サロン」というのがあり、資料展示館などがあるという。

早速入ろうとすると、ちょうど遍路姿の外人女性も同時に入ることになった。中に入ると大きな四国の立体地図があり、眺めているとその向こうからおじさんに手招きされる。椅子に座るとお茶を出していただき、歩き遍路だというとここで歩き遍路だけに「遍路大使任命書」なるものを作ってくださるとのこと。横には先ほどの外人女性も座りカタコトで話していたが、前のおじさんが結構流暢に英語で話しかけている。このおじさん自身トルコからポルトガルまで歩いているらしく、言葉が流暢なのも頷ける。女性はオーストラリアからきたサラ・イーグルさんという名前。私の倍以上もある大きなザックを背負っている。

おじさんは我々にこれからの道順を丁寧に教えてくれる。ここから88番までは2通りの道があり、大回りになる旧遍路道と、近いが急峻な女体山越えのルートである。当初当然のように女体山越えにしようと思ったが、調べてみるとこちらは国土交通省が設定した「四国の道」で、やはり旧道にこだわりたいと思い遠回りとなる旧遍路道を通ることにした。サラさんはこんな荷物を持って女体山を越えるそうだが、こちらは鎖場もある難所である。

せっかくなので、隣にある資料展示場をのぞきに行ってみる。江戸時代の納経帳や納札などいろいろと展示していて大変興味深い。サラさんもやってきて、先ほどのおじさんが英語で説明している。さすがに「奥の院」とか「納札」で英語がわからず戸惑っているが。十分に堪能してから出発する。

江戸時代の納め札

出発する前に館長自ら筆で名前を記入してくれた「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」をいただく。遍路は自分自身のことなので誰かに証明してもらうこともないと考えているが、こういうのは単純に嬉しい。出発する時に、同様に英語で名前を書かれた任命書を受け取ったサラさんに「グッドラック」と言うと、向こうも「お気をつけて」とお互い逆の国の言葉で挨拶して分かれる。彼女とは今夜は同じ宿なので、後ほど会えることになる。

遍路道は少し戻ってから左折するが、なんの変哲もないアスファルト道で、しかも結構急な坂である。地図では歩き道のようになっているし峠の写真では遍路道になっていたのだが、どうもすべて舗装されてしまったらしく、とうとう最後までただの車道だった。途中には残土処分場までありダンプカーが登ってくる始末。こんな道だとわかっていたら女体山越えにするべきだった。

いつまでも上り一辺倒で、さすがに疲れてきた頃に休憩所があったので、ここで宿で貰ったお弁当を開くことにする。おにぎりに漬物、ゆで卵まで入っていて美味。包み紙の中には紙片があり、「またお会いできますよう」と書いてあってホロリとくる。

心に染みるお弁当

このあたりから空が急に曇ってきて霧雨が降ってきた。菅笠にカバーをかけて出発。ほどなく最高地点の相草東峠を越える。峠を越えると県道に合流し道は下っていく。さらに多和小学校のところで国道と合流し、しばらくするとまた上りになる。地図では道がくねくねしているがまっすぐの良い道になっているので工事したのだろう。どちらにしても歩いていてあまり楽しい道ではない。三十丁のところにまた休憩所があったので最後の休憩にする。このあたりからまた天気が良くなってきた。道と同様ムラがある天気だ。

再び歩き出し、しばらく行った竹屋敷から旧道に入る。交流サロンで貰った地図によると旧来の遍路道があるらしいがよくわからない。よくよく注意して左右を見ていると少し離れたところに丁石がある。草をかき分けて行ってみるとそれらしい道があった。これぞ遍路道と思って歩くが、いくつか丁石を越えたところで道がわからなくなってしまった。わずか数十メートルだったが、それでもいにしえの遍路道を堪能できたことに満足する。

いにしえの遍路道

元の道に戻るが次第に坂になり高度を上げていく。やがて88番まで1キロを切った案内を見つけ気分が高まる。坂はだんだんきつくなり地面を見ながら息を切らして歩いていき、ふと顔を上げると山門が見えていた。

山門が見えた!

14:00に88番大窪寺に到着。とうとう着いた!

山門をくぐって境内に入り、いつもの手順で本堂、大師堂で参拝、般若心経や真言を唱え納経所に。88番のところに納経していただき完了。これで結願(けちがん)となる。
感無量のはずだが今ひとつ実感はわかない。ベンチに座って目の前にそびえる女体山を眺めながらぼーっとする。感慨にふけるというより呆然としていたと言ったほうがいいかもしれない。もう新しくまわる札所はないのだという寂しさもあった。しばらくそうしていると誰かに、歩きですかと話しかけられた。そうですと答えると、結願ですね、おめでとうございます、と言われ、ここで初めて実感が湧いてきた。

呆然と見上げた女体山

もうしばらくこの気分を堪能したかったが、いつの間にか再び雲が厚くなってきたので出ることにする。まだ14:30なので門前にあるどこかの店に入ろうかと思ったがどこも観光客が結構いたので入らず、今日の宿は目前にあるので早々に入れてもらうことにした。こんな時間だというのに風呂にはすぐ入れるとのこと。洗濯もお接待で無料だし、部屋には洗面所とトイレが専用でついている。壁には専用の杖立ても備わっていて、歩き遍路にとって完璧な宿である。

杖たてまで備わった完璧な宿

早速風呂に入る。湯が熱すぎたので少しうめて入る。風呂はいつでも最高だが、結願後の風呂はまた格別であった。時間が早すぎるので部屋で散々ごろごろしたあと夕食。食堂には例のサラさんやご夫婦がいる。結願のお祝いにと食事には赤飯がついてきて嬉しい。ビールを頼むとサラさんは「OSAKE」を注文。「コングラッチュレーション」などと言いながら乾杯する。

お互いによく言葉がわからないが酒が入ってくると舌もなめらかになり、カタコトでも意思は通じるようになる。彼女はまだ学生で、通し打ちをやってきたらしい。女体山はどうだったかと聞くと、手のひらを垂直にしてかなりきつかったと説明。遍路自体は英語で書かれたガイドブックを頼りに回ったみたいだが、見せてもらうとちゃんと宿等も明記されていてわかりやすい地図だ。私も以前オーストラリアに行った話などして盛り上がる。

最後にカードをくれたので見てみる。名前は「Sarah McFarlane-Eagle」とある。明日はどうするのかと言うと、大坂越えで引田まで行って一泊、その翌日に一番にお礼参りとのことで、お礼参りは同じだが私とは行程が違う。その後高野山に行き、京都を回ったあと成田から帰国するということで、来週には学校に戻らなければならないと少し寂しそうだ。私もNext weekにはWorkだと言ってお互い笑った。

他の人も当然ながら高野山に行くようで、例のご夫婦は、明日は天気が悪いのでお礼参りはせず、直接高野山に行くそうだ。私も当初和歌山に宿をとっていてそこから高野山に行くつもりだったが、四国は四国で完結すべきだと考え直し、宿はキャンセルして高野山は後日行くことにした。関西にいるのでいつでも行けるし、観光地と化している高野山はGWには人だらけだろうと思ったのもある。楽しいひと時を終えて部屋に戻る。

今日の歩行は35、000歩、23キロ。
結願の喜びと夕食時の楽しいひと時を思いながら眠りにつく。

四国遍路 9_2

4月30日

2日目

ここはいい宿だが遍路宿ではないからか、夜遅くまでどこかの部屋で騒いでいて、どたんばたんやっていてなかなか寝付けない。おまけに前の道に暴走族まで来る始末。結局何時に寝付けたかわからないが、とにかく5時30分起床。若干朦朧としながら昨日買ったサンドイッチで朝食とし、6時30分チェックアウト。こんな時間にも朝風呂に入りに来た人が結構いる。

今日は予報では雨になっている。つい先日の予報ではGWは前半晴れるとか言っていたがまたしても大外れ。直近でも曇になっていたが、昨日見ると雨続き。悪いなら最初から悪いと言って欲しい。まあ今のところまだ降っていないので、笠とザックにカバーをかぶせて出発。

鬼無からの道と同様、斜めに進んでいくので今日も曲がり角だらけ。昨日から今日にかけての行程を地図で見ると一宮寺はVの字の先端にいるような感じである。道はどこを通っても行けそうで、遍路道保存協会の地図ではまっすぐ北上するようになっているが、高松の街中は通りたくないので、別の遍路地図に従って斜めに行く。道しるべもこちらのコースを指している。

遠くに台形をした特徴ある屋島の山並みが見える。まずはそこを目指して歩くが、とにかく道しるべを見落とさないように歩く。松山などと同じような大都市近郊の街中の道はあまり楽しくないので、雨が降り出すまでにと休憩もせずひたすら歩く。頑張って歩くと次第に屋島の山容が大きくなり、欄干に那須与一の像が作られている橋を渡り、2時間半くらいで麓付近に到着。遍照院という小さな寺があったのでそこで腰を下ろす。ここまで距離にして12キロくらいだからまあまあ頑張った方だ。

那須与一の像と特徴的な屋島

小休止してから出発。まだ街中だがここからかなりな上りとなる。標識には「のぼり21%」とあり、車道でこんな急な道にはお目にかかったことがない。車道が終わってからもコンクリートの上りが延々と続く。同じ上りでも土の道ならともかく、コンクリートでは疲れるだけだ。しかも上り一辺倒で1mたりともフラットなところがないので息もつけない。

21%の上り

ただ、この道はやたら地元と思しき人たちが行き交っているので、これまたトレッキングコースなのかもしれない。とにかく頑張って休憩もせずに上って行く。途中食わずの梨というのがあって、大師が農夫に梨の実を所望したところ「これは食べられない梨だ」と断られると本当に固くて食べられない梨になってしまったというところの遺構だとか。相変わらず弘法大師の対応は極端な気がする。

眼下に景色が広がり出した頃、ようやく84番屋島寺に到着。時刻は9:45。到着とほぼ同時に雨が降ってきた。がんばった甲斐があったと思いながら山門をくぐり、屋根のあるベンチに荷物を置いて参拝・納経。ベンチで休んでいると、忘れた杖を取りに来たという年配の女性と、後から来た年配の男性の遍路がやって来た。屋根の付いているところが少ないのでこうなるが、それとなく話し出す。屋島寺からの下りは強烈で、時々足を滑らせて怪我をする人がいると知っていたが、特に今日のような雨の日か危険がとかで、寺の人に聞いても今日は正規のコースは危険だとか。確かに足を滑らせて痛めたりしたら目も当てられないので、若干遠回りになるが来た道を引き返すことにする。

女性はもう4回目とのこと。カナダ在住で年に2回くらい遍路に来るとか。男性は私同様区切り打ちで、もう7年目になるがなかなか終わらないらしい。しばらく話したあと2人が出ていくのを見送ってから、雨具のポンチョを羽織りゆっくり下ることにする。雨は降っているが木立のおかげで意外と濡れない。多少緩やかとはいえ急坂には違いないので注意深く下っていく。下っていってもしんどい道なので上りはなおさらだろう。車道に入るとさらに道がきつくなり膝がきつい。ようやく先ほどの遍照院まで下ってくる。もう少し下った池のところで道が左へ分岐し、屋島の南縁に沿って東進する。

山を下ると雨が小降りになったのでポンチョを脱いで手に持ち、左手に屋島を眺めながら進んでいく。やがて川に沿って進み、その川を渡ったところでシルバーの上着を来たおじさんに招かれる。この先に休憩所があると言う。そこには先ほどの女性と男性がいたので、椅子に座ってシルバーの方も交えて話をする。お茶やお茶菓子を出してくれたのでつい長話となってしまう。

随分ゆっくりした後出発。二人とも坂道は弱いとのことで、すぐに私一人が先行することになった。
行く手には今度は五剣山の険しい山容があり、そこに向かう。五つの峰があるのでこの名前がついた山の中腹に次の札所がある。山にはケーブルカーもあるので急坂であるとは覚悟していたが、果たしてケーブル乗り場の横から上がっていく道は屋島寺に劣らぬ急坂で、やはりこちらもコンクリート。そして同じくフラットなところなし。うんざりしながら上っていく。

コンクリートの急坂はうんざり

どうも讃岐に入ってから天候には恵まれないし、坂はコンクリートばかりだし、そんな山道以外は面白くもない町中の道だし、道行く人はあまり挨拶してくれないし、と讃岐はあまり楽しくない。私だけの個人的な感想ではあるが、他にも同様の意見が散見されることがあるので、外れているとも思えない。坂道を息を切らして上っているとそんな風にネガティブに考えてしまうが、しんどいのが終わると考えすぎだと反省したりする。

五剣山の山容

坂道は急だが標高はあまりないのでほどなく85番八栗寺に到着。時刻は12:30。
参拝・納経してゆっくり休んでいると、先ほどの2人が続けて上ってきた。二人ともケーブルにしようかと迷っていたが、結局歩いてきたらしい。十分に休んで出発。
駐車場側から出るが、下り道も果たして車道。アスファルト・急坂という最悪のパターンは終わらない。しかも道は長く下り勾配も21%の急勾配。この辺りはこんな道ばかりで意気が上がらないことおびただしい。

下りも21%

ようやく麓に下りると志度湾が望める。しばらく琴平高松電鉄とJR高徳線に沿って進み、やがて旧道に別れ志度の町に入っていく。こういう道は同じ瀬戸内ということもあってか、伊予辺りからよくある道で、雰囲気も似ている。また雨が降り出したが、もうすぐ着くし雨具を羽織るのも面倒なので、そのまま進む。このあたりは有名な平賀源内の出生地だそうで、旧家などがある。

やがて道の先に塔が見えてくると86番志度寺に到着。時刻は14:30。
今度は平地にありそのまま山門をくぐる。ここは屋根のあるベンチがなく、参拝と納経を済ませたあとは建物のヒサシの下で立ったまま休憩するしかない。その時にまたもやバンダナを落としたことに気づいた。前回落としてしまったのでわざわざ好日山荘で買ったものなのに、たった2回の命だった。とにかく腰にぶら下げて乾かしながら歩くのはご法度だということがわかったが、もう遅い。それにしても遍路に来るたびに何か落として行くのでもう慣れた。

納経所では団体でもないのに一人で十数冊も納経帳を持ち込んでいる人がいてなかなか順番が回ってこない。誰かに頼まれたのかもしれないが、他人に頼んで納経してもらう人ってどうなのだろうか。それも当然ながら車遍路。それならまだ団体できて添乗員に任せている人の方が、本人が現地に来るだけマシだというものだ。

ようやく納経を済ませ、雨も続いているので札所を後にする。今日の宿は近くだが、行く道の途中にあったので500m程引き返す。15時を過ぎて本日の宿であるS荘に到着。最初はもっと札所の近くにあるI旅館に電話したのだが、同じ系列のS荘の方が安いし料理は同じだと向こうから勧められたのでこちらにした。確かに建物は古いがそれも味があり、風呂や食事も素晴らしく、お勧めに従ってよかったと思う。

先ほどの男性も同じ宿で、他にひと組の老夫婦。やはり歩き遍路同士の談義は盛り上がり、散々お話をしてから部屋に戻る。今日は静かなのでゆっくり寝られるだろう。ともかく残す札所はあと2箇所。いよいよ大詰めだ。

宿で荷物を広げる

本日の歩行は44、000歩、30キロ。

四国遍路 9_1

某年4月29日

1日目

とうとう今回で最後の遍路旅となる。
例年のようにGWが近づくにつれて計画を立て、宿や交通の予約をとったりする。今年は中間の平日に休みを取って日程に余裕があるため、日曜日から出発することとし、土曜日は準備や体調調整をすることにした。このおかげかどうかは別として旅中の体調はすこぶる良かったが、反面土曜日は晴天だったので、晴れの日を一つ逃したなという気持ちもあった。

日曜日は5時前起き。準備して6時前の電車に乗り新大阪へ。岡山から瀬戸大橋線に乗るのは前回同様だが、今回は讃岐なので快速マリンライナーになる。これは混雑が予想されるので先頭車にある指定席をとっていたが、200円の指定料金で快適に移動できる。晴天の中瀬戸大橋を渡り四国へ上陸。坂出で普通に乗り換え、8:50前回終了地点の国分駅に到着。

半年ぶりの見覚えのある風景の中で準備し、朝食替わりのおにぎりを食べて出発。既に2人の歩き遍路を見かけた。歩きだしてほどなく、前回打ち終えた80番国分寺に到着。一礼してから通過し、まもなく左折して目の前に立ちはだかる五色台へと向かう。

立ちはだかる五色台

初日は今ひとつ体が慣れてなく必要以上に疲れるので、最初から難所があるのは気が重い。田園の間を抜け墓の横から遍路道に入ると、しばらくは緩やかな傾斜が続く。道はこの先県道の合流点の一本松まで上っていくが、標高は400m弱。これくらいの高さはたいしたことないように思うのだが、今までの経験から油断はできない。果たして一本松まであと600mというところ辺りから強烈な階段の連続となる。このように最初油断させておいて急に辛くなるというところが讃岐には多いような気がする、とノートに書いてある。かなり辛かったのは事実で、つい悪態もついてしまうのだろう。それでも高度を上げると眼下には先ほど通過した国分周辺が望めて気持ちが良い。

悪態をつきながら上る

汗だくになりながら、ようやく一本松に合流。遍路道は県道を横切って続くが、この道を通ると次の82番へ行くときにかなり長い打ち戻しがある。できるだけ同じ道は歩きたくないので、県道を歩くことにする。この道は五色台にある自衛隊演習場の外縁に沿って進むので、延々と鉄条網つきの柵の横を歩く。当然途中にはいくつも立ち入り禁止の看板があるのだが、しばらく行くと堂々と敷地内に入っている人たちがいる。とても関係者とは思えない年配の人たちはどうもワラビか何か山菜採りをしているようだ。しかしどうやって入ったのだろうかと思って引き続き歩くと、遍路道は県道から逸れて柵に沿ったえらく細い道へと入っていく。

ほどなく柵がなくなり、どうもこの道も自衛隊の敷地内に入ったようだ。遍路道の道しるべもあるのでそのまま歩いていくが、沿道にはお地蔵さんや丁石などもある。これまで植物園や工事現場などいろいろな施設の中を通ってきたが、まさか自衛隊の敷地内まで歩くことになるとは思わなかった。さすがに歴史ある道だ。面白い道を歩くことができたので、あえて県道を通ることにしてよかった。上空を自衛隊のヘリが編隊を組んで飛んでいく。
やがてゲートの端を外側に出て県道に戻る。そこからすぐ遍路道に別れ少し下ると分岐点があるが、これから行く81番を打つと、またここまで戻ってくることになる。

自衛隊の敷地から外へ出る

林の中の道を下って行き摩尼輪塔を過ぎると、81番白峯寺に到着。時刻は10:50。
連休だけあって人はそれなりに多いが、団体がいないので助かる。ゆっくりと半年ぶりの参拝をし、納経していただく。納経するといつも御姿の紙を一緒にいただくのだが、さらに小さい紙片を受け取る。小さい色紙には梵字が書いてあるが、何か新しく始まったのだろうか。(後で集まったのを並べてみると「おんあぼきゃべいろしゃなう・・・」と光明真言になった。讃岐ならではのサービスらしいが、途中からしかもらっていない)

ベンチで休憩し、あんぱんなどをほおばる。敷地内には前回にも出てきた崇徳上皇の廟所があり若干興味があるが、基本的に遍路中はあまり観光しない方針なのでそのまま出立。

再び同じ道を登り返し、分岐点からはしばらく平坦で歩きやすい道が続く。大変気持ちの良い道だが、わりと人とすれ違う。皆軽装だし遍路姿でもないので、トレッキングコースにでもなっているのかもしれない。

しばらく歩いて十九丁で国分寺からの道に合流。結構な距離があったので、やはり県道にしておいて正解だった。
ここからかなり上りとなる。一本松まででもかなりな上りだったので五色台の上に出たと油断していたが、地図を見ると440mまで標高を上げることになっている。白峯寺が280mなのでなかなかの標高差である。五色台の上は平坦な台地状だと思い込んでいたので、当てが外れてもう一度汗だくになりようやく県道に出る。

しばらく歩いてみかん園の横から再び遍路道に入って下って行くと、82番根来寺に到着。時刻は12:45。
ここは山門をくぐってからも石段で下ったり上ったりするので油断できない。本堂は回廊を通って入っていくが、その横にはびっしりと小さい観音像が並べてあり見応えがある。やはり人は多いが団体はいない。歩き遍路もちらほらいるようだ。

最後のおにぎりを食べて出発。先ほどのみかん園まで戻り、車道を歩いていく。しばらく行くと八重桜が沢山咲いていて、その向こうに瀬戸内海の島々が見える。とても美しいコントラストに、足を止めてしばらく見入る。景色は少し霞んでいるのが少し残念だったが。

八重桜と瀬戸内海

道は次第に下っていく。五色台を降りて平地になるから当然だが、途中からこれまた強烈な下り坂の遍路道になる。最後の下りは延々と続く急勾配のコンクリート道で、膝にくることてきめん。脚をかばうため時間かけてでもジグを切って下りていく。途中で植木の畑を見かけるようになると鬼無の街に入る。鬼無はわが地元と同じく植木や盆栽が有名で、日本でも有数のところだそうだ。街中には植木屋があふれ、よくわからないながらも見ごたえのある松の盆栽が並べてある。

予讃線の線路を越えると町に入る。しばらく行くと綺麗な建物でお遍路さん休憩所とあったので、ちょうどいいところにあったと喜んで入ろうとするが、鍵がかかっている。がっかりして前のベンチで腰を下ろすことにする。すぐ近くの神社では祭りをやっているらしく、人が多い。

英語の道標

鬼無からは町を斜めに進んでいくので、道はあみだくじのように右に左に曲がっていく。分岐ばかりなので地図と道しるべが便りで油断できない。途中でコースは二手に別れ、距離が短い川沿いの道と昔ながらの遍路道がある。短い方がいいが、ずっと川沿いだと景色が変わらず面白くないだろうと思い、旧遍路道を歩くことにする。こちらも景色は代わり映えしないが、道しるべを探しながら道を辿っていくと割と退屈しないものだ。

これも遍路道

川を渡り高速道路をくぐり、延々と歩くこと数キロ、83番一宮寺に到着。16:30。納経は17時までなのでどうかと思ったが、82番を出る辺りから距離と時間でだいたいの当たりをつけていたのとピッタリだった。一宮寺はこぢんまりしていて私の好きな雰囲気の札所だ。いつもこれくらいの時間だと人はあまりいないのだが、今日は結構いる。

今日の宿はここからすぐ近くなのでゆっくり出発。明日の朝食がないので、手前のコンビニでサンドイッチ等を仕入れる。道を渡ると今日の宿「天然温泉K」に到着。ここはその名の通り日帰り温泉なのだが、宿泊施設もある。一宮寺周辺には他になかったのでここにしたが、結構いいところだった。温泉のフロントに行くと、「宿泊券」を自販機で購入せよと言う。確かに入浴券やタオル等と一緒に「宿泊券4、900円也」があって面白い。

宿は一旦温泉を出て駐車場を横切り、離れたところにあるマンションのような建物。当然宿泊に温泉がついているので入れるのだが、聞くと浴衣のまま駐車場を横切るのは全然問題ありません、皆さんそうしていますとのこと。以前の民宿喫茶で浴衣のまま車道を歩く羽目になったことを思い出した。

部屋は4階建ての4階。エレベーターもなく息を切らして階段を上る。何度も階段を上がりたくないので用事は1回ですまそうと思う。中はワンルームマンションみたいで電気コンロに机と椅子までついている。ユニットバスや独立したトイレにはウォシュレット、壁に折りたたみのベッドがあり寝心地もよさそう。

部屋からの景色。あそこまで浴衣で行く

早速浴衣に着替え、1階のコインランドリーに洗濯物を入れ、駐車場を横切って温泉へ。やはり温泉は気持ちが良い。ジェットバスや露天風呂を散々堪能し、併設している食堂で食事して部屋に戻る。

本日の歩行は43、000歩、25キロ。
やはり初日は体が慣れていないので疲れる。9時頃には布団に入った。

入るは易し、出るは難し

単に機種変更をしたかっただけなのに、ややこしいことになった。

 

セルラーと言われる時代から30年近くauを使っていたが、いつまで経っても料金が安くならないなと思っていたら、格安プランのPOVOが出たので変更することにして2年ほどたった。

同じKDDIでもauとは全く別の扱いで、あらゆるサービスが使えないが、ネットと通話ができればいいので、安さを享受して不便は感じなかった。

 

そうこうするうちに使っていたiphoneのバッテリーが弱くなってきて、新機種に変更しようとショップに行ったところ・・・

 

auの時代に残価設定で機種を買っていたためPOVOのままでは手続きできず、機種変更するためにはブランドを一旦auに戻す必要があるとのこと。auにするとまた高いプランに戻ってしまうので、そこから改めてPOVOにすればいいと考えるが、ややこしいことにPOVOは私の入っている1.0というプランは新規申し込みできなくなっていて、2.0になってしまう。この2.0のプランは大変面倒くさいシステムで、使いたくない。

 

機種変更は延期として店を出たが、どうも釈然としない。少し考えた結果、POVO1.0同様のシステムが使えるdocomoのahamoにすることにして、docomo shopへ行くことにした。

 

ショップの人は親切に対応してくれて、機種変更やデータ移行にえらく時間はかかったが、無事にキャリアもスマホも変更することができた。

 

で、今まで使っていた機種が残価とともに残ったので、返却するためにショップに行ったところ・・・

auで申し込んでいるので、auをやめたら返却はできないですと。どうすればいいかと聞いたが、そのまま最後まで払い続けるしかないと。

 

残価プランを申し込んだときにそんな説明はなかったと思うが、使いもしない機種にお金を払い続けることになるわけだ。幸いショップは家電量販店で、買い取りをしてくれるとのことで、面倒だったのでお願いすることにした。結局全額払わなくてもよくなったものの、けっこう足が出てしまった。

 

携帯に限らずだが、何事も申し込む時はウエルカムで様々な特典をPRしてくるが、やめる際にはあの手この手で引き止め、それでもやめる時はこのようなややこしい事態となってしまう。

 

商売というのは慈善事業ではないので無理もないと思うが。

祭り

全国には有名な祭りが数多くある。誰でも知っている京都祇園祭、青森ねぶた、福岡山笠など枚挙にいとまがない。
ただ、有名度や規模の大小を問わなければ、町の数だけ祭りがあるのではないだろうか。

私の地元は兵庫県の播磨地域だが、こちらの祭りは「ふとん太鼓」と呼ばれる大きな太鼓台(屋台と呼んでいる)を担いで練り歩くものが多い。特にわが町ではこの屋台を担いで神社の84段ある石段を登っていく勇壮なもので、その迫力はなかなかのものだ。

屋台は重さが1トン以上もあるので、担いで練り歩くのはかなり体力がいる。若い頃担いだものだが、人が大勢いるので自分一人くらい力を抜いてもいいだろうと思ったら大間違いで、とにかくずしりとかつぎ棒が肩に食い込み、2日担ぐと両肩を腫らしてしまったものだ。

コロナで中止になっていた祭りだったが、例年通り10月に開催され、今年も見に行った。

祭りは2日あり、初日が夜宮(よみや)、次の日が昼宮となり、開催時刻が多少違う。市内では各所の集落にある屋台だが、わが町では夜宮で6基、昼宮で7基が出動する。

祭りはまず町内を練り歩くのだが、コースや通過時刻が決まっていて、一旦休憩時間がある。その休憩時間に私の実家が一つの地区の接待場になっているので、一旦我が家めがけて屋台がやってくることになる。ヨイヤサという掛け声をあげるか、伊勢音頭と呼ばれるお囃子を歌いながら進む。
屋台が到着すると旧知の顔も多くあり、年に1回しか顔を合わせないので親交を深める。

刺繍のシャチや水引幕が美しい

実家はちょうど曲がり角のところにありよい絵面になるためか、一度テレビ局が家から撮らせてほしいと来たことがある。また、よほどの祭り好きなのか、家を売ってくれと言われたこともあるそうな。

休憩後は折り返して神社に向かって練り進んでいく。屋台は方向が決まっていて、宮へ行くほうが前になる。昔は酒が入って千鳥足になったりしていたが、今は統制が取れていてスムーズに進んでいく。ただ、中には豪勢な屋台にしたおかげで重すぎるのか、やたら落としてしまう屋台もある。

宮入は84段の石段を登っていくため、1基ずつ上げていく。このときだけ掛け声が違うが、昔と違って近年は結構スムーズに登っていく。

宮入り。石段の登り始めと登り終わりが特に難しい

境内に上がると活気づいて進んでいき、本殿の前で屋台を掲げる動作(「サイタ」という)を繰り返し行い、3つ目の屋台が上がってくると休憩に入る。

本殿まえでサイタ

すべての屋台が上がってくると、町内に向けて神輿が出発し、その後順次下っていくが、石段の下りも上り以上に迫力がある。
やがてそれぞれの町に帰って行って終了となる。

巨大なふとん太鼓で練り歩き、石段を登っていく勇壮な祭りは子供の頃から大好きで、全国に有名な祭りは数多くあれど、うちのが一番迫力があって面白いと今でも思っている(おそらく誰もが、わが町の祭りが一番、と思っているだろうが)。

 

四国遍路 8_5

11月7日

5日目

最終日となった。5時半起床、6時半朝食。ここのご飯は旨い。朝、ようやく同宿の人と顔を合わす。H旅館と同じだ。このおじさん、昨日は善通寺からこの先の国分寺まで行ってJRで戻ってきたそうで、行動は人それぞれだ。お支払いする時に歩き遍路にと、飴の詰め合わせをお接待にいただいた。

6:50出発。まずは坂出駅まで行くが、今日は平日なので通勤客でホームは一杯で、スーツ姿の人が多い中、ちょっとアウトロー的気分を味わう。7:14の電車で丸亀へ戻る。

東京からの夜行列車「サンライズ瀬戸

丸亀駅で簡単に準備して7:30出発。今日は80番までにし、その先の遍路ころがしは次回にしたので、スケジュールに余裕はある。丸亀の市街を抜け、交通量の激しい県道に出る。道は渋滞しており自転車の学生も多く、その横を通って歩くのはあまりよい気分ではない。遍路道の案内は少しでも脇道があるとそちらを案内するので多少気が楽だが。しばらくして宇多津駅付近からようやく細い道に入る。

8:20、78番郷照寺に到着。誰もいない中、静かに読経。大師堂の脇に万体観音堂というのがあり、地下に階段が続いているので降りてみる。本当に万を超えるであろう金色の観音像がずらりと奉られており、下には数々のお供え物がある。食べ物もあったのでわずかながら飴を置いてくる。

大師堂はちょっと高台にあり景色がよい。宇多津の町並みの向こうに瀬戸大橋がよく見える。納経を終えて一服と思ったが、この寺には全くベンチがなく、わずかにパイプ椅子が置いてあるのみだったので、そのパイプ椅子に座って休憩。

郷照寺からの眺め

8:40出発。しばらくは古町という昭和を彷彿とさせるような町並みが続くが、途中に「88番大窪寺88キロ」という看板を発見。とうとう最後の札所まで100キロを切ったのかと感慨深い。道はやがて坂出の町に入り、アーケードのある商店街を入っていくと、今朝出立したばかりのK旅館の横を通る。

味のある町並み

町を抜けても道は一直線に続く。町並みに飽きてきた頃、予讃本線の線路が近づいてきてそれを踏み切りで越える。その先しばらく歩くと八十八(やそば)の水場というのがあり、水がいいのか心太(ところてん)が名物らしい。

八十八のところてん

その先にある白峯宮という神社のとなりにある79番天皇寺高照院)に到着。ここは神仏同居しているところで、入口は山門の代わりに鳥居になっている。怨霊の代名詞とも言われ、保元の乱で讃岐に流された崇徳天皇崩御されたところである。寺はさらにこぢんまりしており、本堂と大師堂がくっつかんばかりだ。納経所は道を挟んで反対側にある。ここにもベンチがなくゆっくり休むことが出来ない。今日雨が降らなくて良かった。

10:30出発。線路に沿って町中を進んでいき、鴨川駅前から橋を渡って対岸の土手道になる。空は曇っていて涼しく歩きやすいが、土手道は遮るものがなく先々まで見えてしまうので精神的にはちょっと辛い。しばらく歩くと遍路道は併走している国道11号線に合流するように案内されるが、出来るだけ国道は歩きたくない。地図をよく見ると国道に入らずとも行けるような道があったのでこちらをたどってみると、果たしていかにも遍路道のような道が国道に沿って進んでいく。

どうしてこちらを遍路道にしないのだろうかと思いつつ、道は上りになり国道と接するようになったところで綾坂峠を越える。その後下っていき、国道の下をくぐって集落の中へ。出会ったおばさんが「80番まで500mくらい」と教えてくれる。

讃岐らしい山

意外と長く感じた500mをすぎ、12:00に80番国分寺に到着。これで4つめ、最後の国分寺である。4つの国分寺はどれも平地にあって良い雰囲気だが、ここもベンチがなかった。大師堂は弥谷寺と同じく建物の中にあり、靴こそ脱がなくて良かったが納経所の横で読経しないといけないのでやはり声が小さくなる。それでも今回はここで終了なので心を込めて読経し、納経。

ということで5日間の行程をここで終了。納経所の脇に座るところがあったので、ここで傘と杖をしまって娑婆に戻ることにする。ここからは最寄りの国分駅から高松に出ることにする。あわよくばここから五台山に上り82番、うまくいけば83番まで参って終わろうかとも考えたが、残りの札所も一桁になったので慌てることはない。

国分駅で区切り

無人国分駅で電車を待ち、高松駅へ。まずはホームのうどん屋で讃岐ならではの美味いうどんを食べ、どうやって帰ろうかと思案の結果、金額的にかなり安い高速バスに座席を確保。13:30にバスは出発し、ぐっすり眠って夕方大阪に到着。

本日の歩行は27、000歩、約17キロの行程であった

今回も札所が多く16箇所もの納経をし、難関の雲辺寺もなんとか打ち終えたので満足のいく行程であった。ただ、やはり延々と続いた上り坂のせいか、ふくらはぎを痛めてしまったようだ。