OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 9_3

5月1日

3日目

今回はゆっくり寝ることができ、目が覚めると4時半。5時半ころまで布団の中でまどろみ、準備して6時半に朝食。楽しく話しながら美味しいご飯をいただく。出発の時にお接待として昼のお弁当とみかん、お茶をいただいた。いつもながら遍路宿の暖かい心遣いに感謝する。とにかくいい宿だった。

7時を過ぎて出発。今日は予報では1日曇りと言っていたが、今は晴れていて日がさしている。結願の日なので天気がいいのは嬉しい。

こと電志度駅の前を通って県道に出るが、今日は平日なので登校の子供や学生と次々すれ違う。すぐに右折して県道を延々と南下していく。晴れていて自分の影が出ているのが嬉しい。雨を経験すればこそ晴れのありがたさが分かる。讃岐に入るまでずっといい天気だったのでこういう感覚を忘れてしまっていたのかもしれない。しかし暑くて汗はかくし体力は消耗するし、晴れていたらいたで晴れのしんどさもあると思う。

こと電志度駅

途中先行した同宿のご夫婦に声をかけながら追い抜く。長尾橋を過ぎたあたりで年配女性二人連れの遍路とすれ違う。すれ違いざまに「今日で打ち止め?」と聞かれ、そうですというと「おめでとう」と言われる。最後が近づいていることが実感される。

8:45に87番長尾寺到着。ここも平地の札所で、山門を抜けると境内はあまり建物がないので小さいわりに広々としている。納経してしばらく休んでいると例のご夫婦が追いついて来る。ここも人が少なくゆっくりできるので、結願を前に十分に休憩をとる。9時を過ぎて出発。しばらく歩きにくい町中の道を南下する。町を抜けると道をそれ、里山に入っていく。一心庵を過ぎると大岩に直接像が彫り込んである高地蔵がある。

大岩に刻まれた仏像



県道に合流すると次第に高度を上げていき、しばらく歩くと前山ダムのサイトを過ぎ、その先に「前山地区活性化センター」というのがある。ここには「おへんろ交流サロン」というのがあり、資料展示館などがあるという。

早速入ろうとすると、ちょうど遍路姿の外人女性も同時に入ることになった。中に入ると大きな四国の立体地図があり、眺めているとその向こうからおじさんに手招きされる。椅子に座るとお茶を出していただき、歩き遍路だというとここで歩き遍路だけに「遍路大使任命書」なるものを作ってくださるとのこと。横には先ほどの外人女性も座りカタコトで話していたが、前のおじさんが結構流暢に英語で話しかけている。このおじさん自身トルコからポルトガルまで歩いているらしく、言葉が流暢なのも頷ける。女性はオーストラリアからきたサラ・イーグルさんという名前。私の倍以上もある大きなザックを背負っている。

おじさんは我々にこれからの道順を丁寧に教えてくれる。ここから88番までは2通りの道があり、大回りになる旧遍路道と、近いが急峻な女体山越えのルートである。当初当然のように女体山越えにしようと思ったが、調べてみるとこちらは国土交通省が設定した「四国の道」で、やはり旧道にこだわりたいと思い遠回りとなる旧遍路道を通ることにした。サラさんはこんな荷物を持って女体山を越えるそうだが、こちらは鎖場もある難所である。

せっかくなので、隣にある資料展示場をのぞきに行ってみる。江戸時代の納経帳や納札などいろいろと展示していて大変興味深い。サラさんもやってきて、先ほどのおじさんが英語で説明している。さすがに「奥の院」とか「納札」で英語がわからず戸惑っているが。十分に堪能してから出発する。

江戸時代の納め札

出発する前に館長自ら筆で名前を記入してくれた「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」をいただく。遍路は自分自身のことなので誰かに証明してもらうこともないと考えているが、こういうのは単純に嬉しい。出発する時に、同様に英語で名前を書かれた任命書を受け取ったサラさんに「グッドラック」と言うと、向こうも「お気をつけて」とお互い逆の国の言葉で挨拶して分かれる。彼女とは今夜は同じ宿なので、後ほど会えることになる。

遍路道は少し戻ってから左折するが、なんの変哲もないアスファルト道で、しかも結構急な坂である。地図では歩き道のようになっているし峠の写真では遍路道になっていたのだが、どうもすべて舗装されてしまったらしく、とうとう最後までただの車道だった。途中には残土処分場までありダンプカーが登ってくる始末。こんな道だとわかっていたら女体山越えにするべきだった。

いつまでも上り一辺倒で、さすがに疲れてきた頃に休憩所があったので、ここで宿で貰ったお弁当を開くことにする。おにぎりに漬物、ゆで卵まで入っていて美味。包み紙の中には紙片があり、「またお会いできますよう」と書いてあってホロリとくる。

心に染みるお弁当

このあたりから空が急に曇ってきて霧雨が降ってきた。菅笠にカバーをかけて出発。ほどなく最高地点の相草東峠を越える。峠を越えると県道に合流し道は下っていく。さらに多和小学校のところで国道と合流し、しばらくするとまた上りになる。地図では道がくねくねしているがまっすぐの良い道になっているので工事したのだろう。どちらにしても歩いていてあまり楽しい道ではない。三十丁のところにまた休憩所があったので最後の休憩にする。このあたりからまた天気が良くなってきた。道と同様ムラがある天気だ。

再び歩き出し、しばらく行った竹屋敷から旧道に入る。交流サロンで貰った地図によると旧来の遍路道があるらしいがよくわからない。よくよく注意して左右を見ていると少し離れたところに丁石がある。草をかき分けて行ってみるとそれらしい道があった。これぞ遍路道と思って歩くが、いくつか丁石を越えたところで道がわからなくなってしまった。わずか数十メートルだったが、それでもいにしえの遍路道を堪能できたことに満足する。

いにしえの遍路道

元の道に戻るが次第に坂になり高度を上げていく。やがて88番まで1キロを切った案内を見つけ気分が高まる。坂はだんだんきつくなり地面を見ながら息を切らして歩いていき、ふと顔を上げると山門が見えていた。

山門が見えた!

14:00に88番大窪寺に到着。とうとう着いた!

山門をくぐって境内に入り、いつもの手順で本堂、大師堂で参拝、般若心経や真言を唱え納経所に。88番のところに納経していただき完了。これで結願(けちがん)となる。
感無量のはずだが今ひとつ実感はわかない。ベンチに座って目の前にそびえる女体山を眺めながらぼーっとする。感慨にふけるというより呆然としていたと言ったほうがいいかもしれない。もう新しくまわる札所はないのだという寂しさもあった。しばらくそうしていると誰かに、歩きですかと話しかけられた。そうですと答えると、結願ですね、おめでとうございます、と言われ、ここで初めて実感が湧いてきた。

呆然と見上げた女体山

もうしばらくこの気分を堪能したかったが、いつの間にか再び雲が厚くなってきたので出ることにする。まだ14:30なので門前にあるどこかの店に入ろうかと思ったがどこも観光客が結構いたので入らず、今日の宿は目前にあるので早々に入れてもらうことにした。こんな時間だというのに風呂にはすぐ入れるとのこと。洗濯もお接待で無料だし、部屋には洗面所とトイレが専用でついている。壁には専用の杖立ても備わっていて、歩き遍路にとって完璧な宿である。

杖たてまで備わった完璧な宿

早速風呂に入る。湯が熱すぎたので少しうめて入る。風呂はいつでも最高だが、結願後の風呂はまた格別であった。時間が早すぎるので部屋で散々ごろごろしたあと夕食。食堂には例のサラさんやご夫婦がいる。結願のお祝いにと食事には赤飯がついてきて嬉しい。ビールを頼むとサラさんは「OSAKE」を注文。「コングラッチュレーション」などと言いながら乾杯する。

お互いによく言葉がわからないが酒が入ってくると舌もなめらかになり、カタコトでも意思は通じるようになる。彼女はまだ学生で、通し打ちをやってきたらしい。女体山はどうだったかと聞くと、手のひらを垂直にしてかなりきつかったと説明。遍路自体は英語で書かれたガイドブックを頼りに回ったみたいだが、見せてもらうとちゃんと宿等も明記されていてわかりやすい地図だ。私も以前オーストラリアに行った話などして盛り上がる。

最後にカードをくれたので見てみる。名前は「Sarah McFarlane-Eagle」とある。明日はどうするのかと言うと、大坂越えで引田まで行って一泊、その翌日に一番にお礼参りとのことで、お礼参りは同じだが私とは行程が違う。その後高野山に行き、京都を回ったあと成田から帰国するということで、来週には学校に戻らなければならないと少し寂しそうだ。私もNext weekにはWorkだと言ってお互い笑った。

他の人も当然ながら高野山に行くようで、例のご夫婦は、明日は天気が悪いのでお礼参りはせず、直接高野山に行くそうだ。私も当初和歌山に宿をとっていてそこから高野山に行くつもりだったが、四国は四国で完結すべきだと考え直し、宿はキャンセルして高野山は後日行くことにした。関西にいるのでいつでも行けるし、観光地と化している高野山はGWには人だらけだろうと思ったのもある。楽しいひと時を終えて部屋に戻る。

今日の歩行は35、000歩、23キロ。
結願の喜びと夕食時の楽しいひと時を思いながら眠りにつく。