OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 8_5

11月7日

5日目

最終日となった。5時半起床、6時半朝食。ここのご飯は旨い。朝、ようやく同宿の人と顔を合わす。H旅館と同じだ。このおじさん、昨日は善通寺からこの先の国分寺まで行ってJRで戻ってきたそうで、行動は人それぞれだ。お支払いする時に歩き遍路にと、飴の詰め合わせをお接待にいただいた。

6:50出発。まずは坂出駅まで行くが、今日は平日なので通勤客でホームは一杯で、スーツ姿の人が多い中、ちょっとアウトロー的気分を味わう。7:14の電車で丸亀へ戻る。

東京からの夜行列車「サンライズ瀬戸

丸亀駅で簡単に準備して7:30出発。今日は80番までにし、その先の遍路ころがしは次回にしたので、スケジュールに余裕はある。丸亀の市街を抜け、交通量の激しい県道に出る。道は渋滞しており自転車の学生も多く、その横を通って歩くのはあまりよい気分ではない。遍路道の案内は少しでも脇道があるとそちらを案内するので多少気が楽だが。しばらくして宇多津駅付近からようやく細い道に入る。

8:20、78番郷照寺に到着。誰もいない中、静かに読経。大師堂の脇に万体観音堂というのがあり、地下に階段が続いているので降りてみる。本当に万を超えるであろう金色の観音像がずらりと奉られており、下には数々のお供え物がある。食べ物もあったのでわずかながら飴を置いてくる。

大師堂はちょっと高台にあり景色がよい。宇多津の町並みの向こうに瀬戸大橋がよく見える。納経を終えて一服と思ったが、この寺には全くベンチがなく、わずかにパイプ椅子が置いてあるのみだったので、そのパイプ椅子に座って休憩。

郷照寺からの眺め

8:40出発。しばらくは古町という昭和を彷彿とさせるような町並みが続くが、途中に「88番大窪寺88キロ」という看板を発見。とうとう最後の札所まで100キロを切ったのかと感慨深い。道はやがて坂出の町に入り、アーケードのある商店街を入っていくと、今朝出立したばかりのK旅館の横を通る。

味のある町並み

町を抜けても道は一直線に続く。町並みに飽きてきた頃、予讃本線の線路が近づいてきてそれを踏み切りで越える。その先しばらく歩くと八十八(やそば)の水場というのがあり、水がいいのか心太(ところてん)が名物らしい。

八十八のところてん

その先にある白峯宮という神社のとなりにある79番天皇寺高照院)に到着。ここは神仏同居しているところで、入口は山門の代わりに鳥居になっている。怨霊の代名詞とも言われ、保元の乱で讃岐に流された崇徳天皇崩御されたところである。寺はさらにこぢんまりしており、本堂と大師堂がくっつかんばかりだ。納経所は道を挟んで反対側にある。ここにもベンチがなくゆっくり休むことが出来ない。今日雨が降らなくて良かった。

10:30出発。線路に沿って町中を進んでいき、鴨川駅前から橋を渡って対岸の土手道になる。空は曇っていて涼しく歩きやすいが、土手道は遮るものがなく先々まで見えてしまうので精神的にはちょっと辛い。しばらく歩くと遍路道は併走している国道11号線に合流するように案内されるが、出来るだけ国道は歩きたくない。地図をよく見ると国道に入らずとも行けるような道があったのでこちらをたどってみると、果たしていかにも遍路道のような道が国道に沿って進んでいく。

どうしてこちらを遍路道にしないのだろうかと思いつつ、道は上りになり国道と接するようになったところで綾坂峠を越える。その後下っていき、国道の下をくぐって集落の中へ。出会ったおばさんが「80番まで500mくらい」と教えてくれる。

讃岐らしい山

意外と長く感じた500mをすぎ、12:00に80番国分寺に到着。これで4つめ、最後の国分寺である。4つの国分寺はどれも平地にあって良い雰囲気だが、ここもベンチがなかった。大師堂は弥谷寺と同じく建物の中にあり、靴こそ脱がなくて良かったが納経所の横で読経しないといけないのでやはり声が小さくなる。それでも今回はここで終了なので心を込めて読経し、納経。

ということで5日間の行程をここで終了。納経所の脇に座るところがあったので、ここで傘と杖をしまって娑婆に戻ることにする。ここからは最寄りの国分駅から高松に出ることにする。あわよくばここから五台山に上り82番、うまくいけば83番まで参って終わろうかとも考えたが、残りの札所も一桁になったので慌てることはない。

国分駅で区切り

無人国分駅で電車を待ち、高松駅へ。まずはホームのうどん屋で讃岐ならではの美味いうどんを食べ、どうやって帰ろうかと思案の結果、金額的にかなり安い高速バスに座席を確保。13:30にバスは出発し、ぐっすり眠って夕方大阪に到着。

本日の歩行は27、000歩、約17キロの行程であった

今回も札所が多く16箇所もの納経をし、難関の雲辺寺もなんとか打ち終えたので満足のいく行程であった。ただ、やはり延々と続いた上り坂のせいか、ふくらはぎを痛めてしまったようだ。