OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

悪いことは一瞬

仕事の帰り、自転車に乗っていると雨が降ってきた。

 

横着して自転車に乗ったまま、前カゴに入れていたカバンから傘を出そうとして、気を取られていてハンドルに膝をしたたかに強打してしまった。

 

どこをどうやったらハンドルで膝を打つのかわからないが、しばらくペダルが漕げないくらいの痛みだった。惰性で走っているうちに漕げるくらいには回復したので、何とか駅までたどり着くことはできた。ただ、痛みはその後2〜3日続き、ひどい目にあった。

 

それからあまり日を置かず、自宅で空気清浄機に足の小指をぶつけ、痛くてうずくまるくらいになり、また別の日には座っていて椅子を前に進めた時に、かかとがキャスターに巻き込まれて、皮がめくれて血が出てきて大いに痛かった。いずれも実に些細なことだが、なかなか治らず地味に痛みが続く。

 

こんなことになるとは、その直前まで想像もしないものだ。いきなり訪れる不幸に、何も痛くなく過ごせたほんの少し前がとてもありがたく思えるようになる。悪いことは一瞬で起こるものだとつくづく思う。

 

しばらく痛いくらいならこの程度の感想で済むが、中にはこれで足の指を骨折した人もいる。突き詰めると、車に跳ねられたり心筋梗塞で倒れたりと、上(?)を見るときりがないが、とにかく不幸なことは我が身のすぐ隣に控えているような気がする。

 

半面、良いことはあまりこういうことは無いような気がする。突然大金が入ったり、急に健康になったりするなどということはほぼない。良いことはコツコツと積み上げていって、それでいて劇的に良くならず、よくて現状維持程度になることが多い。必ず良くなるとも限らない。何か不公平だと思う。

 

逆に考えると、悪いことが無いことが素晴らしいことかなと思ったりする。身体がどこも痛くないことがどれほどありがたく幸せなことか、どこかが悪くなって初めて気づく。

 

空気のありがたさは、空気がなくなって気づくが、その時にはすでに手遅れ。

 

まあ、だからといって常に危険を予想して身構えているわけにもいかない。最終的にはなるようになるしかないので、そうなってしまったら諦める他ないのだが、どこか心に留めておいても損はないかもしれない。

 

トラブルなく1日が終わったら感謝するべきだろう。「ありがとう」という感謝の言葉は、有り難い、つまり「有ることが難しい」ということ。反対の言葉は「当たり前」になり、何事もなかった1日というのは当たり前ではないのだ。何事も有り難いと思わなければいけないのかもしれない。