OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 9_5

5月3日

5日目

やはり目が覚めると3時半。例によって5時半くらいまで布団の中にいる。前回と同じく朝の勤行があるということで、6時半に例のセコムしてある通路から本堂へ向かう。

前は座布団に正座していたように思うが、今日は椅子が並べてある。少し遅れて住職が登場。我々とそんなに離れてるわけではないがマイクを用意してあり、スピーカーからお経が流れる。般若心経等を終えたあと、いつかのように講話があるかと思ったが、そのまま終わってしまい肩透かしを食らったような感じだった。

勤行が終わるとすぐに食堂に行って朝食。団体のうちの一人のおばさんが皆に巾着袋を配り、私もいただいた。接待とのことで中を見てみると、なぜかポケットティッシュが入っている。大阪は堺の何かの講のようで、毎回手作りした巾着袋をくばっているとのこと。

2回お世話になったビジネスホテルのような宿坊

朝食を美味しく頂いて部屋に戻る。今日はゆっくり出発してもいいのと、外を見るとまたもや霧雨が降っているので、結局7時半と遍路にしては異例に遅い時間に出発。霧雨はたいしたことないので何も付けずに歩いていくが、次第に多くなってきたので菅笠のビニールカバーだけを装着する。それにしてもしつこい雨だ。昨日あんなに降り、雨の中心は東へ去ったというのに意地悪くいつまでも残っている。南には焼山寺山の山脈が望めるはずだが、雲に隠れて裾野しかみえない。

5年前に逆から来た道だがよく覚えていて、6番安楽寺の横を通り町の中へ。1番まではどの札所にも寄らないつもりだが、5番地蔵寺だけはトイレに立ち寄らせてもらう。当時は豪華とか書いていたが、今見るとそれほどでもない。足に銀杏の直撃を食らった大きなイチョウの木も健在である。すぐに出発。

山門の向こうに大銀杏

この辺になるとすれ違う遍路も多く、昔の自分を振り返っているようだ。3番金泉寺あたりでようやく雨が上がり、日がさしてくる。今回は天候には恵まれなかったが、このように要所では晴れてくれたのでありがたいことではある。考えてみると、これまでも強烈な遍路ころがしなどではことごとく晴れてくれたので、文句言わずに感謝したほうがいいのかもしれない。

初日に歩いた懐かしいへんろ道

板野の町を過ぎ、2番極楽寺の山門横を通過すると、残りわずか1キロ。次第に気分が高まってくる。

やがて最後の橋にかかると行く手に塔が見えてきて、とうとう1番霊山寺に到着。懐かしい山門で一礼して入り、まっすぐ本堂内にある納経所へ向かう。昔と同様に靴を脱いで上がり、納経帳の最後のページを開いて差し出すと、「おめでとうございます」と言って、朱印を押して何やら「最後まで着きました」的な書を書いていただいた。納経帳を押し頂いて本堂から出る。

何もわからないときにくぐった一番の山門

これで本当の最後である。脇のベンチに座って荷を解き、遍路終了となった。最後の最後に晴れてくれて気持ちのいい空になった。88番を打ち終えたような感慨もなく、何か妙にさっぱりした気分である。

次の列車まで時間があるので、荷を置いて霊山寺内をゆっくり散策する。ここも思ったより狭い境内で、やはり当時は初めてで気持ちが上ずっていたのかなと思う。道具を買った店もしみじみと眺めながら遍路の余韻を楽しむ。

やがて時間になったので名残惜しみながら札所を後にし、最寄りの坂東駅に向かう。ほどなくやって来た1両の列車に乗って徳島へ向かい、昼食をとったあと大阪行きのバスで四国を後にする。

本日は短くて、歩行26、000歩、15キロ程度。

5年越しになった遍路旅もようやく終りを迎えた。いろいろと経験や得るものが多い旅だった。
帰ってから統計をとってみると、
・総日数:47日(途中で終わったものも含む)
・総距離:1、168キロ
・総歩数:1、879、000歩
・宿泊:38泊
となった。

こうやってまとめてみると我ながらよく歩いたと思う。最後まで歩けたことに感謝。