OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

今に集中する

風呂にお湯を張って、さあ入ろうと蓋を取ると、湯船はからっぽ。栓を忘れたのだ。

何回これをやっただろう。

 

毎日やっているルーチンで身体が覚えていてもいいくらいなのに、こういうことがそんなに日をおかずに起こる。

 

いつも体組成計を腕につけているが、風呂に入るときだけ充電する。寝るときもつけているのだが、充電しているのを忘れるのだ。

朝起きて、ルーチンの散歩に行って、帰ってきて朝食を食べている時に、腕にいつものものがないのに気づく。よくまあここまで忘れられるものだ。

 

歳のせいというのもあるのだろうが、度を越している。認知症の始まりだろうかと心配になる。

 

最近なんとなく気づいたのは、どえらい忘れ方をするのは、なにか考え事をしているときが多いということ。我ながらいつもなにか考えていて(それも全くたいしたことではない)、いつの間にか時が過ぎていることが多々ある。

 

朝は決まった手順でストレッチをしているのだが、そんな時に考え事をしていると「あのストレッチはやっただろうか?」と思うこともある。

 

人間は同時に2つのことは絶対にできないそうだ(いわゆるマルチタスク)。同時にやっているように見えて、実は高速で切り替えているらしい。

で、自分の場合切り替えた瞬間忘れるらしい。

 

いろいろな教えで、昔のことも先のことも考えても仕方ない、今を大事に!というのがある。全くその通りで、自分はいつも先のことが心配になって仕方がないフシがあるので、今を大事に今を大事に、と心がけているつもりが、すぐに忘れてしまって不安が蘇ってくる。

これも何か別のことを考えた瞬間に、どこかに行ってしまうのかもしれない。

 

反省ばかりしてちっとも次に活かせることができないので、全く嫌になる。

 

悲観と楽観

どうも、物事を何事も悲観的に考えてしまうくせがある。

 

特に何かがあるわけでもないのに、悪いことが起こりそうな気がしたり、何かしようとするとうまくいかないような気がして、心が休まらない。

 

元々の性格のせいだろうが、計画を立てる際には必ずトラブルを想定し、それを回避する方向でも考えてしまう。

 

例えば人気の観光地に行こうとする場合、そこまでの行程や道の混み具合、現地の駐車場の混雑具合や、満車の場合に備えて近隣の駐車場までチェックする。

Googleマップストリートビューなどで徹底的に調べるが、他にもホームページやSNS等もチェックし、なるべく最適な方法を模索する。

 

結果スムーズに行くことができれば重畳だが、予期せぬトラブルもあり、そんな時は一体何をやっているのかと虚しくなってしまう

 

悲観的に考えてしまうのは仕事でも人生も同じで、いつも何かと落ち着かない。「何とかなるだろう」とか「なるようにしかならない」と思えたら楽なのだが、「うまくいかなかったらどうしよう」という思考になってしまう。

 

世の中の出来事は、意図とか意志とかをもって起こるわけではない。それをどう感じるかは人それぞれなので、最初から心配しようがするまいが、起こることは同じ。だったら「なるようにしかならない」と思えればいいのに。

 

ただ、最初から悪い方に考えていて、結果それが起こらずうまくいったりすると、ほっとしてかなり気持ちが楽になる。反対に楽観的に考えていて良くないことが起こると、パニックになったり落ち込んだりする。

 

同じ事象でも、上昇局面と下降局面では感じ方がずいぶん違う。

世間では、悲観的な考え方はあまりよろしくないとされているようで、できれば楽観的に行こうという風潮に感じられるが、悪く考えていて良い方向に進むというのも捨てたものではない。

 

結局どっちなんだ、という感じだが。

 

ちなみに楽観的はというのは英語で「happy go lucky」という。(一般的には「optimistic」)

語感的には楽観的の方がいいと思う。

雑に生きたい

自分がどうもHSPの気質のようだと思ったのは、以前書いた通り。

何をするにも、些細な事にいちいち反応したり考えてしまったり。
運転していても、駐車場の枠線にはきちんと入れなければいけないとか、右折で待っていてなかなか車が途切れなかったりすると、後ろに申し訳ないと思ったり、やたら気を遣う。
電車に乗っていても、店で買い物していても、無意識に他の客や店員さんに遠慮してしまうところがある。

根底で一番気を使うのは、やはり人の気持ちのようで、見知らぬ他人に対してもこうなのだから、会社や家族に対してはこの比ではない。

いつも相手の考えていることや機嫌なんかが気になってしまい、極端に言うと常に顔色をうかがっているような感じになっている。
何もしていないのに、メールの返事が来ないだけで、何かやっただろうか、などと考えてしまう。

ちょっと病的な気がするが、いずれにしてもいつも気疲れしてしまいしんどくなる。
いろいろと本を読んだり話を聞いたりして、相手は自分が考えている程こちらなんか気にしていない、と頭では十分過ぎるほど分かっているのだが。

反応がなく悶々としていて、かなりたってから何事もなく返されたりすると、ほっとすると同時に、これまでの時間は何だったんだ、と思ってしまう。もちろん相手に落ち度はないのだが。

巷には相手に気遣いのない人間がごまんといる。車を運転していても電車に乗っていても、街にも会社にも。イラッと来る反面、羨ましくなる。こんなふうに生きることができたらどんなに楽だろう。

では、自分もそうなればいい。嫌われようが疎まれようが、人に迷惑をかけず、こちらの生きていく上で不都合がなければそれでいいわけだ。憎まれっ子世にはばかる、とはよく言ったものだ。人にどう思われようが意にかえさない図太さが欲しい。

雑、というと良い印象がないのだが、細かく考えたり反応しすぎてしんどくなるくらいなら、いろいろなものを放り出して多少雑に生きていくくらいの方が人間味があるような気がする。

と考えてそうなるように努力してみるのだが、生まれ持った気質を変えるのはとても難しい。いい歳になってからはなおさらだ。

動物はえらい

朝、散歩をしていると、結構いろいろな鳥がいることに気づく。声の大きいカラスをはじめ、ヒヨドリムクドリ、スズメ、池に行くとカモやサギ、カワウなどなど。

たいてい人間が近づくと飛んで逃げるが、一風変わっているのがセキレイで、可能な限り走って逃げるようだ。そんなに飛ぶのが嫌なのかなと思ったりしてしまう。

そんな朝の光景を眺めながら歩いていて、ふと鳥の気持ちになったらどうか、と変な考えが浮かんできた。

こちらは別に捕まえようとか悪意を持っているわけではなないのに、鳥は逃げる。単に人間が来たら逃げるだけで、それ以外は何も考えていない(と思う)。あいつは目つきが悪い、とか、性格が悪そうだ、なんてことは考えない(と思う)。

カラスも時々網の隙間からゴミを引っ張り出したりして荒らしているが、食べ物をあさって食べているだけで、人間を困らせてやろうとか散らかしてやろうとか考えているわけではない。朝からガアガアとうるさいが、これもコミュニケーションでやっていて、嫌がらせでやっているわけではないのである。

対して人間はどうだろう。表の行動と考えていることは必ずしも一致しない。詐欺師などはいい例で、表面上は当たりもよく良い人そうに見えるが、心の中ではどす黒いことを考えている。

また、人間はいろいろなことで悩む。人間関係やお金、この先の人生など、悩みのない人の方は少ないと思う。
対して動物に悩みというのはあるのだろうか。食べることと、種の保存と、危険回避だけを考えて生きている。

動物は究極のミニマリストでもある。基本的に身一つ、せいぜい巣を作る程度で、何も持っていない。人間は住むところはじめ、電気ガス水道等のインフラ、服に靴に家電に携帯に・・・、モノを持つのはキリがない。

人間は必要以上にモノを持ちたがるが、動物はそうではない。ライオンだって満腹になれば目の前に獲物がいても襲わないという。この先獲物が捕れないと困るなあと、先のことを考えたりしないのである。

逆に、将来に備えて準備するということもなく、刹那的に生きている。常に命の危険と隣り合わせということでもある。

比べるのもおかしいかもしれないが、客観的に見ると人間以外の動物の方が良い人生(?)のような気がする、なんて考えるようになってきた。動物だって望んでやっているわけではないだろうが、ちょっと羨ましいと思ってしまったりして、あまり良い傾向ではないなぁ。

身体を動かすこと

ストレスという言葉は当たり前のように聞くが、ではストレスとは一体何か?説明できなかったので調べてみた。

危険を察知したりすると、頭の中にコルチゾールというホルモンが出るそうな。何かのきっかけで扁桃体というところが活性化すると、このホルモンが分泌され、それに伴って動悸や血圧、血糖値などが上がることをストレスというらしい。もっと細かい話があるのだが、ここでくどくど説明しても仕方ないので、これ以上は割愛。

原始人の頃からのメカニズムが今でも変わらず機能しているので、このシステムは人間の根幹のものらしい。このストレスがずっと続くことで身体やメンタルに影響し、解消しないと身体を壊したり、うつへつながったりする。

このストレスを抑えるのはセロトニンという神経伝達物質で、ストレスに対して効能があるそうだ。そしてこのセロトニンの分泌を促すのが、一つには運動が効果があるとのこと。太陽の光を浴びるのも良いみたい。

運動がストレスにいいというのは最近よく聞く話だが、自分でも実感できることがある。毎日散歩しているが、歩いていると多少気持ちが落ち着くし、山登りなどちょっときつめの動きをしていると、その間は何も考えないので頭が疲れるということが少ない。畑仕事で雑草を引いている時など、夢中になるため頭がからっぽになる。

頭の中でだらだらと後ろ向きなことを考えるのは、大概じっとして身体を動かしていない時である。

原始人の頃というのは、常に危険と隣り合わせで生きていたので、危機に直面した時は考える余裕もなく逃げるか戦うかしないといけない。うじうじ考えているとたちまち命を失うことになる。

ところが、現代は命に関わることは以前ほどないわけで、うじうじ考える余裕があるということ。で、考えてばかりいるとストレスが止まらず、身体やメンタルがおかしくなるというわけだ。

いろいろ考えながら散歩をしているときに、いきなり猫が飛び出してきて、その逃げていく方向をずっと見送っていたことがあった。すると、猫が見えなくなるまで、それまで考えていたいろいろなネガティブなことが頭から消えていたことに後から気づいた。

所詮人間というのは、複数のことを同時に考えることができない。シングルタスクというわけだが、何かに夢中になると、それ以外のことは考えられなくなるのだろう。同時に複数のことを考えられるという人もいるようだが、高速で切り替えているだけ、ということだそうだ。

自分はとにかく細かいことが気になる気質で、それについていちいち深く考えてしまうことが多い。考えすぎて疲れてしまうが、それでも考えることをやめられない。夕方にはへとへとになってしまう。

どうせ疲れてへとへとになるのなら、頭より身体の方がよほど健康的だ。

動く

頭では分かっているのにどうしてもわき出して来る不安、いったいどうすればいいのだろうか。

自分で考えたり本を読んだりWEBを見たり、いろいろ調べてみると、コントロール軸、ゼロヒャク思考、アウトプット、気づき瞑想など、なるほどと思うやり方や考え方がいくつも見つかる。

どうせ相手の思考を変えることなどできないのだから、もっと鈍感に、自分勝手に、自分軸を大切に。
こういう考え方はおおいに納得できることで、大変参考になる。これまでの思考をこのような考え方にシフトできれば、随分心も軽くなるだろう・・・。

実際にこういったことを意識して思考したり、実践するようにしてみた。朝起きて気分が最悪のときには、今の気分は点数にしたら何点だろう、ゼロではないな、と考えたり、人に気を遣うような場面では、今、他人軸で考えているな、と意識したり。

思考を意識すると、確かにその場ではなんとなく気持ちが軽くなったような気はする。
ところがそんな気分も、わりとすぐに元に戻ってしまう。

どこかにも書いたが、いくら理屈で納得できても感情というのは恐ろしいもので、いくら頭で言い聞かせてもモヤモヤは次から次へと湧いてくる。理屈は感情には決して勝てない、と以前から思っていたが、どうも科学的にもそういうことらしい。

ではどうすればいいのだろうか。

自分の感覚でたどり着いたのは、「環境を変える」しかないということ。現状に留まって同じ環境にいると、いくら頭で考えても不安の元が解消することはない。不安の原因がそこで取り除くことが出来るのならいいが、そうでなければそこから逃げ出すしかない。

言葉では簡単だが、環境を変えるということは難しい。自分で言うと仕事を変える、ということになるが、そう簡単なことではない。簡単ではないが変えなければいつまで経ってもこのまま・・・と、また頭の中で堂々巡りになる。

ではどうするかと言うと、とにかく「動く」しかない。何もしなければ1ミリたりとも状況が変わることはない。布団の中でうじうじ考えていても、全く意味はないのだ。

自分には何ができるのか、などと考え出すとまた思考のループに入るだけなので、ちょっとでも引っ掛かること、閃くこと、興味あることがあれば、その方向に一歩踏み出すことだ。その先に結果がなくても、また別の一歩を踏み出せばいい。

スモールステップでちょっとずつでもいい。行動も何でもいい。やりたいことできそうなことを書き出す、それについて調べてみる、なんてことでもいいのだ。行動がその先に繋がらなくても、動いたことそのものに意味があるのだと思う。

何事も、最初の一歩というのはなかなかエネルギーがいる。車もローギヤがいちばん馬力を使うものだ。だが、動き出してシフトアップしていくと、だんだんスピードものってくる。始めてしまえばずっと続いていることは、自分の人生でもいくつもある。

どうせしんどい思いをするのなら、先があることがいいと、つくづく思う。いや、思っているだけではだめだ。

考えすぎる

いつも考えすぎて疲れてしまう毎日。どうしても他人の気持ちが気になったり、些細な事が気になったり、先々が不安になったり、いろいろ頭で考えすぎて夕方にはぐったりしてしまうことが多い。気質というのは恐ろしいものでどうにもならないが、それでもやはり多少は何とかしたい。

 

いろいろ調べてみたら、悩みのほとんどが対人関係らしく、以下のような考え方があるとのこと。

 

まず、自分軸を持つということ。他人の気持ちを気にして仕方がないため、どう思われているか、嫌われたりしないかということが常に付き纏う。だが、自分が思っているほど他人はこちらのことを気にしていない。

 

更にいうと、嫌われてもいいと思えばいい。アドラーの言う「課題の分離」というもので、他人の課題と自分の課題を切り分けることが大切。他人軸で考えてしまうということは、他人の人生を歩んでいることになる。

 

ちょっとした人の態度や反応に、いちいち敏感に反応してしまうことをやめるべきだ。表面上のちょっとしたことから、奥深いところまで想像して考えてしまっても仕方がない。

他人の気持ちなんて分かるわけがない。勝手に考えて想像を膨らませたりするけど、それが当たるわけもないし、知る必要もない。

 

たとえ嫌われても仕方がない。どうせ誰にも好かれるわけでもないし、表面上何もなければ問題ないのだ。2・7・1の法則というのがある。10人いたら、必ず1人は気が合わない人がいるということ。

 

どんな人でも陰口はたたくものだし、人の悪口は言いたくなるもの。人間には必ず裏表がある。見るのは表側だけで十分。

 

他人の気持ちを考えすぎても、当の他人は有り難がってくれるわけではないし、何も思わないだろう。なんでこちらばかり気にしなければならないのか、自分のことしか考えない人は、他人からどう思われているかなんて気にしないので、こちらから気を遣ってしまうなんて損だと思わなければならない。

 

などと、頭では考えるのだが、どうしてもこのような思考から逃れられない。意識していても、勝手に感情がにじみ出てくる。

 

実際、こんな風になってしまう。

 

ささいなことでメンタルがやられる→後で考えたらたいしたことないレベルのことで、どん底まで落ち込む。

気掛かりなことがあると、そればかり考える。

昔のことをずっと考える→済んでしまったことや落ち着いたことでも、思い出していやな気分になる。

周りの一挙一動に振り回される。

無駄な深読みや先読みをしてしまう→取り越し苦労で時間と気分を無駄にし、しかも繰り返す。

トラブルに滅法弱い→何かトラブルが起こったら、考えがすべてそのことになってしまう。

いつも何かの不安を感じている→不安がないのが逆に落ち着かなかったりする。

険悪な空気が嫌→自分に関係なくても気を遣ってしまい疲れる。

ささいなことで振り回される。

いつも自分が悪いと考えてしまう。

 

客観的に見ても鬱陶しい気質だと思う。だからといって理屈では割り切れないから困っているのだ。