OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

悲観と楽観

どうも、物事を何事も悲観的に考えてしまうくせがある。

 

特に何かがあるわけでもないのに、悪いことが起こりそうな気がしたり、何かしようとするとうまくいかないような気がして、心が休まらない。

 

元々の性格のせいだろうが、計画を立てる際には必ずトラブルを想定し、それを回避する方向でも考えてしまう。

 

例えば人気の観光地に行こうとする場合、そこまでの行程や道の混み具合、現地の駐車場の混雑具合や、満車の場合に備えて近隣の駐車場までチェックする。

Googleマップストリートビューなどで徹底的に調べるが、他にもホームページやSNS等もチェックし、なるべく最適な方法を模索する。

 

結果スムーズに行くことができれば重畳だが、予期せぬトラブルもあり、そんな時は一体何をやっているのかと虚しくなってしまう

 

悲観的に考えてしまうのは仕事でも人生も同じで、いつも何かと落ち着かない。「何とかなるだろう」とか「なるようにしかならない」と思えたら楽なのだが、「うまくいかなかったらどうしよう」という思考になってしまう。

 

世の中の出来事は、意図とか意志とかをもって起こるわけではない。それをどう感じるかは人それぞれなので、最初から心配しようがするまいが、起こることは同じ。だったら「なるようにしかならない」と思えればいいのに。

 

ただ、最初から悪い方に考えていて、結果それが起こらずうまくいったりすると、ほっとしてかなり気持ちが楽になる。反対に楽観的に考えていて良くないことが起こると、パニックになったり落ち込んだりする。

 

同じ事象でも、上昇局面と下降局面では感じ方がずいぶん違う。

世間では、悲観的な考え方はあまりよろしくないとされているようで、できれば楽観的に行こうという風潮に感じられるが、悪く考えていて良い方向に進むというのも捨てたものではない。

 

結局どっちなんだ、という感じだが。

 

ちなみに楽観的はというのは英語で「happy go lucky」という。(一般的には「optimistic」)

語感的には楽観的の方がいいと思う。

廃線跡

地元を走っているJR福知山線は、途中線路を付け替えたところがあり、以前の路線が廃線になった。

 

以前は渓谷に沿ってうねうね走っていたところを、一気にトンネルを掘って一直線に進めるようになったもので、所要時間や本数が飛躍的に改善された反面、綺麗な景色は見えなくなった。

 

当時、廃線部分は立入禁止にはまでにはなっていなかったのだがあまり整備されず、鉄橋などはその外側を歩いたりして結構ワイルドだったが、数年前に遊歩道として整備され、ガイドブック等にも掲載され今や結構な人が訪れる。今もトンネルは照明がなく真っ暗なので、懐中電灯は必須だが。

廃線の鉄橋

このような廃線跡は有名だが、ほとんどの鉄道廃線跡というのは、草に埋もれたり宅地になったりして次第に消えてしまう。

 

私はこのような廃線跡が好きで、見に行ったり可能であれば歩いて辿ったりするのが趣味の一つになっている。

 

また、最近ではGoogleマップストリートビューで航空写真を見ることができるが、廃線跡を辿っていくのも面白い。

特に北海道は廃線跡の宝庫(?)で、昔現役だった路線が軒並み廃止となっていて、乗りたかった路線の跡をなぞったりしている。

廃線を検索してもいろいろ出てくる

廃線跡は線路が残っていなくても、その独特な線形ですぐにわかる。現存する分岐駅から延々となぞっていくのは面白いし、いい暇つぶしになる。

 

気に入っているのは、日高本線(鵡川から先、まだ線路が残っている)、天北線(音威子府から南稚内)、標津線(標茶厚床から根室標津)などなど。他にも魅力的な線はいっぱいある。

 

廃線跡が観光地になっているところもあり、トロッコで走れる神岡線や高千穂線等も面白いし、幻想的な景色がある倉吉線などもその筋では有名だ。鉄道はアップダウンがあまりないので、サイクリングロードになっているところもある。

倉吉線廃線跡

身近なところで面白いものとして、近くに戦時中の軍需用貨物線の跡がある。引っ越して来たときに地図を見ていて気付いたのが、駅から鉄道っぽいカーブの道があること。

 

その先に川の下をくぐるトンネルがあったのだが、その形がどう見ても鉄道のそれだったので調べたところ、果たして駅から分岐した貨物線だった。

最近そこの工事現場の川が決壊して大騒ぎにもなった。

川の下をくぐるトンネル

鉄道に限らずいろいろな痕跡というのが好きで、城跡や旧街道なども好物だが、地形や歴史も絡む鉄道廃線跡はがいちばん面白い。

雑に生きたい

自分がどうもHSPの気質のようだと思ったのは、以前書いた通り。

何をするにも、些細な事にいちいち反応したり考えてしまったり。
運転していても、駐車場の枠線にはきちんと入れなければいけないとか、右折で待っていてなかなか車が途切れなかったりすると、後ろに申し訳ないと思ったり、やたら気を遣う。
電車に乗っていても、店で買い物していても、無意識に他の客や店員さんに遠慮してしまうところがある。

根底で一番気を使うのは、やはり人の気持ちのようで、見知らぬ他人に対してもこうなのだから、会社や家族に対してはこの比ではない。

いつも相手の考えていることや機嫌なんかが気になってしまい、極端に言うと常に顔色をうかがっているような感じになっている。
何もしていないのに、メールの返事が来ないだけで、何かやっただろうか、などと考えてしまう。

ちょっと病的な気がするが、いずれにしてもいつも気疲れしてしまいしんどくなる。
いろいろと本を読んだり話を聞いたりして、相手は自分が考えている程こちらなんか気にしていない、と頭では十分過ぎるほど分かっているのだが。

反応がなく悶々としていて、かなりたってから何事もなく返されたりすると、ほっとすると同時に、これまでの時間は何だったんだ、と思ってしまう。もちろん相手に落ち度はないのだが。

巷には相手に気遣いのない人間がごまんといる。車を運転していても電車に乗っていても、街にも会社にも。イラッと来る反面、羨ましくなる。こんなふうに生きることができたらどんなに楽だろう。

では、自分もそうなればいい。嫌われようが疎まれようが、人に迷惑をかけず、こちらの生きていく上で不都合がなければそれでいいわけだ。憎まれっ子世にはばかる、とはよく言ったものだ。人にどう思われようが意にかえさない図太さが欲しい。

雑、というと良い印象がないのだが、細かく考えたり反応しすぎてしんどくなるくらいなら、いろいろなものを放り出して多少雑に生きていくくらいの方が人間味があるような気がする。

と考えてそうなるように努力してみるのだが、生まれ持った気質を変えるのはとても難しい。いい歳になってからはなおさらだ。

四国遍路 6_6

5月4日

6日目。

5時には自然と目が覚め、今朝の朝食は何時だろうと考える。昨日の夕食は部屋食だったが、食べ終わった後の弁当箱は隣の部屋に置いておいてください、と言われたので、下げに来たときに朝食の時間を聞こうとしたが、とうとう下げに来ることなく、朝食の時間を聞きそびれてしまった。結局6時半までぼうっと過ごすことになってしまった。

朝食は1階の入り口にあるテーブルで食す。引き戸が開けられ外から丸見えだが、この宿においてはそんなこと気にもならない。宿泊客は4名(うち夫婦一組)だった。準備をして7時には出発。女将さんはこれからの行程を懇切丁寧に教えてくれた。

今日は最終日で44番が今回の打ち止め。そこまでは20キロ少々なので距離は短い。今回のスケジュールはどこで終わるかがポイントで、何とか松山まで行きたかったのだが2日ほど足りなかった。しからば45番岩屋寺まで、とも考えたが名古屋への夜行バスが松山から出る以上、いずれにしても松山まで行けないことには中途半端な終わり方になってしまう。

結局44番を打ち終えて久万高原からJRバスで松山に出ることにした。

今日も天気が良く体調もいいのでもう少しがんばるべきかとも思ったが、調子が良いときに終わるのが一番と思い、昨日の続きの国道379号線を歩いていく。
道の風景は昨日とあまり変わらないが、朝は空気が澄んでいて車も少なくとても気持ちがいい。日が高くなるにつれて気温も上がって行き、やがて薬師堂に到着。

この先の落合トンネルを抜けると県道42号線に分かれ、ますます車の少ない道になっていく。四国の山奥の県道はおおむね細く車ではしんどいだろうなと思うが、ときどき素晴らしく良い道になったりして、前後が細いのに意味があるのだろうかと思いながら、車1台通らない道の、無意味に広い歩道を歩いていく。

やがて三嶋神社に到着。近くに遍路小屋があったので休憩。今日の行程は正統の鴇田(ひわた)峠遍路道を選んだが、地図によるともう一つ、農祖峠(のうそとう)遍路道もあり、そちらにも三島神社というのがある。何か関係があるのかなと思ったが、どちらの道も通ってみたいと思う。

三嶋神社近くの遍路小屋

ここから道は次第に上りとなっていく。上畦々(かみうねうね)という変わった地名の標識のところで42号を離れると上りはきつくなっていき、やがて舗装路の終点に「鴇田峠遍路道」と書かれた道標があり、遍路道となってここから急登である。

かみうねうね

 

鴇田峠への入り口

峠道も6日目となるとすっかり慣れてきて、身体はきついものの休まずに上っていく。息を切らせながらあの曲がり角まで、とか、あの木の所まで、などと目標を決めて歩いていると、やがて舗装された車道に出、そこが標高570mの下坂場峠だった。

下坂場峠

ここから久万高原町に入りだらだら坂を下っていく。日差しがきつくなってきてのどが渇くが、うっかりしていて手持ちのペットボトルの中には水がわずか。もう一つ大きな峠を越えることになるのだが、このままでは乾きに耐えられない、どこかに自販機は?と歩いていたが、途中の小さい集落には見あたらない。どこかの家で水を分けてもらうか、などと真剣に考えていたら1カ所だけ自販機を発見できたので、ようやくお茶を購入。

やがて標高790mの鴇田峠への上りに入っていく。790mと言えば標高としてはかなり高いのだが、登りはじめが500m位なので標高差は約300m、先日の柏坂よりは低い。とはいえしんどいことには変わりないので、途中の休憩所で大休止。あたりは物音一つせず、鳥の鳴き声が聞こえてくるばかり。ここまで来ると44番まではあと5キロ。早すぎるくらいなので昼食代わりのサラミなどをかじりながらくつろぐことにする。

やがて舗装路から遍路道に入っていき、先ほどの下坂場峠と同じような感じの道を上っていく。先ほどよりは距離も長く勾配も急なような気がするが、最後の峠なので休まずに上っていくと、12時頃に鴇田峠に到着。

峠には特に何もないが、ベンチがあるので荷物を下ろして休憩。やたら虫は多いが今日は全く人に会わない。静かすぎる峠をしみじみと味わう。

誰もいない鴇田峠

峠を越えると当然道は下っていく。下りは今までの峠に比べると歩きやすく、いつもしているように、途中にある仏像一つ一つに手を合わせながら木立の中を下っていく。

やがて下界がちらちら見えてきて、13時頃久万高原の町中に入る。ここで一旦寄り道をしてJRのバス乗り場に向かい、松山行きの時刻を確かめる。調べていた通り15:41発があるのを確認した後、久万の古い町並みを歩いて行き、やがて川を越えると44番大宝寺の山門がある。

ここから大宝寺までは1キロ以上あり、ゆっくりと上り坂をのぼっていく。駐車場を越えて脇の急な道を上がると今度は立派な山門があり、脇には巨大なわらじが2足つり下げられている。この山門は車道から下にある清滝寺のような作りで、歩きでないと通れない構造は小気味がよい。

坂を上っていくと思いかけずEさんに出会う。昨日泊まった宿は豆腐屋もやっていたので食事はどんなだろうと言っておられたが、夕食は豆腐ばかりだったそうで、今朝は朝食もとらずに早立ちしたそうな。Eさんは今日この辺りで泊まり、岩屋寺から松山まで打つ予定とのことでうらやましい。しばらく話をしたあと挨拶を交わしてお別れ。またお会いすることができるだろうか。

一人石段を登って境内へ。山中にあるので境内は狭いが、その狭い境内に続々と車がやってくる。車での参拝に何の文句もないが、やってくる客は若い人ばかりで、下にちゃんとした駐車場があるのだからこのくらいの距離は歩いて欲しいと思う。

とにかく今回最後の札所なので心して参拝し、今回最後の納経。時間も早いので隅のベンチでゆっくりと休憩、またしばらく味わうことができなくなる遍路の雰囲気を堪能する。

まだ時間があるので食事でも、と思ったが特に良い店もないので、町中にある於久万(おくま)大師に足を伸ばしてみる。札所と違ってここにはだれもおらず、こういうところの方がいいなと思いながら珍しくお賽銭をいれて拝む。

誰もいない於久万大師

後はバス停に戻るだけだと歩き出したら、例の自転車おばさんの夫婦にばったり出会う。もう会うこともないだろうと思っていたのでうれしさひとしおで、しばらく立ち話。ご夫婦はずっとテント泊だが最後に1泊だけ旅館に泊まるとのことで、風呂とビールが楽しみとうれしそうだ。
最後に「ではまた、いつかどこかで」と言葉を交わしてお別れ。旅の終わりの寂しさと重なって少し涙が出そうになった。今回は深く関わった遍路が多かった。

14:30JRバス久万高原駅に到着。お遍路はここで終了。きれいなトイレがあるのでここで俗世に戻る支度をし、時間があるので土産物屋で山菜おこわを買って昼食代わりに食べる。
昨日のおこわ稲荷も旨かったが、餅米を使った料理は好物である。

松山行きのバスは定刻に出発。三坂峠から松山方面の眺望はなかなかのものだった。
道は下りきると次第に町になり、やがて松山の市街地へと入る。このバスはJR松山駅行きだが今夜の夜行バスは伊予鉄道松山市駅からの出発なので、最寄りの南堀端で下車し歩いて市駅に向かう。

たっぷり時間があるので風呂に入ろうと思う。前回の高知と違って今回は松山、松山と言えば道後温泉。松山は学生時代に兄が住んでいたところで、何回か遊びに来たときに本館ではないいい温泉に連れて行ってもらっていたので、そこに向かうべく荷物をコインロッカーに入れ市電で道後温泉に向かう。

伊予鉄道坊っちゃん列車

終点の道後温泉駅で下車し、見覚えのある懐かしい商店街を抜け「椿の湯」へ。外も中も20年前の趣を残しているのがうれしく、360円也を払って中へ入る。温泉を堪能してから商店街をそぞろ歩きし、土産に名物のタルトと母恵夢(ぽえむ)を購入。

せっかくだからと道後温泉本館をのぞいていくが、こちらは観光客でとんでもない行列になっていて、これではせっかく風呂に入れても落ち着いて湯に浸かれないのでは、と思ってしまう。ふたたび市電で市駅に戻り、駅近くの居酒屋に入って無事に終わった遍路旅にひとり乾杯。定刻出発の名古屋行きのバスでは熟睡することができた。

今回もトータルで6日間、約170キロの旅は天候にも恵まれ大きなトラブルもなく終了した。44番まで回れたことで、札所は数の上では半分、距離では3分の2まで来たことになる。

四国遍路 6_5

5月3日

5日目。

今日は峠もなく一番楽な行程なので、朝はゆっくりしようと思ったのだが、朝食をつい6時と言ってしまったので5時過ぎに起きる。とは言っても、今日まで毎日目覚ましが鳴る前に起きてしまうのだが。

朝食ではEさんや栃木から来たという車遍路のご夫婦と談笑し、部屋に戻って足の手入れ。マメはすっかり鳴りを潜めているが、念のためテーピングをしておく。

7時出発。ちょうどEさんも出発するところだったので、何となく同行することになった。人と同行するのは初回以来だ。宿の玄関に誰かが杖を忘れており、ご主人がそれらしき人に連絡を取ると、大洲を観光しているので後でとりに来るとのことらしい。私も杖を忘れたことがあるので人のことは言えない。

大洲の町中を歩いていく。今回の行程では宇和島についで大きな町で、国道沿いにはよく見るチェーン店などが並んでいる。こういう町中の国道は退屈なので、同行の人と話しながら進むのはありがたい。このEさんは同郷兵庫県芦屋の人で、行きの夜行バスも車両こと違ったが同じ便だったらしい。宿も前述のとおり3泊も同じでなかなか縁がある。

1時間ほど歩くと、大洲の町外れの別格番外である十夜ケ橋永徳寺に到着。十夜ケ橋は歩き遍路のシンボル的な聖地とも言うべきところで、かつて弘法大師が旅の途中どうしても宿を取ることができず、この橋の下で空腹のまま野宿したという場所であるとのこと。寒さと空腹に加え橋を歩く人の音で眠れず、一夜が十夜のように長く感じたというのが橋の名の由来になっている。今でも歩き遍路が橋の上で杖を突かないのは、ここの逸話が由来だそうだ。

十夜ヶ橋の大師像

そんな重要な所なのだが、今は交通量の激しい国道56号線のコンクリート橋の下にあり、さらにその上にはバイパスまで通っていて、いにしえの趣はまったくない。それでも朝から遍路が多く拝んでいて、私も番外では珍しく般若心境を唱える。寝そべった姿をした大師像には暖かそうな布団がたくさん掛けられ、ここでは野宿修行もできるとのこと。

ここからもしばらく国道を歩くとやがて旧道にはいり、神南堂という遍路小屋で休憩。ここはトイレもないのになぜかお風呂があって沸かせる様になっている。
休憩していると小柄な若い女性が入ってきた。歩き遍路で若い女性は珍しいが、話を聞いていると大阪から来た人で、昨日宇和島から来て同じT旅館に泊まったとのことで、何と40キロ以上歩いたことになる。昨日は夜も7時半に到着したらしいが、どうも大変なスタミナの持ち主だ。ちなみに杖を忘れたのはこの人で、これだけ歩いてさらに観光までするのだから見上げたものである。

ここから何となく3人で歩くことになり、ふたたび国道を進む。3人になると話も弾み、脇道にあった大師堂で写真を撮りあったりしてピクニック気分になる。この女性は今でこそ私と同じようにGWのみ歩いているそうだが、以前は盆や正月も歩いたらしい。盆は暑さで倒れそうになり、正月は吹雪に見舞われたりして、いずれもやめたそうだが、無理もない話だ。

3人道連れ

やがて道は国道から逸れ、今日の行程唯一の遍路道に入る。といっても峠ではなく非常に歩きやすい道。すぐに舗装路になったが、途中にある野球場では高校球児が全員こちらを向いて大声で挨拶してきたのでうろたえてしまった。

やがて内子の町に入る。ここは大洲や卯之町と同様、昔の町並みが観光地となっていて、女性もここを観光するのが楽しみだとか。内子の代表的な名所の「内子座」という芝居小屋で女性と別れ、Eさんと二人になって観光客の多い内子の町並みを歩いていく。

内子座の味のある建物

町を外れたところで道の駅があったので入っていくが、結構な車の量でベンチもすべて観光客に占領されていて腰を下ろすところがない。敷地の端にある何かのボックスの上に荷物を置き、何か食べるものはないかと市場に入っていく。結局よもぎまんじゅうとおこわ稲荷を購入し、その場で食べて昼食とする。

歩き遍路は完全に浮いていて長居しにくい雰囲気なので早々に出発。ここからは国道379号線にそって延々と歩く。日差しも強く次第にばててきて口数も少なくなってくる。
いつも書くことだが、午後のこういう道は一番苦手で、なかなか先に進まない感じがする。退屈なのでいろいろなことを考えるが、考えていると時間がたつのが遅く、全然進んでいない感じがする。とりあえず長岡山トンネルを抜けたところにある休憩所を目指す。

12時30分をすぎてようやく休憩所に到着。ここは宿泊もできる施設で近所の人が管理してくれているらしい。「宿泊は2泊まででお願いします」と書いてあるが、2泊もする人がいるのだろうか?

畳敷きになっていて布団まで用意してあるところで、二人とも靴を脱いで寝そべる。Eさんはすぐに眠ってしまい、私もしばしまどろみ、大いに元気を取り戻す。ここへ続々と後続の遍路が到着。自転車のおばさんもやってきて話をしていたら、この間とは別の外人遍路も到着。今回は他にも外人を見かけたが、結構多いものだと思う。

一足先に出発。元気になったとはいえ道も風景も変わらず、時々旧道に入って町並みを通るくらいで変化に乏しい。大瀬の集落でもう一度休憩するが、どちらかといえば精神的にしんどい。

道は平凡だが、きれいな川に沿って歩く

15時、楽水大師を過ぎるとEさんが宿泊する宿が見えてくる。Eさんとはここで別れ、私の宿はあと2キロほど先にある。一人になると上り坂というのもあって、つらさが倍増する感がする。ようやく突合(つきあわせ)の集落に入ると、車いすのおじさんが話しかけてきた。いろいろ話をした後、集落に入っていき、本日の宿であるかなり古びた感のS屋旅館に到着。

声をかけながら入っていくと、店先で(ここは食堂にもなっているようだ)ご主人と女将さんと覚しき人が、相当に年季が入っているパスタマシンのような道具でなにやら一生懸命作っている。
「ちょっと待ってね」というので、上り框に腰を下ろして作業を見ていると、
「うどんを打ってるんよ」
と説明してくれる。

面白そうな作業をしばらく見ていたがこちらのことは放置状態で、せめて部屋に上がれんかなと思っているとしばらくして、すっかり忘れていた、という風情でご主人が案内してくれた。
「頭をぶつけないように」
という階段はかつてないくらい急で、膝をやられていたら降りるのが困難だろうなと思わせるほどである。通された部屋はテレビこそあるがエアコンがなく、西日がまともに当たってむっとしている。

とりあえず浴衣に着替え、用意してある扇風機を付けて一息。洗濯は階下にある全自動で行うが、風呂はと聞くともうしばらく待って欲しいとのこと。5時頃になってようやく準備ができたとのことで風呂に行くが、脱衣所との間に扉はなく、湯船の蓋をとって入ろうとするとポチャンと蜘蛛が落ちてきたりと、なかなかワイルドである。

風呂から上がって気づいたのだが、どうも建物全体が傾いているらしく、立っているとある方向に身体が引っ張られる感じがする。ここは宿というより田舎のおばあちゃんの家に泊まりに来たような感覚で、かえって何となく楽しい。

田舎のおばあちゃんちのような宿

食事はいったいどんなものかと思っていたら、何と部屋に持ってきてくれた。今までで部屋食といえば徳島で一度あったきりなので驚いた。食事はたしかに豪勢ではないが、手作り感満載のもので味も悪くない。さっき打っていたうどんはどうなったのかと思ったら、続けて持ってきてくれた。

風呂に入って食事をしたらもうすることはない。ぐずぐずとテレビを見ていたら隣の部屋の明かりが消えたので、こちらも寝ることにする。この宿は隣とはふすま1枚で、何もかも筒抜けなのだ。いびきをかいて迷惑をかけなければいいが、などと思いながら眠りにつく。

今日の歩行は26キロだが、歩数はそれでも50000歩。最近歩幅が小さくなったのだろうか。

四国遍路 6_4

5月2日

4日目。

今日は朝食が6時なので、5時には起床する。コースとしては距離が長く峠が2つある今日が一番ハードなので、早立ちするに越したことはない。朝食は目玉焼きとウインナーがあり久々の洋食だが、さすが愛媛、どこでもかならずジャコ天がある。出立の準備をするが、どうも足のマメが心配なので、ジェル絆創膏を貼っておく。

6時40分宿を出発。宿を出てすぐに一つ目の峠である歯長峠への遍路道に入っていく。今日も申し分ない快晴で、ハードな道のりだけにありがたい。

快晴の下、シンメトリーな池



身体が慣れないうちに結構きつい上り坂だったが、噂に聞く鎖場ではないのでまだ序の口で、その後いったん県道に出る。

しばらく舗装路を歩いた後、いよいよメインイベントとなる。鎖場が続く急登はさすがに勾配がきつい。勾配の角度としてはピカイチで、今まででもっとも急な感じだが、それでも休まずに登っていく。幸い距離はそんなになく、緩やかになった道を、息を整えながら歩いていく。

歯長峠への鎖場

7:30歯長峠到着。展望がよく海が見えて気持ちよい。汗だくの身体をしばらく休ませた後は下りに入るが、今度はだらだらとメリハリのない道。今回の峠は上りは急だが下りはだらだら、という峠ばかりだ。道もザレ場とか滑りやすい道ばかりで、歩きにくいことおびただしい。
いい加減イヤになった頃、ダメ押しで高速道路の工事現場横に真新しい階段が出現。下りの階段というのは膝にもっとも負担が来るので辛い。ようやく集落に出て、歯長地蔵横の遍路小屋で休憩。

高速道路の工事現場横を下っていく

ここからは交通量の多い道をずっと歩いていく。やがて町中に入り、宇和高校横を上がって行くと43番へと続いていくが、手前に400mばかり急登があり油断ができない。
汗をかきかき、9:40に43番札所明石寺に到着。ゆっくり拝んで納経所に行くが、今日は参拝客が多く列ができている。納経もすんでベンチでゆっくりしていると、顔見知りの歩き遍路が集結している。
Y屋旅館で同宿だったお兄さんと話をするが、彼はここで打ち終わりとのこと。T屋でも同じだった芦屋から来たEさんとも話をする。この人とは今夜も同じ宿とのこと。一足先に出発する。

ここも遍路道はすぐ山道に入るので、案内を確かめながら遍路道に入る。ここからは下りだと思っていたらもう一山越えるらしい。いきなり急登で峠を越えると卯之町の市街におりていく。卯之町は町並みが見所のようで、観光客でいっぱいだ。店などに寄るつもりもないのでそのまま先へ歩いていく。

卯之町の町並み

町を抜けるとまたまた56号線を歩いていくが、いよいよ足の裏が具合悪い。休憩するところもないので確認もできないが、ドラッグストアを探して湿布と絆創膏を購入しておく。

かなり歩いたところで神社を見つけ、本殿横で腰を下ろして休憩。靴下を脱いでみると、とうとう右足の裏がマメになっていた。しかし同様に痛かった左足は逆に何ともなくなっていて、自分の歩き方がおかしいのだろうかと思う。とにかくマメになってしまったのなら仕方ない。今日はこのまま歩いてマメを育て、宿で治療することにしよう。

マメができてしまったことでかえって開き直って歩いていく。今日はあまり余裕もないので歩きながらコンビニで買ったおにぎりをほおばる。足は痛いし日差しは強く、身体はきついのだが、ある集落で「お遍路さーん」と呼び止められ、ミカンを接待いただき多少元気が復活。

ようやく二つ目の峠である鳥坂峠麓に到着。疲れとマメでかなり気持ちが萎えてしまっていて、道案内もこのまま国道トンネルを抜ければ20分、峠を越すと60分とあるのでフラフラと国道へ行きかけるが、思いとどまって峠への道を選ぶことにする。
心の中では楽な国道へ行こうという声があるが、それを無視して足は勝手に鳥坂峠遍路道へ。やがて峠の入り口にさしかかり、東屋があったので休憩。とにかく疲れた。

気力が底をついてきているような感じだが、それでも残り少ない気力を振り絞って出発、峠への急勾配を登っていく。

息を切らせて歩きながら考える。なぜこんな道を歩くのだろうか?歩き遍路に来たのだから当然と言えば当然だが、楽な道があるのならそちらに行けば良い。別に修行しているつもりもないし、峠の景色がいいわけでもないし・・・結局好奇心なのだろうと思う。行かなければ行かなかった道が後々気になって仕方なくなるのが分かっているのだ。それに看板にもあったではないか、「痛くても辛くても歩ける喜び」と。歩き遍路というのは贅沢なものなのだ。

そんなことを考えているとやがて鳥坂峠に到着。特に何もないので下りに入るが、この峠は下りがかなり急で、途中コンクリートのスロープがあったりしていて辛いの何の。これならまだ階段にしてくれた方がましだと思いながらジグを切って下っていく。とにかく足のマメに負担がかかる!

鳥坂峠からの眺望

ようやく下りきると国道へ続く分岐となる。どうしようかと迷ったが、国道は車がうるさそうなのでそのまま遍路道を進む。人っ子一人いない道の脇には延々と椎茸のホダ木が並べてある。だらだらとダート道を歩いた後は、お約束の急勾配。先ほど同様コンクリートの下りになっていて、とにかく辛い。

国道に出てしばらくするとカラオケ屋があり、その裏でEさんと連れが休んでいたので、声をかけて横に腰を下ろすことにする。今日の目的地は大洲で、ここから1時間くらいだと話していたのだが、それはいつものように甘い見積もりだったようで、国道を下っても川沿いの道を延々と歩いても一向に町に着く気配がない。
それでも頑張って進み肱川が見えてくるとゴールも近く、やがて路地に入ると観光客が多く大洲の市街に入っていく。夕日をバックに大洲城を眺めながら肱川橋を渡り、ようやく今夜の宿のT旅館に到着。

肱川大洲城

T旅館は若いご夫婦が経営していて、暖かく迎えてくれる。宿も真ん中に鯉が泳いでいる池を巡って建てられた珍しい作り。部屋にはマメの治療用に絆創膏やつついて水を出すための針まで用意してあって、歩き遍路のことをとても考えてくれていてありがたい。よくまあこんなタイミングでマメができたものだとも思う。

風呂に入ったあとマメの治療を行う。穴を開けて水を出し、そこへ借りた消毒液を流し込むが、これがかなりシミる。それでも絆創膏を貼りテーピングで圧迫すると完了。お遍路を始めるに当たってマメについて研究していたが、今頃になって役に立つとは思わなかった。

食事もとてもおいしく、竹に太刀魚を巻いて焼いた珍しい料理もあった。今日はがんばったのでビールを飲むことにする。乾いた身体にビールが染みこんでいくようだった。同宿のEさんと話をしながら情報交換。この人とはY屋旅館、T屋とこのT旅館でも同宿で、ほぼ同じ行程なのかしょっちゅう出会っていた人である。

本日の歩行は31キロで64600歩にのぼった。峠を2つ越えてこの歩数では疲れるはずである。
ちなみに消費カロリーは2072kcal、まともに歩けば55キロと出た。

草刈り

農業ボランティア恒例、草刈りの季節がやってきた。

 

雑草はあっという間に大きくなる。市民農園でも道端でも、じっと見ていると成長するのがわかるのではないかというくらい、すごい勢いで雑草ははびこる。

「雑草」という植物はないなどという言葉があるが、農作物を作っている人にとってはやはり雑草は迷惑な存在だ。

 

気候が暑くなってくると草刈りの季節で、この週末に農村へ行ってきた。

 

10数年やっているので勝手知ったる作業で、草刈り機を借り混合油を給油して、いつもの畑に行く。村の人と打ち合わせしたあとは、指示された畝の雑草を刈っていくのみ。

今回選んだ草刈り機はやたら振動があり、刃のチップもとれているのか切れ味が今ひとつよくない。それでも作業に入ってしまったので、順序よく刈っていく。

 

雑草は味気ない緑一色だが、時々花が咲くものもある。今回は見慣れない花が結構咲いていて、花には詳しくないので後で調べてみると、ホタルブクロというらしい。きれいな花だが邪魔なことには変わりないので、情け容赦なく刈っていく。

ホタルブクロ

午前中にこちらの畑は終了。公民館に戻って昼食をとり、お茶を飲みながら談笑する。この地区に限らず農村は高齢化がすすみ(自分もいい歳だが)、このような作業もいつまでできるかといった話になってしまう。

 

午後は一部壊れた金網を修理し、その後は引き続き草刈り。結構なヤブになっているところがあたり、チップのとれた刃では文字通り刃が立たないので、草刈り機を交換。見違えるように切れるようになり、開拓をするかのように切り開いていくのは気持ちがいいものだ。

 

夕方まで頑張り汗だくになり、遠方から来ているボランティアは終了。シャワーを浴びて帰途につく。

 

草刈りはウオーキングと同様、同じ作業を延々と行うので、次第に何も考えなくなる。脳にとっては瞑想と同じような感覚で、体はしんどいが頭が空っぽになって爽快だ。座禅を組むくらいなら草刈りをやったほうがいい。地元の役にも立つし、刈った後の畝を見ると達成感がいい。

刈った後の畝