OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

草刈り

農業ボランティア恒例、草刈りの季節がやってきた。

 

雑草はあっという間に大きくなる。市民農園でも道端でも、じっと見ていると成長するのがわかるのではないかというくらい、すごい勢いで雑草ははびこる。

「雑草」という植物はないなどという言葉があるが、農作物を作っている人にとってはやはり雑草は迷惑な存在だ。

 

気候が暑くなってくると草刈りの季節で、この週末に農村へ行ってきた。

 

10数年やっているので勝手知ったる作業で、草刈り機を借り混合油を給油して、いつもの畑に行く。村の人と打ち合わせしたあとは、指示された畝の雑草を刈っていくのみ。

今回選んだ草刈り機はやたら振動があり、刃のチップもとれているのか切れ味が今ひとつよくない。それでも作業に入ってしまったので、順序よく刈っていく。

 

雑草は味気ない緑一色だが、時々花が咲くものもある。今回は見慣れない花が結構咲いていて、花には詳しくないので後で調べてみると、ホタルブクロというらしい。きれいな花だが邪魔なことには変わりないので、情け容赦なく刈っていく。

ホタルブクロ

午前中にこちらの畑は終了。公民館に戻って昼食をとり、お茶を飲みながら談笑する。この地区に限らず農村は高齢化がすすみ(自分もいい歳だが)、このような作業もいつまでできるかといった話になってしまう。

 

午後は一部壊れた金網を修理し、その後は引き続き草刈り。結構なヤブになっているところがあたり、チップのとれた刃では文字通り刃が立たないので、草刈り機を交換。見違えるように切れるようになり、開拓をするかのように切り開いていくのは気持ちがいいものだ。

 

夕方まで頑張り汗だくになり、遠方から来ているボランティアは終了。シャワーを浴びて帰途につく。

 

草刈りはウオーキングと同様、同じ作業を延々と行うので、次第に何も考えなくなる。脳にとっては瞑想と同じような感覚で、体はしんどいが頭が空っぽになって爽快だ。座禅を組むくらいなら草刈りをやったほうがいい。地元の役にも立つし、刈った後の畝を見ると達成感がいい。

刈った後の畝