OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 6_5

5月3日

5日目。

今日は峠もなく一番楽な行程なので、朝はゆっくりしようと思ったのだが、朝食をつい6時と言ってしまったので5時過ぎに起きる。とは言っても、今日まで毎日目覚ましが鳴る前に起きてしまうのだが。

朝食ではEさんや栃木から来たという車遍路のご夫婦と談笑し、部屋に戻って足の手入れ。マメはすっかり鳴りを潜めているが、念のためテーピングをしておく。

7時出発。ちょうどEさんも出発するところだったので、何となく同行することになった。人と同行するのは初回以来だ。宿の玄関に誰かが杖を忘れており、ご主人がそれらしき人に連絡を取ると、大洲を観光しているので後でとりに来るとのことらしい。私も杖を忘れたことがあるので人のことは言えない。

大洲の町中を歩いていく。今回の行程では宇和島についで大きな町で、国道沿いにはよく見るチェーン店などが並んでいる。こういう町中の国道は退屈なので、同行の人と話しながら進むのはありがたい。このEさんは同郷兵庫県芦屋の人で、行きの夜行バスも車両こと違ったが同じ便だったらしい。宿も前述のとおり3泊も同じでなかなか縁がある。

1時間ほど歩くと、大洲の町外れの別格番外である十夜ケ橋永徳寺に到着。十夜ケ橋は歩き遍路のシンボル的な聖地とも言うべきところで、かつて弘法大師が旅の途中どうしても宿を取ることができず、この橋の下で空腹のまま野宿したという場所であるとのこと。寒さと空腹に加え橋を歩く人の音で眠れず、一夜が十夜のように長く感じたというのが橋の名の由来になっている。今でも歩き遍路が橋の上で杖を突かないのは、ここの逸話が由来だそうだ。

十夜ヶ橋の大師像

そんな重要な所なのだが、今は交通量の激しい国道56号線のコンクリート橋の下にあり、さらにその上にはバイパスまで通っていて、いにしえの趣はまったくない。それでも朝から遍路が多く拝んでいて、私も番外では珍しく般若心境を唱える。寝そべった姿をした大師像には暖かそうな布団がたくさん掛けられ、ここでは野宿修行もできるとのこと。

ここからもしばらく国道を歩くとやがて旧道にはいり、神南堂という遍路小屋で休憩。ここはトイレもないのになぜかお風呂があって沸かせる様になっている。
休憩していると小柄な若い女性が入ってきた。歩き遍路で若い女性は珍しいが、話を聞いていると大阪から来た人で、昨日宇和島から来て同じT旅館に泊まったとのことで、何と40キロ以上歩いたことになる。昨日は夜も7時半に到着したらしいが、どうも大変なスタミナの持ち主だ。ちなみに杖を忘れたのはこの人で、これだけ歩いてさらに観光までするのだから見上げたものである。

ここから何となく3人で歩くことになり、ふたたび国道を進む。3人になると話も弾み、脇道にあった大師堂で写真を撮りあったりしてピクニック気分になる。この女性は今でこそ私と同じようにGWのみ歩いているそうだが、以前は盆や正月も歩いたらしい。盆は暑さで倒れそうになり、正月は吹雪に見舞われたりして、いずれもやめたそうだが、無理もない話だ。

3人道連れ

やがて道は国道から逸れ、今日の行程唯一の遍路道に入る。といっても峠ではなく非常に歩きやすい道。すぐに舗装路になったが、途中にある野球場では高校球児が全員こちらを向いて大声で挨拶してきたのでうろたえてしまった。

やがて内子の町に入る。ここは大洲や卯之町と同様、昔の町並みが観光地となっていて、女性もここを観光するのが楽しみだとか。内子の代表的な名所の「内子座」という芝居小屋で女性と別れ、Eさんと二人になって観光客の多い内子の町並みを歩いていく。

内子座の味のある建物

町を外れたところで道の駅があったので入っていくが、結構な車の量でベンチもすべて観光客に占領されていて腰を下ろすところがない。敷地の端にある何かのボックスの上に荷物を置き、何か食べるものはないかと市場に入っていく。結局よもぎまんじゅうとおこわ稲荷を購入し、その場で食べて昼食とする。

歩き遍路は完全に浮いていて長居しにくい雰囲気なので早々に出発。ここからは国道379号線にそって延々と歩く。日差しも強く次第にばててきて口数も少なくなってくる。
いつも書くことだが、午後のこういう道は一番苦手で、なかなか先に進まない感じがする。退屈なのでいろいろなことを考えるが、考えていると時間がたつのが遅く、全然進んでいない感じがする。とりあえず長岡山トンネルを抜けたところにある休憩所を目指す。

12時30分をすぎてようやく休憩所に到着。ここは宿泊もできる施設で近所の人が管理してくれているらしい。「宿泊は2泊まででお願いします」と書いてあるが、2泊もする人がいるのだろうか?

畳敷きになっていて布団まで用意してあるところで、二人とも靴を脱いで寝そべる。Eさんはすぐに眠ってしまい、私もしばしまどろみ、大いに元気を取り戻す。ここへ続々と後続の遍路が到着。自転車のおばさんもやってきて話をしていたら、この間とは別の外人遍路も到着。今回は他にも外人を見かけたが、結構多いものだと思う。

一足先に出発。元気になったとはいえ道も風景も変わらず、時々旧道に入って町並みを通るくらいで変化に乏しい。大瀬の集落でもう一度休憩するが、どちらかといえば精神的にしんどい。

道は平凡だが、きれいな川に沿って歩く

15時、楽水大師を過ぎるとEさんが宿泊する宿が見えてくる。Eさんとはここで別れ、私の宿はあと2キロほど先にある。一人になると上り坂というのもあって、つらさが倍増する感がする。ようやく突合(つきあわせ)の集落に入ると、車いすのおじさんが話しかけてきた。いろいろ話をした後、集落に入っていき、本日の宿であるかなり古びた感のS屋旅館に到着。

声をかけながら入っていくと、店先で(ここは食堂にもなっているようだ)ご主人と女将さんと覚しき人が、相当に年季が入っているパスタマシンのような道具でなにやら一生懸命作っている。
「ちょっと待ってね」というので、上り框に腰を下ろして作業を見ていると、
「うどんを打ってるんよ」
と説明してくれる。

面白そうな作業をしばらく見ていたがこちらのことは放置状態で、せめて部屋に上がれんかなと思っているとしばらくして、すっかり忘れていた、という風情でご主人が案内してくれた。
「頭をぶつけないように」
という階段はかつてないくらい急で、膝をやられていたら降りるのが困難だろうなと思わせるほどである。通された部屋はテレビこそあるがエアコンがなく、西日がまともに当たってむっとしている。

とりあえず浴衣に着替え、用意してある扇風機を付けて一息。洗濯は階下にある全自動で行うが、風呂はと聞くともうしばらく待って欲しいとのこと。5時頃になってようやく準備ができたとのことで風呂に行くが、脱衣所との間に扉はなく、湯船の蓋をとって入ろうとするとポチャンと蜘蛛が落ちてきたりと、なかなかワイルドである。

風呂から上がって気づいたのだが、どうも建物全体が傾いているらしく、立っているとある方向に身体が引っ張られる感じがする。ここは宿というより田舎のおばあちゃんの家に泊まりに来たような感覚で、かえって何となく楽しい。

田舎のおばあちゃんちのような宿

食事はいったいどんなものかと思っていたら、何と部屋に持ってきてくれた。今までで部屋食といえば徳島で一度あったきりなので驚いた。食事はたしかに豪勢ではないが、手作り感満載のもので味も悪くない。さっき打っていたうどんはどうなったのかと思ったら、続けて持ってきてくれた。

風呂に入って食事をしたらもうすることはない。ぐずぐずとテレビを見ていたら隣の部屋の明かりが消えたので、こちらも寝ることにする。この宿は隣とはふすま1枚で、何もかも筒抜けなのだ。いびきをかいて迷惑をかけなければいいが、などと思いながら眠りにつく。

今日の歩行は26キロだが、歩数はそれでも50000歩。最近歩幅が小さくなったのだろうか。