OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 8_2

11月4日

2日目

昨夜は例によって21時頃に就寝、いつもなら3時くらいには目が覚めてしまうのだが、今回はきっちり5時まで目が覚めなかった。昨日は初日でしんどかったのは間違いないが、ほとんどアップダウンがない平坦な道だったのだが・・・。

さて、今回のハイライトは2日目にして今日より他にない。なにせ標高900mと札所中最高の標高を誇る雲辺寺が控えているのだが、その手前の三角寺も500mあるのだ。つまり0から始まり500m迄上り、その後100mまで下った後再度900m迄上り、最後は170mまで下ってくる。改めて数字にするとなかなかの標高差である。

今回のスケジュールのキモはここで、三島から始めた場合、三角寺のあと麓の佐野にある一軒宿に泊まり、翌日雲辺寺まで上るというのが一般的だ。ただ、その場合1日目が短く後にしわ寄せが来るのと、この一軒宿が結構混むと聞いていたので、思い切って冒険することにした。

6時に朝食を一人わびしくいただき、6時半に女将さんに見送られて出発。今日は天気がいいので非常にありがたい。早速コンビニを発見し昼食のおにぎりを仕入れ、三島の町を抜ける。山に近づくと次第に坂になっていき、高速道路の下をくぐってしばらく行くと、戸川公園に到着。一旦ザックを下ろし、これからの難所に備えて準備。ここからどんどん高度を上げていくがまだまだ民家は続く。次第に見晴らしが良くなってきて、ミカン畑が始まると遍路道に突入。道は急だがやはりアスファルト道よりは感触がうれしい。息を切らせながら上っていく。

500mというと例の鶴林寺太龍寺に匹敵する結構な高さだが、まだまだ体力を残したまま車道に出る。ここからしばらく歩くと8:30に65番札所の三角寺に到着。ここは伊予最後の札所で感無量だが、道からは見上げるような石段で、最後まで気が抜けない。

ため息が出る三角時の石段

一歩一歩石段を踏みしめ菩提の道場の終わりを実感し、山門前でふと振り返ると・・・そこには恐怖の団体が!これはいかんと慌てて納経所に走る。本来は読経の後に納経なのだが、そんなことは言っていられない。納経を済ませて東屋で休んでいると、先達に連れられた団体が本堂に大挙してやってきて、耳障りなホラ貝の音と共に盛大な読経が始まった。

普段なら団体が去るまでゆっくりするのだが、今日はまだまだ先が長い。何があるか分からないので先を急ぐに越したことはない。順序は逆だが団体と被らないように大師堂から読経し、その後人がいなくなった本堂へ。最後に水屋を見つけて手を洗う、と順序が全く逆だった。

9:00に出発。ここからはアスファルト道がだらだら下っていく。車が全く来ないと思ったら少し先で道路が陥没していて通行止めだった。道そのものは退屈だが三島や川之江の町がよく見えるので、時々景色を堪能しながら歩く。

川之江方面の眺望

道路が陥没していた

次第に山を下っていき、里山に入ってきた頃に休憩所があったので一服。ここでご夫婦の遍路に出会う。ここでは挨拶だけだったが、この後結構ご縁ができるご夫婦だった。引き続き心和む里山の景色の中を歩いていく。

ほっこりするお遍路休憩所

高知道の高架下をくぐりしばらく行くと、番外霊場14番の常福寺椿堂に到着。そんなに広くない境内だがベンチを見つけ、これからの本番に備えて靴を脱いで大休止。お寺の方に缶ジュースをお接待していただいた。ここからはしばらく国道沿いに歩く。日差しが出てくるし車は多いしずっと上り坂だし、まだ本番前というのに思いのほか道程が辛い。分岐点である七田までは休まず行く積もりだったが、屋根付きのバス停があったので一息入れることにする。

さて、雲辺寺へ登るのにはいくつかコースがある。曼陀峠道、境目峠道、佐野道の3つである。そのうち佐野道は例の一軒宿に泊まらないと意味がないので却下。曼陀峠道が本来の遍路道だとのことでそのコースにするつもりだった。ところが歩きながら地図をよく見ると、この道はいったん570mまで上った後520mまで50mも下っているのである。上りの最中に下るとか下りの最中に上るとかいうのが大嫌いなので一気に萎えてしまい、距離は長いが多少緩やかだという境目峠道に急遽切り替え。この道でも曼陀峠は越えるのでよしとする。

国道から分かれると遍路道に入るが、出し抜けに「緩やか」とはかけ離れたツヅラ折れの急登が現れる。一気に400m足らずまで駆け上がることになるが、杖にすがりながら汗だくになりつつも休まず上り続けて車道に出る。車道に出たとたん頭上から大音響でチャイムが鳴って驚いたが、ちょうど12時だった。ここからは緩やかな車道を歩く。

いきなりのつづら折れ

やがて愛媛と徳島の県境を越える。まだ香川ではなくいったん徳島に入るのだが、正確に言うと雲辺寺は讃岐ではなく阿波に属するのである。いずれにしても菩提の道場伊予の国はここで終了。この境目峠から遍路道に分かれ、ここからだらだら上っていく。

歩きやすくていい道だが休むところがない。せめて切り株でもあればいいのだがそれもないし、2日続けて歩きながらの食事は勘弁してほしいと思っていたら、朽ちかけた木のはしごがあったので、踏み抜かないか確認した後そこに腰を下ろしておにぎりをむさぼる。さらに歩き続け、いい加減うんざりしてきた頃に車道に合流。ここには曼陀峠道も合流するが、遙か上方から降りてくる道だったので通らなくて正解だった。

ここからは車道なので多少楽になるかと思っていたが、じつは本当にきついのはここからだった。6.5キロで360mの標高差。道そのものは気持ちの良い尾根道なのだが、いつまでも断続的に上りが続き、特に後半は推定10%くらいの上りが途切れなく続き、どんどん体力を奪っていく。途中で旧曼陀峠を越え、佐野からの遍路道に合流するが休まず進む。息も絶え絶えになったころ分岐点に到着、ここからさらに急な遍路道を上っていくが、最後の500mくらいは限界だった。

果てしなく続く上り道

15時、とうとう66番雲辺寺に到着。雲の辺りの寺とはよくいったもので、確かに空に近い感じがする。
それにしてもきつかった。よく考えたら横峰でも神峯でもきついのは1時間かそこらですむのだが、今日は10キロくらいのあいだずっと息を切らしており、11時くらいからずっと辛い状態だった。それでも時間に余裕があまりないので、ほとんど休まずに上ってきたのだが、我ながらよく頑張った。

苦労して着いた札所だが、なにやら工事中で落ち着かないし、本堂もぴかぴかしていて逆に味気ない。ベンチもほとんどなく歩き遍路には素っ気ないようなイメージがする。いずれにしても長いこと休憩する時間もないので早々に出発することにする。この時点で15:40。宿に電話しここからは4キロくらいだからと、17時くらいですかね、などと気楽に連絡して出発したが、これが甘々の読みだったことを後で思い知ることになる。

雲辺寺は等身大の五百羅漢があると聞いていてどこにあるのかと思ったら、遍路道に沿って延々と置いてある。どれも表情豊かで一つとして同じ物はなく、かなり見応えがあったが、ゆっくり見過ぎてしまい、山を下り始めたのは16時を大きく過ぎてしまった。

下りはじめてよく考えてみたら、ここは標高900m。宿のあるところは170mだから標高差は730mもある。これを4キロかそこらで下るのだから、その過酷さは推して知るべし。果たして下っても下っても延々と坂は続く。腕時計の高度計を睨みながら下っていくが、憎たらしいくらいに数字は減らないし、頻繁に出てくる道標に距離が書いてあるが、相当下ったつもりでも実際にはわずかしか進んでいないのを見ると意気消沈してしまう。

下りは膝にくるし以前痛い目に遭っているので最初は慎重に下っていたが、だんだんいらいらしてきて次第に速度が上がっていく。しかも今は11月。いつも来るのは5月だったので、今回は日が短い時期だということを失念していた。到着予定の17時を過ぎても道が終わる筈もなく、日が沈むとただでさえ暗い山道がさらに暗くなっていく。最後は駆け下りんばかりに下っていき、17:30をかなり過ぎてようやく麓に到着。ほっとしてようやく平坦になった道を急ぐが、冷静になって考えてみるとよく膝が保ったな、と、よくこけなかったことだと(実際一度滑り落ちかけた)ぞっとする。

日が暮れかけているのにこの標高

18時近くになってすっかり暗くなった中、民宿A屋に到着。ご夫婦が気持ちよく迎えてくれる。大洲のT旅館や久万高原のT庵と同じく歩き遍路に親切な宿のようだ。靴を脱ぎながら宿のご主人に今日の顛末を話したが、66番からは普通でもやはり2時間以上かかるとのことで、よく無事に降りて来られたなと思う。天気が良かったのもありがたかった。雨が降っていたら無事では済まなかったかもしれない。

風呂、洗濯のゴールデンコースのあと夕食。ここには例のご夫婦や一人歩きの方など、結構多くの遍路がいたので、和気藹々と会話も弾む。食事も揚げたての天ぷらやウナギなど豪華で、厳しい1日だっただけにうれしさひとしおである。

ここまでの歩行は55,000歩、31キロ。難所を2つも越えてこの距離だから、我ながら本当によく頑張ったと思う。今日は夢中で歩いた1日だったが、長かった菩提の道場を終えて、とうとう最後の「涅槃の道場」に突入した。

四国遍路 8_1

11月3日

久々に秋の遍路に出ることにした。
飛び石連休に休暇を足して5連休を確保。関西からは四国への往復もしやすいので、効率よく5日フルに動く計画を立てる。ただ、またして最終どこまで行けるかいくつものパターンが出来てしまい、その時の状況に応じて臨機応変に対応するしかない。とりあえず宿だけは確定しておいたが。

早朝の電車で新大阪駅へ。けっこう駅は混雑していて、同じように連休をとった人たちだろうか。ひかりレールスターで岡山に向かい特急しおかぜに乗換え、瀬戸大橋を渡って四国に入り、9時ちょうどに前回終了地の新居浜に到着。半年前と全く変わらない佇まいだ。今回は家から全て準備していったので、駅では準備運動をする程度でさっそく歩きに入る。

新居浜駅は遍路道である讃岐街道からかなり離れているので、まずはそこまで戻らないといけない。駅を南北にまたぐ歩道橋を渡りながら空を見上げる。今日は曇りのち晴れとの天気予報だが雲が低く、止まっている車にも水滴が付いていて、雨が降っていたようだ。30分ほど南下し、喜光地商店街入口という交差点で讃岐街道に合流。

ここから東へ向かって旧街道を延々と歩く。前回の前神寺からと全く同じ雰囲気で、それが行けども行けども変わらない。1時間くらいで併走する国道11号線に合流するが、さすがに交通量が多い。とにかく今日のコースは特徴がなく、歩くのみである。国道はやがて上りに入り、峠で新居浜市から四国中央市に入る。

峠からは再び旧街道へ分岐。初日というのもありまだ身体が慣れていないので休憩したい。が、このような道沿いに遍路小屋などあろう筈もなく、廃工場を見つけてそこで腰を下ろして飴などを食べる。辺りは人も車もなく静かなものだ。今日は天気はよくないが、曇っていて気温もあまり高くなく歩きやすい。天気は晴れているに越したことはないが、歩くには今日のように曇っている方が良い。雨が降らなければ、の話だが。

ふたたび歩き出すがこの道、全く人気がない。ごくたまに車が通るくらいで、歩いている人を全く見かけない。不気味に静かな中をとにかく歩く。こういう時は前方5mくらい先の地面を見ながら歩く。遠くを見るとこれから行かなければならない先が意外と遠くに見えて気が萎えるからだが、分岐もなく刺激もないこのような道を歩いていると、だんだん無意識になることがある。こんな時は目の瞳孔が開いているのではないだろうかと思ったりする。

延々と続く讃岐街道

それにしても、前回新居浜で切り上げて正解だった。そのまま三島まで歩くプランだと、この退屈極まりない道を延々と歩く羽目になっていたからだ。1日でも十分退屈な道なのだが。

国道と、併走する予讃本線を横切り、もう一度線路を越すと、まもなく本日唯一と言っていい目的地、番外霊場12番の延命寺に到着。時刻は昼を越えて12時30分。東屋の休憩所があったので荷物を下ろし、靴を脱いで大休止。

ここにはいざり松という巨大な松があったが、かなり前に枯れてしまい今は幹が横たえてあるだけだが、それでもその巨大さが分かる。ここであとから歩き遍路がやってきた。まだ学生のような若い人で、大きなザックにマットなどをくくりつけているので野宿旅かもしれない。これがおじさんだったら世間話になったりするのだが、若い人なので挨拶程度でおしまい。

延命寺のいざり松

再び歩き出す。昼も過ぎ腹が減ってきたが、店などはなから期待していないのでコンビニに入り、おにぎり等を購入。先ほどのような東屋でもあればいいのだが、と思いつつ、そんなものは見当たらないので歩きながら食べる。

相変わらず同じような風景が続き、人気も相変わらず。そのうち雨がぱらついてきた。今日の予報は午後から晴れで降水確率は10%。外れるにも程がある。以前日和佐でも同じ目に遭ったが、さすがに晴れと言っていて雨などというのは陳謝して欲しいくらいだ。

どこかの軒先で荷物を整理し、雨具を取り出しやすい処に入れたりしていると、おばあさんが声をかけてきて、接待にと500円玉をいただいた。お金の接待は久々で、ありがたくおしいただく。

結局雨具を出すほどの雨ではなくやれやれと思ったが、それにしても今日はいつまでたっても判で押したように同じ景色で、精神的にかなり辛い。休むところもないので、ちょうどいい高さのコンクリートブロックを見つけて腰をかける程度で身体も休まらない。

そんな中、豊岡をすぎたところで診療所の前にベンチを発見。診療所は休みで人もいないので、ここで休ませていただく。少し元気を取り戻し、寒川を過ぎると次第に三島の町に入っていく。今日は東から来たので特急で伊予三島は通過しているが、電車だと三島から新居浜までは20分程度。歩くと1日だから電車とは速いものだ。

診療所の前にあった休憩所

夕方になり伊予三島駅を過ぎ、本日の宿の旅館O荘に到着。名前だけで判断して予約したが、予想通りのたたずまいの遍路宿で、女将さんも親切。すでに風呂に入れるとのことで早速風呂へ向かうが、いつもながら歩いた後の風呂は最高。今日の客は私一人で、食事のあとそのまま女将さんとしばらく話し込む。

O荘の部屋

本日の歩行は42,000歩、約25キロだった。
今日は最初からしまいまで同じような道だったので、話題に乏しかった・・・。

真夏の草刈り

今年も恒例のボランティアに行ってきた。

年に数回あるうちで最も過酷な8月の草刈りである。
片道130キロを走って現地に到着。勝手知ったるもので、倉庫から草刈機を出してきて、混合油を入れたりして準備する。

朝からすでに暑く、汗対策のバンダナをしているが作業前から汗がにじんでいるのがわかる。数箇所あるので手分けして行うため、軽トラに乗ってそれぞれの持ち場へ。

適当に目星をつけた畝から刈っていく。6月に刈ったのに、雑草はすでに大きくなっていて、場所によってはジャングルのようになっている。そこへ情け容赦なく草刈機を入れていく。

以前にも書いたが、草刈りの作業ほど無心になれることはないと思う。目の前の草を刈ることだけに没頭するので、他に何も考える余裕がない。単純な往復運動がそれに拍車をかける。畝は長いが、気がついたらいつのまにかかなり進んでいたりして、息を整えてお茶を飲むときなどに刈ってきた畝を見ると、あいかわらずの達成感。

草を刈る前

草を刈った後


途中何度か一服、一度大休止したりして、午前中淡々と作業を進めていく。

昼になって公民館に戻る。お弁当を用意いただいているので、昼食を取りながら歓談。冷房の効いた部屋で食べる弁当はこの上なくうまい。

集落の人と話をすると、どうしてもこのような中山間地域の厳しさを感じる。高齢化や人口減少などで地域の維持が難しくなってくる。そのために我々のようなボランティアに頼らざるところが出てくるが、ボランティア自身も高齢化してくる。いつまで続くかなぁ、とため息混じりになる。

しかしこのような中山間地域は重要だ。農家や耕作面積の4割を占めていて、山林と平野の境目で洪水や土砂崩れの防止など重要な役割を担っている、国の大切な財産だ。微力ながらすこしでも約に立ちたいと思って来ているのだが・・・

ゆっくり休憩したあとも草刈りの続き。午後は容赦なく照り付ける太陽に辟易する。多少雨でも降ってくれたらと思うが、雨どころか曇りにもならない。風もないので空調服の風だけが頼りだ。

相棒の草刈り機

昨年から始めた果樹園

汗が間断なく出るので水分補給が欠かせず、お茶のペットボトルがすぐに空になる。休憩を挟みながら夕方まで続け、目処がついたところで終了。

細かいところの残りがあるので、地元の方はそのまま作業を続けるが、我々は公民館でシャワーを浴び、一服してから130キロの道のりを帰る。

作業そのものはしんどいし、一日中草刈機を握っていて翌日は筋肉痛になったりもするが、10数年続けている今でも毎回新鮮で貴重な作業だと思う。

秋には収穫した蕎麦で蕎麦打ち大会もあるので、今から楽しみにしている。

四国遍路 7_7

5月6日

7日目。

前回と同様に、今回もどこで終えるか非常に悩んだが、前回と違うのは、しばらくJR沿いに進むのでどこで終わっても融通がきくということだ。次回のことや帰宅のこともいろいろ勘案し、いくつかの案を作成。

①距離的には伊予土居駅がいいのでここまでとして、各停で伊予三島まで出て特急で帰るか、観音寺からバスが出ているので、そこまで各停で行く
②手っ取り早く伊予西条から特急もしくはバスで帰る
③中間地点の新居浜まで行き、特急で帰る。
④いっそもう1日追加し伊予土居で宿泊、翌日は伊予三島まで歩く。

さんざん悩んだあげく、③を採用。
次回からは距離が近いので夜行バスが使えないいため鉄道で来ることになるが、そこから始めるとすると、新居浜出発で1日目は三島で宿泊するのが都合がよいからだ。新居浜遍路道からかなり逸れてしまうので敬遠していたが、歩くことには変わりないのであまり気にしないことにした。

ということで、朝は割とゆっくりできる。通し打ちの人は朝食もとらず出発したらしく、広い食堂には私と宿の子どもらしい小学生の男の子だけで、そういえば今日は平日だった。朝食を食べ終えた男の子は、礼儀正しく手を合わせて「ごちそうさま」と言うと、食器を厨房に持って行ってそそくさと出ていった。一人きりになり落ち着かない朝食をとった後、部屋に戻って出発準備。新居浜までは遠くないため、CW-Xを装着せずに出発することにした。CW-Xは確かにいいが、逆にこれがないと不安で歩けなくなってしまっていてこれではいかんと思う。装着せずに歩くとどのくらい疲労度が違うか、確かめたい気持ちもあった。

宿泊した温泉宿

昨日から引き続き旧道の讃岐街道を歩いていく。続々と通学の小学生とすれ違い、ほとんどの子どもが元気よく挨拶してくれる。途中途中で旗を持っているおじさんも挨拶してくれ、一度間違えた方向に行きかけた私に正しい道を教えてくれたりする。松山とは大違いだ。

この讃岐街道は延々と続く。地図を見ても見所がほとんどないことが分かるが、歩いていてあまり楽しくない。途中の地蔵庵で一服した後は休むところもなく、ひたすら進むしかない。

延々と続く讃岐街道

とうとう新居浜市に入り、駅への分岐の少し手前に接待所があったので、ここで遍路の装備を解くことにした。傘をビニールで包みザックに固定し、杖もビニールで包む。駅まではもう少しあるが、気持ちはすでにただの旅行者である。やがて従来の遍路道からそれて新居浜駅へ。
ここまでの歩行は23,000歩で約15キロ。11時には駅に着いた。

GW中なので鉄道は混んでいるとは思ったが、何時に駅に着くか分からないので指定席はとっていない。最悪岡山まで立っていくことになるかと思ったが、みどりの窓口で確認すると30分後の特急と乗り継ぎの新幹線共にあっさり指定がとれた。しかもいずれもA席(窓際)で、少々拍子抜け。

駅の売店で土産のタルトを買い、構内の食堂で今治名物という焼豚目玉焼き丼というのを食べる。考えてみたらまともに昼食をとったのは最初で最後である。11:30発の特急に乗って四国を離れる。帰りの特急は快走し、新幹線を乗り継いで夕方前には家に着いてしまった。ずっと歩いていた身には、特急の速度は速すぎるような気がする。

帰途に乗った特急しおかぜ

そういえば、結局CW-Xを装着せずに歩くと結構足が疲れることが分かった。これは一種のドーピングなのではないだろうか。

今回は札所が多く、20もの札所を回ることができた。前回が4カ所、その前は2カ所だったのでいかに多いか分かろうものだが、40回も読経し6、000円も納経料を払ったのかとも思う。いずれにせよ札所も4分の3まで終わり、何となく先が見えてきた。楽しみなような寂しいような・・・

四国遍路 7_6

5月5日

6日目

毎回区切り打ちは1週間前後の日程となるが、だいたいどこかでその回のハイライトが来るものだ。今回のハイライトといえば間違いなく今日で、歩き遍路の中でも有名な遍路ころがし(難関)の横峰寺がある。
ほぼ標高750mまで、単純な高低差だけで言えばナンバーワンである。

朝食は6時、出発は6時半と、余裕を持ったスケジュールだが、朝食のとき宿の女将さんが、接待で次の宿まで荷物を運んでくれるという。ほとんどの人が喜んでその申し出を受けているし、空荷の時の楽さは重々わかっているのだが、何となく変なこだわりがあり、接待はお断りした。

丹原の町を出てしばらくは平坦な道を歩き、途中のコンビニで食料などを補給していく。妙雲寺を過ぎると車道ながら次第に高度を上げていく。民家がなくなると山の中に入っていき、川のせせらぎと鳥の声だけが聞こえるようになる。

やがて車道の終点に到着。ここには休憩所があり、何度かお会いした野宿遍路の方がいたので少しお話。この人は昨夜ここに泊まり、すでに横峰寺には上ったとのこと。ただ、ここのトイレに忘れ物をして大急ぎで取りに戻ってきたということで、重い荷物を担いでご苦労なことだ。崖の所にこんこんと水が湧いており、この水が大変おいしいと言い残してこの人は立ち去った。

しばらく休んでいると3台ほど車がやってきた。どうするのかと思ったら、わりと軽装の人たちが遍路道を上っていく。中には犬を連れた人もいて地元の人っぽいが、軽い登山のつもりでもあるのだろうか。少し距離を取っておいしい水を飲んだ後、こちらも出発。時刻は9時。

休憩所の標高はすでに300mくらいで、あと450mくらい登ることになるが、出来るだけ高度計は見ないようにしながら上っていく。しんどいながらも身体的には快調で、やや速いペースで歩いていると、たちまち先だっての人たちに追いつき追い越す。追い越した以上追いつかれたくないので、休憩もせずに上っていくが、さすがに随一の難関、先が全く見えない。

延々と続く遍路ころがし

今回は毎日気温が若干低いめであまり汗をかかなかったのだが、さすがにここは別格で大汗をかきながら登る。大汗をかくとバンダナでは吸収しきれず、しまいには笠の紐の先まで湿ってくるから閉口する。だんだん息が上がってきて、休憩こそとらないが何度か立ち止まって息を整えなければならない。

それでも1丁ごとに石仏があり、順調に数は減っていく。とうとう2丁になりやがて山門が見えてきた。汗だくになりながら10時に60番横峰寺到着。息を整えはしたが、結局休憩なしで登ってきたので予定よりかなり早い。我ながらよくがんばった。

横峰寺は山のてっぺんにあるだけに最近まで車道はなかったそうで、唯一車での参拝を拒絶していた札所らしいが、とうとう有料道路が出来たらしい。それでも駐車場からは1キロ以上登る必要があり、45番岩屋寺とともに一般客も息を切らせながら上っていて何となく小気味よい。当たり前だが山門は遍路道側にあり、人はあまりこちらまでは来ないようで静かなものである。狭い境内で参拝し、納経。しばらく休憩。

さて、横峰寺にも奥の院があり、「星ガ森」という。霊峰石鎚山の遙拝所として江戸時代に作られた鉄の鳥居があるとのことで、是非とも行ってみたいと思っていた。横峰寺からさらに500m上ったところにあるので、ここまでの難関で疲労困憊していたらやめようと思っていたが、体調は快調なので行くことにした。

山門まで引き返し、上り口を左にと看板が出ている。建物の陰にザックをデポして上っていく。疲労しているときの500mというのはとてつもなくしんどいが、今日は快調だし天気もいいので、だらだら坂のツヅラ折れもそんなに苦にならない。

やがて大師像が見えてきて星ガ森に到着、その先に鉄鳥居があったが、その小ささに驚いた。鳥居というので大きなものを想像していたが、実際は私の肩までもない。が、鉄で出来ているのだから当然と言えば当然だし、すぐにその先に大きな存在感を示す石鎚山に目を奪われてしまった。

標高でいくと2000mもない山なのだが、山高きがゆえに貴からずという。素晴らしい山容が鳥居越しに見えて、長いことその景色を堪能していた。いや本当に来て良かった。鉄の鳥居も江戸時代に出来ただけあって錆だらけだが、とても味がある。降りるのがもったいなくて、しばらく佇んでいた。

星ケ森の鉄鳥居と霊峰石槌山

こんなにいいところにどうして誰も来ないのだろうと思う反面、人がいないおかげで心ゆくまで静寂を楽しんだ後、来た道を引き返す。車客がほとんどなのだが、その車客も1キロ以上の山道を上ってきて、それ以上上る気になれないのだろう。つくづくもったいない。

もう一度山門をくぐり、小休止してから出立。今度は同じ標高差の下りがあるのでまだまだ気が抜けない。山門を背に人がたくさん通る駐車場方面へと下っていく。と、ほぼ同時に出発したご夫婦がいて、何となく言葉を交わす。60番へは61番から逆にやってくる人も多いようだが、このご夫婦もそうで、すでにいくつか打ってきたらしい。星ガ森へ行ったか訪ねると、その存在すら知らない様子。その素晴らしさをデジカメの写真を見せながら説明すると、是非行ってみたいと言って引き返していった。人がいなかったのはしんどいというのもあるが、知らなかったからということもあるのだ。

遍路道はすぐに車道から分かれ、下っていく。上った分下るので、上りのあの調子だと膝にくるなと思っていたら、下りは最初のうちだけでその後かなり長い間平坦な道が続く。場合によっては上り返したりして、一向に高度が下がらない。改めて地図を見ると、麓までは登りの2倍以上の距離があり、そういえば上りより下りのほうがかなりしんどいと何かの情報であったような気がする。

時間ばかり過ぎていき、今日はこの後4つも打たないといけないので少々急ぎ足で歩いていく。さらによく地図を見ると、この先にわずかな距離で一気に150m以上下るところがあり、はたして極端なつづら折れが突然現れたりする。ザレ場のつづら折れをさらにジグを切って降りていくが、ここで一気に高度を下げ、ようよう車道に出る。まもなく61番の奥の院で、簡単に拝んだ後は穏やかな道に戻る。

辛い下りのつづら折れ

難所を終えた安堵感に包まれながらゆっくり進んでいき、やがて61番香園寺に到着。この寺は鉄筋の巨大な建物で、本堂、大師堂が一つになった近代的なものだった。とても寺の本堂に見えず少し違和感を覚える。

寺とは思えない61番香園寺

別に鄙びた建物が良いというわけではないが、あまりにも寺院とはかけ離れた雰囲気の建物で、2階に上がった中も映画館か大ホールのような椅子がずらりと並んでいる。その真ん中に安置された金ピカの大日如来が成金趣味のようだ。

大師堂はどこだと探したら、隅に申し訳程度に厨子が置いてある。何となく気持ちが萎えてしまったが、読経と納め札だけは手早く済ませ外に出る。ちなみにこんな立派な建物なのにトイレは遠方の駐車場にあるそうで、その点だけでも人に優しくない。

少々拍子抜けしたまま外へ。ここからまた短距離にいくつかの札所があり、交通量の多い国道をしばらく歩くとすぐに62番宝寿寺に到着。今度は先ほどとは対照的に、今までにないくらい小さくて鄙びた札所である。どれくらい小さいかというと、線香立てが一つしかなく境内にベンチもないし山門もない。駐車場もほとんどないので団体はどうするのだろうかと思いながら納経所に行くと、納経帳が山のように積んである。気配はすれども姿がない団体だが、おおかた近所にバスが止めてあるのだろう。近づいていくと私の納経を先に済ませてくれた。

一転してこぢんまりした62番宝寿寺

さらに国道を進んでいく。この辺りは歩道もなく歩きにくいが、わずか1.7キロで63番吉祥寺に到着。
ここには山門もベンチも有り、コンビニで買ったおにぎりを食べることが出来た。特筆すべきものはないが、何か庶民的な寺で落ち着く。15:30出発。札所の納経はどこも17時までなので、何となく時間に追われている感じがする。

次の札所までは4キロ程度なのでゆっくり歩いても問題ないが、それでも日が傾いてくると落ち着かない。道は国道を離れ旧道の讃岐街道へと入る。横峰の下りでかなり無理をしたような気もするが、ヒザをはじめ脚はとても快調で申し分ない。ただ、さすがにスタミナが切れてきたような感じで、息が上がりやすくなっている。

16時を過ぎて64番前神寺に到着。今回はここが最後の札所となる。疲れてしまったので小さい寺を希望していたが、こんな時に限ってかなり広い境内で、山門をくぐってから本堂までが遠い。本堂と大師堂にたどり着き読経、そして納経。この時間になると境内は静かなもので、ほとんど人がいない。今回も無事に全ての札所を打つことが出来たことに感謝しながら、ベンチでしみじみと休憩。今日の宿までここからすぐだ。

わずか500mくらいで本日の宿の湯之谷温泉旅館部に到着。今回の遍路では3度目の温泉となるが、わざわざ「旅館部」というのは日帰り温泉もやっているからで、入り口は二つあり、隣にもう一つ「浴場部」がある。
歴史のある温泉のようで、建物も相当年代物だ。今回は安い本館に泊まるが、本館の方が離れにあって、長い廊下の先の建物の部屋だった。

つげ義春の世界のようなレトロな通路を通って温泉へ向かう。日帰り客が多く浴槽は賑わっていたが、やはり温泉は気持ちがいい。食事も結構豪華で、多少建物が古くても宿はこうでなくてはいけない。

レトロな温泉宿

今日は最後の宿泊なのでビールを注文、毎度の台詞だが渇いた身体にビールが染みこんでいくようだ。遍路客は私ともう一人の年輩のおじさんだけで、アルコールが入ったせいもあり話が盛り上がる。この方は通し打ちで、4月頭から歩いているとのこと。ちょっとうらやましい。

本日の歩行は50,000歩、27.0キロ。無事に難関を突破してやれやれである。

四国遍路 7_5

5月4日

5日目

宿坊だけに朝からお勤めがあるということで、6時に本堂に入る。ここに泊まる前から、「仙遊寺の宿坊に泊まる」というと意味ありげにニヤリとされることがあり、理由を聞くと、住職のお説教が長くて1時間半以上あるという。そんなに長いと出立時刻に影響がありそうだが、今日は明日の難所を控えて距離が短いので、多少遅くなってもいいと思っていた。

お坊さんが揃うとお経が始まり、終わると住職がにこやかに話を始めた。主に俗世間の話で、聞く方もわかりやすく興味を持てる内容だった。時間も30分程度だったので、随分短くなったらしい。住職はとても気さくな人で、1000年以上前に作られた国宝級の本尊(千手観音)も気軽に「写真撮っていいですよ、本尊なんて隠すものでもない」と言ってくれたので、ちょうど持っていたカメラにおさめることが出来た。

仙游寺の御本尊

朝食はお粥をメインとしたもので、身体に良さそうだった。食事を終え離れに戻る時に、中庭に例のシェパードが放されておりちょっとビビったが、檻から出ると人なつこそうな犬で、入り口までフレンドリーについてきて一言も吠えなかった。

宿坊の部屋

7時30分出発。昨日の急激な登りを今度は下ることになるが、昨日と打って変わっていい天気で足取りも軽やかに下っていく。山門を出て車道に出るが、すぐに遍路道へと別れさらに下っていく。これが石段に負けず劣らず急で、五郎兵衛坂というらしい。調子にのってヒザを痛めないように慎重にジグを切って下っていく。

五郎兵衛坂を下っていく

下り切るといつものような田園地帯を進んでいく。振り返ると先ほど下ってきた山があり、山頂近くに建物が眺められる。下ってみるとあんな所から来たのか、と驚くことしばしばである。

予讃本線の線路を渡りしばらく行くと、59番国分寺に到着。国分寺は各国に建立されたので四国には4つある。いずれも札所で、今回で3カ所目。讃岐にもう1カ所あるはずだ。

今日は時間がたっぷりあるので、ベンチに座ってゆっくり休憩する。ここには握手修行大師という像があり、握手するように手を突き出した大師像である。握手しながらお願い事をするとかなうとのことだが、「お大師様は忙しいので、願い事は一つで」などと書かれている。手を握りながら今回の道中の無事をお願いした。

握手修行大師

ゆっくり休憩してから出発。地図を見るからに後の行程は楽しくなさそうだ。旧道をから交通量の多い国道を延々と歩き、今度はアップダウンの多い高速道路の側道や古い町並みなどをずっと歩く。休憩する場所も1カ所くらいしかなく、当然食事するような店もない。

地図にスーパーの記載があったので期待していたが、雑貨屋に毛の生えたようなもので、結局昼食は菓子パンとタルトだった。今日は距離が短いうえ、札所も1カ所で他に休めそうな所も見あたらないのでかなり早く着いてしまうことが予想されたが、案の定1時台には着いてしまいそうな感じになってきた。

田んぼのあぜ道で休んだり、目的地である丹原の町でスーパーを発見したので寄ったりして時間をつぶし、それでも本日の宿泊地であるS旅館に着いたのは午後2時だった。

S旅館は民家に毛が生えたような作りだったがやはり遍路宿で、こんな時間に着いたにも関わらずすでに先客もおり、女将さんも大変愛想良く迎えてくれる。洗濯は接待でやってくれるし、ほどなく風呂の準備はできるし、とてもいい宿であった。

S旅館の部屋

先客はO屋でも仙遊寺でも同じだった脚の速いおじさんで、食事の時に聞いたら1時過ぎに宿に入ったらしい。食事は焼きたてのサンマが中心のヘルシーで美味なものだった。明日はみな難所に挑むためさまざま情報交換をし、早々に部屋に戻って休む。

本日の歩行は36,500歩、22.1キロで、今行程ではもっとも短かった。だから話も短いわけだ。

路線バスの旅

路線バスの旅といっても、一部バスに乗ったに過ぎないので、ちょっと大仰なタイトルにかもしれない。強いて言えば「路線バスも使ったちょい旅」のほうがいいかも。

ちょっと時間が空いた時にはふらっとどこかへ出かけたいのだが、この酷暑の中歩く気にはなれない。かと言ってそこら辺の鉄道はだいたい乗ってしまい、新鮮味がない。
未乗路線も無くはないのだが、だいたい盲腸線(終点がどの路線にも接続していないので、引き返すしかない線)で、ちょっと食指が動かない。

毎年会社の健康診断があり、病院が指定なのでわざわざ会社の近くまで出かけることになるがすぐに終わり、その後は予定がない。昨年も午前中早々に終わったので、乗ったことがなかった近鉄生駒線田原本線でふらっと旅をして結構楽しかった。

今年もと思いいろいろ考えたが、良いパターンが見つからない。近隣で未乗線といえば、近鉄けいはんな線だが、終点から先に乗り継ぐ先がない。

そこで考えを変えて、ここから路線バスで行けばいいのだと思いついた。昔は時刻表しか情報がなく、バスの時刻など調べるのは大変だったが、今はネットでいくらでも調べられる。調べた結果ちょっとしたコースを思いつき、実行することにした。

健康診断が終わったあと近鉄けいはんな線に乗って東へ。けいはんな線は大阪地下鉄中央線と接続していて、路線自体はおおまかには近鉄奈良線と被っている。新石切から長大なトンネルで生駒に着き、そこからが未乗区間。トンネルや切通しを通り、高架になっている終点学研奈良登美ヶ丘駅に到着。

学研奈良登美ヶ丘駅

ここからは各方面へバスが出ているが、今回はJR片町線祝園(ほうその)駅行きに乗る。バスは高台から下っていき、しばらく走ると光台と精華台という二つの新興住宅地に入る。きれいな道並みで、けっこう人も乗ってくる。

精華台に入ると、島津製作所や京セラなど大企業の研究所が並んでいて、反対側には国立国会図書館関西館もある。そんなのを眺めているうちに、古墳の横を通って終点の祝園駅へ。

ここはJR片町線近鉄京都線共同駅だが、JRはこの時間は1時間に1本くらいしかない。駅前のショッピングセンターで時間をつぶし、塚口行き区間快速に乗る。
片町線は通勤でも使っているので新鮮味がなく、居眠りしてしまい、目が覚めると下車駅の一つ前だった。

祝園駅

危ない危ないと思いつつ、河内磐船駅で下車。ここは京阪交野線との接続駅で、案内でも京阪乗り換えを言うが、駅間は500mくらい離れていて、猛暑の中汗をかきながら京阪河内森駅へ。

久しぶりの交野線だが、車窓は全く特徴がなく人も多く、終点の枚方まではただの移動だった。枚方からは本線の特急で天満橋中之島線に乗り換えて渡辺橋まで行って、堂島地下街を通って梅田まで。ここでちょい旅は終了。

路線自体は特に魅力はないが、乗ったことがない線、久しぶりの線はやはり面白い。

味をしめたので、後日暇な休日に再び思い立って、路線バスを使ったちょい旅に出た。
今回はJRで天王寺まで行き、ここが出発点。近鉄大阪阿部野橋駅から南大阪線に乗る。南大阪線橿原神宮までの路線だが、途中の古市から分かれる長野線に直通する列車が結構な頻度で出ている。で、この長野線には乗ったことがない。

今回はこの河内長野行きに乗ることにする。河内天美手前までは高架で、準急はすべて通過して快走。途中で観光列車の「青の交響曲」とすれ違う。
藤井寺から各駅停車になり、道明寺で乗ったことがある道明寺線と合流し、古市で後ろの2両を切り離し、初めて乗る長野線へ入っていく。

2駅先の富田林までは複線だが、そこから単線。少しのどかな雰囲気になり、やがて終点の河内長野。ここは南海との共同駅だが、あちらは本線なので立派なホームがある。

ここからバスに乗ることにする。目的の光明池行きは1時間に1本。時間を合わせてきたので、駅前をウロウロしている間にバスが到着。

バスは旧街道の細くくねった道を走っていき、こまめに乗客が降りていく。バイパスを横切り、味のある町を走っていくうちに乗客は減っていき、国分峠で乗っていた子どもたちが下車してとうとう自分ひとりになってしまった。

河内長野から光明池までは、遠回りながら鉄道があるので、通しで乗る人はそうそういないのかもしれない。相変わらず旧道をくねくねと走り、遠回りした住宅街からは少しずつ乗客があり、1時間くらいで終点光明池駅に到着。

ここは泉北高速鉄道の駅で、できれば終点の和泉中央に行きたかったが、なぜかそちら行きのバスはなかった。
いかにも新興住宅地の駅で、ショッピングセンターなどがあったが、早々に駅に行き、せっかくなので一駅先の終点和泉中央駅へ。

ここも規模は大きいものの、町並みは同じようなものであまり面白くはない。ショッピングセンター内の吉野家で昼食を取り、直通している南海のなんば行き区間急行に乗る。この列車は南海の古い車両で、ホームの向かいには先日デビューした新型の9300系が入線してきた。

一瞬新型に乗ろうかと思ったが、特に車両が好きなわけでもないのでそのまま出発。泉北高速は果てしなく直線の高架で、なかなかのスピードで快走する。深井をすぎるとトンネルに入り、出たところが南海との接続駅の中百舌鳥。急行なので通過し、堺東、天下茶屋新今宮と停車して終点のなんばへ。

ここでちょい旅は終了。少し戎橋筋を歩いてみるが、観光客でごった返していて、暑いのもあって早々に地下鉄に乗って帰る。

このようなちょい旅はすぐ終わるので、帰宅しても15時くらい。多少物足りないくらいなのが良いのかもしれない。

路線バスを選択肢に入れることで、また色々思いつきそうな気がする。