OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 8_2

11月4日

2日目

昨夜は例によって21時頃に就寝、いつもなら3時くらいには目が覚めてしまうのだが、今回はきっちり5時まで目が覚めなかった。昨日は初日でしんどかったのは間違いないが、ほとんどアップダウンがない平坦な道だったのだが・・・。

さて、今回のハイライトは2日目にして今日より他にない。なにせ標高900mと札所中最高の標高を誇る雲辺寺が控えているのだが、その手前の三角寺も500mあるのだ。つまり0から始まり500m迄上り、その後100mまで下った後再度900m迄上り、最後は170mまで下ってくる。改めて数字にするとなかなかの標高差である。

今回のスケジュールのキモはここで、三島から始めた場合、三角寺のあと麓の佐野にある一軒宿に泊まり、翌日雲辺寺まで上るというのが一般的だ。ただ、その場合1日目が短く後にしわ寄せが来るのと、この一軒宿が結構混むと聞いていたので、思い切って冒険することにした。

6時に朝食を一人わびしくいただき、6時半に女将さんに見送られて出発。今日は天気がいいので非常にありがたい。早速コンビニを発見し昼食のおにぎりを仕入れ、三島の町を抜ける。山に近づくと次第に坂になっていき、高速道路の下をくぐってしばらく行くと、戸川公園に到着。一旦ザックを下ろし、これからの難所に備えて準備。ここからどんどん高度を上げていくがまだまだ民家は続く。次第に見晴らしが良くなってきて、ミカン畑が始まると遍路道に突入。道は急だがやはりアスファルト道よりは感触がうれしい。息を切らせながら上っていく。

500mというと例の鶴林寺太龍寺に匹敵する結構な高さだが、まだまだ体力を残したまま車道に出る。ここからしばらく歩くと8:30に65番札所の三角寺に到着。ここは伊予最後の札所で感無量だが、道からは見上げるような石段で、最後まで気が抜けない。

ため息が出る三角時の石段

一歩一歩石段を踏みしめ菩提の道場の終わりを実感し、山門前でふと振り返ると・・・そこには恐怖の団体が!これはいかんと慌てて納経所に走る。本来は読経の後に納経なのだが、そんなことは言っていられない。納経を済ませて東屋で休んでいると、先達に連れられた団体が本堂に大挙してやってきて、耳障りなホラ貝の音と共に盛大な読経が始まった。

普段なら団体が去るまでゆっくりするのだが、今日はまだまだ先が長い。何があるか分からないので先を急ぐに越したことはない。順序は逆だが団体と被らないように大師堂から読経し、その後人がいなくなった本堂へ。最後に水屋を見つけて手を洗う、と順序が全く逆だった。

9:00に出発。ここからはアスファルト道がだらだら下っていく。車が全く来ないと思ったら少し先で道路が陥没していて通行止めだった。道そのものは退屈だが三島や川之江の町がよく見えるので、時々景色を堪能しながら歩く。

川之江方面の眺望

道路が陥没していた

次第に山を下っていき、里山に入ってきた頃に休憩所があったので一服。ここでご夫婦の遍路に出会う。ここでは挨拶だけだったが、この後結構ご縁ができるご夫婦だった。引き続き心和む里山の景色の中を歩いていく。

ほっこりするお遍路休憩所

高知道の高架下をくぐりしばらく行くと、番外霊場14番の常福寺椿堂に到着。そんなに広くない境内だがベンチを見つけ、これからの本番に備えて靴を脱いで大休止。お寺の方に缶ジュースをお接待していただいた。ここからはしばらく国道沿いに歩く。日差しが出てくるし車は多いしずっと上り坂だし、まだ本番前というのに思いのほか道程が辛い。分岐点である七田までは休まず行く積もりだったが、屋根付きのバス停があったので一息入れることにする。

さて、雲辺寺へ登るのにはいくつかコースがある。曼陀峠道、境目峠道、佐野道の3つである。そのうち佐野道は例の一軒宿に泊まらないと意味がないので却下。曼陀峠道が本来の遍路道だとのことでそのコースにするつもりだった。ところが歩きながら地図をよく見ると、この道はいったん570mまで上った後520mまで50mも下っているのである。上りの最中に下るとか下りの最中に上るとかいうのが大嫌いなので一気に萎えてしまい、距離は長いが多少緩やかだという境目峠道に急遽切り替え。この道でも曼陀峠は越えるのでよしとする。

国道から分かれると遍路道に入るが、出し抜けに「緩やか」とはかけ離れたツヅラ折れの急登が現れる。一気に400m足らずまで駆け上がることになるが、杖にすがりながら汗だくになりつつも休まず上り続けて車道に出る。車道に出たとたん頭上から大音響でチャイムが鳴って驚いたが、ちょうど12時だった。ここからは緩やかな車道を歩く。

いきなりのつづら折れ

やがて愛媛と徳島の県境を越える。まだ香川ではなくいったん徳島に入るのだが、正確に言うと雲辺寺は讃岐ではなく阿波に属するのである。いずれにしても菩提の道場伊予の国はここで終了。この境目峠から遍路道に分かれ、ここからだらだら上っていく。

歩きやすくていい道だが休むところがない。せめて切り株でもあればいいのだがそれもないし、2日続けて歩きながらの食事は勘弁してほしいと思っていたら、朽ちかけた木のはしごがあったので、踏み抜かないか確認した後そこに腰を下ろしておにぎりをむさぼる。さらに歩き続け、いい加減うんざりしてきた頃に車道に合流。ここには曼陀峠道も合流するが、遙か上方から降りてくる道だったので通らなくて正解だった。

ここからは車道なので多少楽になるかと思っていたが、じつは本当にきついのはここからだった。6.5キロで360mの標高差。道そのものは気持ちの良い尾根道なのだが、いつまでも断続的に上りが続き、特に後半は推定10%くらいの上りが途切れなく続き、どんどん体力を奪っていく。途中で旧曼陀峠を越え、佐野からの遍路道に合流するが休まず進む。息も絶え絶えになったころ分岐点に到着、ここからさらに急な遍路道を上っていくが、最後の500mくらいは限界だった。

果てしなく続く上り道

15時、とうとう66番雲辺寺に到着。雲の辺りの寺とはよくいったもので、確かに空に近い感じがする。
それにしてもきつかった。よく考えたら横峰でも神峯でもきついのは1時間かそこらですむのだが、今日は10キロくらいのあいだずっと息を切らしており、11時くらいからずっと辛い状態だった。それでも時間に余裕があまりないので、ほとんど休まずに上ってきたのだが、我ながらよく頑張った。

苦労して着いた札所だが、なにやら工事中で落ち着かないし、本堂もぴかぴかしていて逆に味気ない。ベンチもほとんどなく歩き遍路には素っ気ないようなイメージがする。いずれにしても長いこと休憩する時間もないので早々に出発することにする。この時点で15:40。宿に電話しここからは4キロくらいだからと、17時くらいですかね、などと気楽に連絡して出発したが、これが甘々の読みだったことを後で思い知ることになる。

雲辺寺は等身大の五百羅漢があると聞いていてどこにあるのかと思ったら、遍路道に沿って延々と置いてある。どれも表情豊かで一つとして同じ物はなく、かなり見応えがあったが、ゆっくり見過ぎてしまい、山を下り始めたのは16時を大きく過ぎてしまった。

下りはじめてよく考えてみたら、ここは標高900m。宿のあるところは170mだから標高差は730mもある。これを4キロかそこらで下るのだから、その過酷さは推して知るべし。果たして下っても下っても延々と坂は続く。腕時計の高度計を睨みながら下っていくが、憎たらしいくらいに数字は減らないし、頻繁に出てくる道標に距離が書いてあるが、相当下ったつもりでも実際にはわずかしか進んでいないのを見ると意気消沈してしまう。

下りは膝にくるし以前痛い目に遭っているので最初は慎重に下っていたが、だんだんいらいらしてきて次第に速度が上がっていく。しかも今は11月。いつも来るのは5月だったので、今回は日が短い時期だということを失念していた。到着予定の17時を過ぎても道が終わる筈もなく、日が沈むとただでさえ暗い山道がさらに暗くなっていく。最後は駆け下りんばかりに下っていき、17:30をかなり過ぎてようやく麓に到着。ほっとしてようやく平坦になった道を急ぐが、冷静になって考えてみるとよく膝が保ったな、と、よくこけなかったことだと(実際一度滑り落ちかけた)ぞっとする。

日が暮れかけているのにこの標高

18時近くになってすっかり暗くなった中、民宿A屋に到着。ご夫婦が気持ちよく迎えてくれる。大洲のT旅館や久万高原のT庵と同じく歩き遍路に親切な宿のようだ。靴を脱ぎながら宿のご主人に今日の顛末を話したが、66番からは普通でもやはり2時間以上かかるとのことで、よく無事に降りて来られたなと思う。天気が良かったのもありがたかった。雨が降っていたら無事では済まなかったかもしれない。

風呂、洗濯のゴールデンコースのあと夕食。ここには例のご夫婦や一人歩きの方など、結構多くの遍路がいたので、和気藹々と会話も弾む。食事も揚げたての天ぷらやウナギなど豪華で、厳しい1日だっただけにうれしさひとしおである。

ここまでの歩行は55,000歩、31キロ。難所を2つも越えてこの距離だから、我ながら本当によく頑張ったと思う。今日は夢中で歩いた1日だったが、長かった菩提の道場を終えて、とうとう最後の「涅槃の道場」に突入した。