OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 9_2

4月30日

2日目

ここはいい宿だが遍路宿ではないからか、夜遅くまでどこかの部屋で騒いでいて、どたんばたんやっていてなかなか寝付けない。おまけに前の道に暴走族まで来る始末。結局何時に寝付けたかわからないが、とにかく5時30分起床。若干朦朧としながら昨日買ったサンドイッチで朝食とし、6時30分チェックアウト。こんな時間にも朝風呂に入りに来た人が結構いる。

今日は予報では雨になっている。つい先日の予報ではGWは前半晴れるとか言っていたがまたしても大外れ。直近でも曇になっていたが、昨日見ると雨続き。悪いなら最初から悪いと言って欲しい。まあ今のところまだ降っていないので、笠とザックにカバーをかぶせて出発。

鬼無からの道と同様、斜めに進んでいくので今日も曲がり角だらけ。昨日から今日にかけての行程を地図で見ると一宮寺はVの字の先端にいるような感じである。道はどこを通っても行けそうで、遍路道保存協会の地図ではまっすぐ北上するようになっているが、高松の街中は通りたくないので、別の遍路地図に従って斜めに行く。道しるべもこちらのコースを指している。

遠くに台形をした特徴ある屋島の山並みが見える。まずはそこを目指して歩くが、とにかく道しるべを見落とさないように歩く。松山などと同じような大都市近郊の街中の道はあまり楽しくないので、雨が降り出すまでにと休憩もせずひたすら歩く。頑張って歩くと次第に屋島の山容が大きくなり、欄干に那須与一の像が作られている橋を渡り、2時間半くらいで麓付近に到着。遍照院という小さな寺があったのでそこで腰を下ろす。ここまで距離にして12キロくらいだからまあまあ頑張った方だ。

那須与一の像と特徴的な屋島

小休止してから出発。まだ街中だがここからかなりな上りとなる。標識には「のぼり21%」とあり、車道でこんな急な道にはお目にかかったことがない。車道が終わってからもコンクリートの上りが延々と続く。同じ上りでも土の道ならともかく、コンクリートでは疲れるだけだ。しかも上り一辺倒で1mたりともフラットなところがないので息もつけない。

21%の上り

ただ、この道はやたら地元と思しき人たちが行き交っているので、これまたトレッキングコースなのかもしれない。とにかく頑張って休憩もせずに上って行く。途中食わずの梨というのがあって、大師が農夫に梨の実を所望したところ「これは食べられない梨だ」と断られると本当に固くて食べられない梨になってしまったというところの遺構だとか。相変わらず弘法大師の対応は極端な気がする。

眼下に景色が広がり出した頃、ようやく84番屋島寺に到着。時刻は9:45。到着とほぼ同時に雨が降ってきた。がんばった甲斐があったと思いながら山門をくぐり、屋根のあるベンチに荷物を置いて参拝・納経。ベンチで休んでいると、忘れた杖を取りに来たという年配の女性と、後から来た年配の男性の遍路がやって来た。屋根の付いているところが少ないのでこうなるが、それとなく話し出す。屋島寺からの下りは強烈で、時々足を滑らせて怪我をする人がいると知っていたが、特に今日のような雨の日か危険がとかで、寺の人に聞いても今日は正規のコースは危険だとか。確かに足を滑らせて痛めたりしたら目も当てられないので、若干遠回りになるが来た道を引き返すことにする。

女性はもう4回目とのこと。カナダ在住で年に2回くらい遍路に来るとか。男性は私同様区切り打ちで、もう7年目になるがなかなか終わらないらしい。しばらく話したあと2人が出ていくのを見送ってから、雨具のポンチョを羽織りゆっくり下ることにする。雨は降っているが木立のおかげで意外と濡れない。多少緩やかとはいえ急坂には違いないので注意深く下っていく。下っていってもしんどい道なので上りはなおさらだろう。車道に入るとさらに道がきつくなり膝がきつい。ようやく先ほどの遍照院まで下ってくる。もう少し下った池のところで道が左へ分岐し、屋島の南縁に沿って東進する。

山を下ると雨が小降りになったのでポンチョを脱いで手に持ち、左手に屋島を眺めながら進んでいく。やがて川に沿って進み、その川を渡ったところでシルバーの上着を来たおじさんに招かれる。この先に休憩所があると言う。そこには先ほどの女性と男性がいたので、椅子に座ってシルバーの方も交えて話をする。お茶やお茶菓子を出してくれたのでつい長話となってしまう。

随分ゆっくりした後出発。二人とも坂道は弱いとのことで、すぐに私一人が先行することになった。
行く手には今度は五剣山の険しい山容があり、そこに向かう。五つの峰があるのでこの名前がついた山の中腹に次の札所がある。山にはケーブルカーもあるので急坂であるとは覚悟していたが、果たしてケーブル乗り場の横から上がっていく道は屋島寺に劣らぬ急坂で、やはりこちらもコンクリート。そして同じくフラットなところなし。うんざりしながら上っていく。

コンクリートの急坂はうんざり

どうも讃岐に入ってから天候には恵まれないし、坂はコンクリートばかりだし、そんな山道以外は面白くもない町中の道だし、道行く人はあまり挨拶してくれないし、と讃岐はあまり楽しくない。私だけの個人的な感想ではあるが、他にも同様の意見が散見されることがあるので、外れているとも思えない。坂道を息を切らして上っているとそんな風にネガティブに考えてしまうが、しんどいのが終わると考えすぎだと反省したりする。

五剣山の山容

坂道は急だが標高はあまりないのでほどなく85番八栗寺に到着。時刻は12:30。
参拝・納経してゆっくり休んでいると、先ほどの2人が続けて上ってきた。二人ともケーブルにしようかと迷っていたが、結局歩いてきたらしい。十分に休んで出発。
駐車場側から出るが、下り道も果たして車道。アスファルト・急坂という最悪のパターンは終わらない。しかも道は長く下り勾配も21%の急勾配。この辺りはこんな道ばかりで意気が上がらないことおびただしい。

下りも21%

ようやく麓に下りると志度湾が望める。しばらく琴平高松電鉄とJR高徳線に沿って進み、やがて旧道に別れ志度の町に入っていく。こういう道は同じ瀬戸内ということもあってか、伊予辺りからよくある道で、雰囲気も似ている。また雨が降り出したが、もうすぐ着くし雨具を羽織るのも面倒なので、そのまま進む。このあたりは有名な平賀源内の出生地だそうで、旧家などがある。

やがて道の先に塔が見えてくると86番志度寺に到着。時刻は14:30。
今度は平地にありそのまま山門をくぐる。ここは屋根のあるベンチがなく、参拝と納経を済ませたあとは建物のヒサシの下で立ったまま休憩するしかない。その時にまたもやバンダナを落としたことに気づいた。前回落としてしまったのでわざわざ好日山荘で買ったものなのに、たった2回の命だった。とにかく腰にぶら下げて乾かしながら歩くのはご法度だということがわかったが、もう遅い。それにしても遍路に来るたびに何か落として行くのでもう慣れた。

納経所では団体でもないのに一人で十数冊も納経帳を持ち込んでいる人がいてなかなか順番が回ってこない。誰かに頼まれたのかもしれないが、他人に頼んで納経してもらう人ってどうなのだろうか。それも当然ながら車遍路。それならまだ団体できて添乗員に任せている人の方が、本人が現地に来るだけマシだというものだ。

ようやく納経を済ませ、雨も続いているので札所を後にする。今日の宿は近くだが、行く道の途中にあったので500m程引き返す。15時を過ぎて本日の宿であるS荘に到着。最初はもっと札所の近くにあるI旅館に電話したのだが、同じ系列のS荘の方が安いし料理は同じだと向こうから勧められたのでこちらにした。確かに建物は古いがそれも味があり、風呂や食事も素晴らしく、お勧めに従ってよかったと思う。

先ほどの男性も同じ宿で、他にひと組の老夫婦。やはり歩き遍路同士の談義は盛り上がり、散々お話をしてから部屋に戻る。今日は静かなのでゆっくり寝られるだろう。ともかく残す札所はあと2箇所。いよいよ大詰めだ。

宿で荷物を広げる

本日の歩行は44、000歩、30キロ。

四国遍路 9_1

某年4月29日

1日目

とうとう今回で最後の遍路旅となる。
例年のようにGWが近づくにつれて計画を立て、宿や交通の予約をとったりする。今年は中間の平日に休みを取って日程に余裕があるため、日曜日から出発することとし、土曜日は準備や体調調整をすることにした。このおかげかどうかは別として旅中の体調はすこぶる良かったが、反面土曜日は晴天だったので、晴れの日を一つ逃したなという気持ちもあった。

日曜日は5時前起き。準備して6時前の電車に乗り新大阪へ。岡山から瀬戸大橋線に乗るのは前回同様だが、今回は讃岐なので快速マリンライナーになる。これは混雑が予想されるので先頭車にある指定席をとっていたが、200円の指定料金で快適に移動できる。晴天の中瀬戸大橋を渡り四国へ上陸。坂出で普通に乗り換え、8:50前回終了地点の国分駅に到着。

半年ぶりの見覚えのある風景の中で準備し、朝食替わりのおにぎりを食べて出発。既に2人の歩き遍路を見かけた。歩きだしてほどなく、前回打ち終えた80番国分寺に到着。一礼してから通過し、まもなく左折して目の前に立ちはだかる五色台へと向かう。

立ちはだかる五色台

初日は今ひとつ体が慣れてなく必要以上に疲れるので、最初から難所があるのは気が重い。田園の間を抜け墓の横から遍路道に入ると、しばらくは緩やかな傾斜が続く。道はこの先県道の合流点の一本松まで上っていくが、標高は400m弱。これくらいの高さはたいしたことないように思うのだが、今までの経験から油断はできない。果たして一本松まであと600mというところ辺りから強烈な階段の連続となる。このように最初油断させておいて急に辛くなるというところが讃岐には多いような気がする、とノートに書いてある。かなり辛かったのは事実で、つい悪態もついてしまうのだろう。それでも高度を上げると眼下には先ほど通過した国分周辺が望めて気持ちが良い。

悪態をつきながら上る

汗だくになりながら、ようやく一本松に合流。遍路道は県道を横切って続くが、この道を通ると次の82番へ行くときにかなり長い打ち戻しがある。できるだけ同じ道は歩きたくないので、県道を歩くことにする。この道は五色台にある自衛隊演習場の外縁に沿って進むので、延々と鉄条網つきの柵の横を歩く。当然途中にはいくつも立ち入り禁止の看板があるのだが、しばらく行くと堂々と敷地内に入っている人たちがいる。とても関係者とは思えない年配の人たちはどうもワラビか何か山菜採りをしているようだ。しかしどうやって入ったのだろうかと思って引き続き歩くと、遍路道は県道から逸れて柵に沿ったえらく細い道へと入っていく。

ほどなく柵がなくなり、どうもこの道も自衛隊の敷地内に入ったようだ。遍路道の道しるべもあるのでそのまま歩いていくが、沿道にはお地蔵さんや丁石などもある。これまで植物園や工事現場などいろいろな施設の中を通ってきたが、まさか自衛隊の敷地内まで歩くことになるとは思わなかった。さすがに歴史ある道だ。面白い道を歩くことができたので、あえて県道を通ることにしてよかった。上空を自衛隊のヘリが編隊を組んで飛んでいく。
やがてゲートの端を外側に出て県道に戻る。そこからすぐ遍路道に別れ少し下ると分岐点があるが、これから行く81番を打つと、またここまで戻ってくることになる。

自衛隊の敷地から外へ出る

林の中の道を下って行き摩尼輪塔を過ぎると、81番白峯寺に到着。時刻は10:50。
連休だけあって人はそれなりに多いが、団体がいないので助かる。ゆっくりと半年ぶりの参拝をし、納経していただく。納経するといつも御姿の紙を一緒にいただくのだが、さらに小さい紙片を受け取る。小さい色紙には梵字が書いてあるが、何か新しく始まったのだろうか。(後で集まったのを並べてみると「おんあぼきゃべいろしゃなう・・・」と光明真言になった。讃岐ならではのサービスらしいが、途中からしかもらっていない)

ベンチで休憩し、あんぱんなどをほおばる。敷地内には前回にも出てきた崇徳上皇の廟所があり若干興味があるが、基本的に遍路中はあまり観光しない方針なのでそのまま出立。

再び同じ道を登り返し、分岐点からはしばらく平坦で歩きやすい道が続く。大変気持ちの良い道だが、わりと人とすれ違う。皆軽装だし遍路姿でもないので、トレッキングコースにでもなっているのかもしれない。

しばらく歩いて十九丁で国分寺からの道に合流。結構な距離があったので、やはり県道にしておいて正解だった。
ここからかなり上りとなる。一本松まででもかなりな上りだったので五色台の上に出たと油断していたが、地図を見ると440mまで標高を上げることになっている。白峯寺が280mなのでなかなかの標高差である。五色台の上は平坦な台地状だと思い込んでいたので、当てが外れてもう一度汗だくになりようやく県道に出る。

しばらく歩いてみかん園の横から再び遍路道に入って下って行くと、82番根来寺に到着。時刻は12:45。
ここは山門をくぐってからも石段で下ったり上ったりするので油断できない。本堂は回廊を通って入っていくが、その横にはびっしりと小さい観音像が並べてあり見応えがある。やはり人は多いが団体はいない。歩き遍路もちらほらいるようだ。

最後のおにぎりを食べて出発。先ほどのみかん園まで戻り、車道を歩いていく。しばらく行くと八重桜が沢山咲いていて、その向こうに瀬戸内海の島々が見える。とても美しいコントラストに、足を止めてしばらく見入る。景色は少し霞んでいるのが少し残念だったが。

八重桜と瀬戸内海

道は次第に下っていく。五色台を降りて平地になるから当然だが、途中からこれまた強烈な下り坂の遍路道になる。最後の下りは延々と続く急勾配のコンクリート道で、膝にくることてきめん。脚をかばうため時間かけてでもジグを切って下りていく。途中で植木の畑を見かけるようになると鬼無の街に入る。鬼無はわが地元と同じく植木や盆栽が有名で、日本でも有数のところだそうだ。街中には植木屋があふれ、よくわからないながらも見ごたえのある松の盆栽が並べてある。

予讃線の線路を越えると町に入る。しばらく行くと綺麗な建物でお遍路さん休憩所とあったので、ちょうどいいところにあったと喜んで入ろうとするが、鍵がかかっている。がっかりして前のベンチで腰を下ろすことにする。すぐ近くの神社では祭りをやっているらしく、人が多い。

英語の道標

鬼無からは町を斜めに進んでいくので、道はあみだくじのように右に左に曲がっていく。分岐ばかりなので地図と道しるべが便りで油断できない。途中でコースは二手に別れ、距離が短い川沿いの道と昔ながらの遍路道がある。短い方がいいが、ずっと川沿いだと景色が変わらず面白くないだろうと思い、旧遍路道を歩くことにする。こちらも景色は代わり映えしないが、道しるべを探しながら道を辿っていくと割と退屈しないものだ。

これも遍路道

川を渡り高速道路をくぐり、延々と歩くこと数キロ、83番一宮寺に到着。16:30。納経は17時までなのでどうかと思ったが、82番を出る辺りから距離と時間でだいたいの当たりをつけていたのとピッタリだった。一宮寺はこぢんまりしていて私の好きな雰囲気の札所だ。いつもこれくらいの時間だと人はあまりいないのだが、今日は結構いる。

今日の宿はここからすぐ近くなのでゆっくり出発。明日の朝食がないので、手前のコンビニでサンドイッチ等を仕入れる。道を渡ると今日の宿「天然温泉K」に到着。ここはその名の通り日帰り温泉なのだが、宿泊施設もある。一宮寺周辺には他になかったのでここにしたが、結構いいところだった。温泉のフロントに行くと、「宿泊券」を自販機で購入せよと言う。確かに入浴券やタオル等と一緒に「宿泊券4、900円也」があって面白い。

宿は一旦温泉を出て駐車場を横切り、離れたところにあるマンションのような建物。当然宿泊に温泉がついているので入れるのだが、聞くと浴衣のまま駐車場を横切るのは全然問題ありません、皆さんそうしていますとのこと。以前の民宿喫茶で浴衣のまま車道を歩く羽目になったことを思い出した。

部屋は4階建ての4階。エレベーターもなく息を切らして階段を上る。何度も階段を上がりたくないので用事は1回ですまそうと思う。中はワンルームマンションみたいで電気コンロに机と椅子までついている。ユニットバスや独立したトイレにはウォシュレット、壁に折りたたみのベッドがあり寝心地もよさそう。

部屋からの景色。あそこまで浴衣で行く

早速浴衣に着替え、1階のコインランドリーに洗濯物を入れ、駐車場を横切って温泉へ。やはり温泉は気持ちが良い。ジェットバスや露天風呂を散々堪能し、併設している食堂で食事して部屋に戻る。

本日の歩行は43、000歩、25キロ。
やはり初日は体が慣れていないので疲れる。9時頃には布団に入った。

入るは易し、出るは難し

単に機種変更をしたかっただけなのに、ややこしいことになった。

 

セルラーと言われる時代から30年近くauを使っていたが、いつまで経っても料金が安くならないなと思っていたら、格安プランのPOVOが出たので変更することにして2年ほどたった。

同じKDDIでもauとは全く別の扱いで、あらゆるサービスが使えないが、ネットと通話ができればいいので、安さを享受して不便は感じなかった。

 

そうこうするうちに使っていたiphoneのバッテリーが弱くなってきて、新機種に変更しようとショップに行ったところ・・・

 

auの時代に残価設定で機種を買っていたためPOVOのままでは手続きできず、機種変更するためにはブランドを一旦auに戻す必要があるとのこと。auにするとまた高いプランに戻ってしまうので、そこから改めてPOVOにすればいいと考えるが、ややこしいことにPOVOは私の入っている1.0というプランは新規申し込みできなくなっていて、2.0になってしまう。この2.0のプランは大変面倒くさいシステムで、使いたくない。

 

機種変更は延期として店を出たが、どうも釈然としない。少し考えた結果、POVO1.0同様のシステムが使えるdocomoのahamoにすることにして、docomo shopへ行くことにした。

 

ショップの人は親切に対応してくれて、機種変更やデータ移行にえらく時間はかかったが、無事にキャリアもスマホも変更することができた。

 

で、今まで使っていた機種が残価とともに残ったので、返却するためにショップに行ったところ・・・

auで申し込んでいるので、auをやめたら返却はできないですと。どうすればいいかと聞いたが、そのまま最後まで払い続けるしかないと。

 

残価プランを申し込んだときにそんな説明はなかったと思うが、使いもしない機種にお金を払い続けることになるわけだ。幸いショップは家電量販店で、買い取りをしてくれるとのことで、面倒だったのでお願いすることにした。結局全額払わなくてもよくなったものの、けっこう足が出てしまった。

 

携帯に限らずだが、何事も申し込む時はウエルカムで様々な特典をPRしてくるが、やめる際にはあの手この手で引き止め、それでもやめる時はこのようなややこしい事態となってしまう。

 

商売というのは慈善事業ではないので無理もないと思うが。

祭り

全国には有名な祭りが数多くある。誰でも知っている京都祇園祭、青森ねぶた、福岡山笠など枚挙にいとまがない。
ただ、有名度や規模の大小を問わなければ、町の数だけ祭りがあるのではないだろうか。

私の地元は兵庫県の播磨地域だが、こちらの祭りは「ふとん太鼓」と呼ばれる大きな太鼓台(屋台と呼んでいる)を担いで練り歩くものが多い。特にわが町ではこの屋台を担いで神社の84段ある石段を登っていく勇壮なもので、その迫力はなかなかのものだ。

屋台は重さが1トン以上もあるので、担いで練り歩くのはかなり体力がいる。若い頃担いだものだが、人が大勢いるので自分一人くらい力を抜いてもいいだろうと思ったら大間違いで、とにかくずしりとかつぎ棒が肩に食い込み、2日担ぐと両肩を腫らしてしまったものだ。

コロナで中止になっていた祭りだったが、例年通り10月に開催され、今年も見に行った。

祭りは2日あり、初日が夜宮(よみや)、次の日が昼宮となり、開催時刻が多少違う。市内では各所の集落にある屋台だが、わが町では夜宮で6基、昼宮で7基が出動する。

祭りはまず町内を練り歩くのだが、コースや通過時刻が決まっていて、一旦休憩時間がある。その休憩時間に私の実家が一つの地区の接待場になっているので、一旦我が家めがけて屋台がやってくることになる。ヨイヤサという掛け声をあげるか、伊勢音頭と呼ばれるお囃子を歌いながら進む。
屋台が到着すると旧知の顔も多くあり、年に1回しか顔を合わせないので親交を深める。

刺繍のシャチや水引幕が美しい

実家はちょうど曲がり角のところにありよい絵面になるためか、一度テレビ局が家から撮らせてほしいと来たことがある。また、よほどの祭り好きなのか、家を売ってくれと言われたこともあるそうな。

休憩後は折り返して神社に向かって練り進んでいく。屋台は方向が決まっていて、宮へ行くほうが前になる。昔は酒が入って千鳥足になったりしていたが、今は統制が取れていてスムーズに進んでいく。ただ、中には豪勢な屋台にしたおかげで重すぎるのか、やたら落としてしまう屋台もある。

宮入は84段の石段を登っていくため、1基ずつ上げていく。このときだけ掛け声が違うが、昔と違って近年は結構スムーズに登っていく。

宮入り。石段の登り始めと登り終わりが特に難しい

境内に上がると活気づいて進んでいき、本殿の前で屋台を掲げる動作(「サイタ」という)を繰り返し行い、3つ目の屋台が上がってくると休憩に入る。

本殿まえでサイタ

すべての屋台が上がってくると、町内に向けて神輿が出発し、その後順次下っていくが、石段の下りも上り以上に迫力がある。
やがてそれぞれの町に帰って行って終了となる。

巨大なふとん太鼓で練り歩き、石段を登っていく勇壮な祭りは子供の頃から大好きで、全国に有名な祭りは数多くあれど、うちのが一番迫力があって面白いと今でも思っている(おそらく誰もが、わが町の祭りが一番、と思っているだろうが)。

 

四国遍路 8_5

11月7日

5日目

最終日となった。5時半起床、6時半朝食。ここのご飯は旨い。朝、ようやく同宿の人と顔を合わす。H旅館と同じだ。このおじさん、昨日は善通寺からこの先の国分寺まで行ってJRで戻ってきたそうで、行動は人それぞれだ。お支払いする時に歩き遍路にと、飴の詰め合わせをお接待にいただいた。

6:50出発。まずは坂出駅まで行くが、今日は平日なので通勤客でホームは一杯で、スーツ姿の人が多い中、ちょっとアウトロー的気分を味わう。7:14の電車で丸亀へ戻る。

東京からの夜行列車「サンライズ瀬戸

丸亀駅で簡単に準備して7:30出発。今日は80番までにし、その先の遍路ころがしは次回にしたので、スケジュールに余裕はある。丸亀の市街を抜け、交通量の激しい県道に出る。道は渋滞しており自転車の学生も多く、その横を通って歩くのはあまりよい気分ではない。遍路道の案内は少しでも脇道があるとそちらを案内するので多少気が楽だが。しばらくして宇多津駅付近からようやく細い道に入る。

8:20、78番郷照寺に到着。誰もいない中、静かに読経。大師堂の脇に万体観音堂というのがあり、地下に階段が続いているので降りてみる。本当に万を超えるであろう金色の観音像がずらりと奉られており、下には数々のお供え物がある。食べ物もあったのでわずかながら飴を置いてくる。

大師堂はちょっと高台にあり景色がよい。宇多津の町並みの向こうに瀬戸大橋がよく見える。納経を終えて一服と思ったが、この寺には全くベンチがなく、わずかにパイプ椅子が置いてあるのみだったので、そのパイプ椅子に座って休憩。

郷照寺からの眺め

8:40出発。しばらくは古町という昭和を彷彿とさせるような町並みが続くが、途中に「88番大窪寺88キロ」という看板を発見。とうとう最後の札所まで100キロを切ったのかと感慨深い。道はやがて坂出の町に入り、アーケードのある商店街を入っていくと、今朝出立したばかりのK旅館の横を通る。

味のある町並み

町を抜けても道は一直線に続く。町並みに飽きてきた頃、予讃本線の線路が近づいてきてそれを踏み切りで越える。その先しばらく歩くと八十八(やそば)の水場というのがあり、水がいいのか心太(ところてん)が名物らしい。

八十八のところてん

その先にある白峯宮という神社のとなりにある79番天皇寺高照院)に到着。ここは神仏同居しているところで、入口は山門の代わりに鳥居になっている。怨霊の代名詞とも言われ、保元の乱で讃岐に流された崇徳天皇崩御されたところである。寺はさらにこぢんまりしており、本堂と大師堂がくっつかんばかりだ。納経所は道を挟んで反対側にある。ここにもベンチがなくゆっくり休むことが出来ない。今日雨が降らなくて良かった。

10:30出発。線路に沿って町中を進んでいき、鴨川駅前から橋を渡って対岸の土手道になる。空は曇っていて涼しく歩きやすいが、土手道は遮るものがなく先々まで見えてしまうので精神的にはちょっと辛い。しばらく歩くと遍路道は併走している国道11号線に合流するように案内されるが、出来るだけ国道は歩きたくない。地図をよく見ると国道に入らずとも行けるような道があったのでこちらをたどってみると、果たしていかにも遍路道のような道が国道に沿って進んでいく。

どうしてこちらを遍路道にしないのだろうかと思いつつ、道は上りになり国道と接するようになったところで綾坂峠を越える。その後下っていき、国道の下をくぐって集落の中へ。出会ったおばさんが「80番まで500mくらい」と教えてくれる。

讃岐らしい山

意外と長く感じた500mをすぎ、12:00に80番国分寺に到着。これで4つめ、最後の国分寺である。4つの国分寺はどれも平地にあって良い雰囲気だが、ここもベンチがなかった。大師堂は弥谷寺と同じく建物の中にあり、靴こそ脱がなくて良かったが納経所の横で読経しないといけないのでやはり声が小さくなる。それでも今回はここで終了なので心を込めて読経し、納経。

ということで5日間の行程をここで終了。納経所の脇に座るところがあったので、ここで傘と杖をしまって娑婆に戻ることにする。ここからは最寄りの国分駅から高松に出ることにする。あわよくばここから五台山に上り82番、うまくいけば83番まで参って終わろうかとも考えたが、残りの札所も一桁になったので慌てることはない。

国分駅で区切り

無人国分駅で電車を待ち、高松駅へ。まずはホームのうどん屋で讃岐ならではの美味いうどんを食べ、どうやって帰ろうかと思案の結果、金額的にかなり安い高速バスに座席を確保。13:30にバスは出発し、ぐっすり眠って夕方大阪に到着。

本日の歩行は27、000歩、約17キロの行程であった

今回も札所が多く16箇所もの納経をし、難関の雲辺寺もなんとか打ち終えたので満足のいく行程であった。ただ、やはり延々と続いた上り坂のせいか、ふくらはぎを痛めてしまったようだ。

四国遍路 8_4

11月6日

4日目

5時起床、6時朝食。
昨夜遅く着いたお遍路と一緒に食べる。昨日は佐野から雨の中雲辺寺を越えてここまで来たのだとか。みんななかなか体力があることだ。
6時半に出発。今のところ雨は降っておらず、昨日よりはマシだ。昨日同様の景色の中を歩いていく。今日は前回以上に札所が多いので、出来れば雨は降らないで欲しいものだが。

1時間くらいで山の麓に着き、ここから結構急な坂になる。遍路ころがし以外は平坦な所にあると思いがちだが意外ときついところがあり、ここもその様だ。着いてみないと分からないので心の準備ができず、却って辛いものだ。息を切らして坂を登り切ると、71番弥谷寺の袂に到着。しかしこの寺はここからがきつい。

歩いてきた道

仁王門をくぐってから石段が連続する。圧巻は最後の百八煩悩階段で、登り切った後息を整えるのが大変だった。ここまで合計500段はあったろう。しかもここで終わりではない。本堂はまるで嫌がらせのようにさらに200段近く登った所にあるのだ。息を切らせて上りながら鎮守堂や摩崖仏などを眺めるが、この寺は岩山にへばりつくように建っており、45番岩屋寺のようだ。地形的にはそれより厳しいかもしれない。

先の見えない百八煩悩階段

息も絶え絶えになったがさすがに眺めがいい。掃除を終えて降りてくるお坊さんに挨拶をしてようやく本堂に到着。息を整えたあと誰もいない本堂で読経し、今度は膝を気にしながら再び石段を下る。大師堂は煩悩階段を上がったところにあるが、建物の中にあり靴を脱がなければならず面倒くさい。靴を脱いで上がるのは1番以来ではないだろうか。とにかく朝から長大な石段を登らされたあげく靴を脱がなければならないとは大変だ。

頑張った分、景色は良い

大師堂は納経所のすぐ横にあるので、人の横で読経することになる。向こうは慣れているだろうがどうしても小声になってしまう。読経の後そのまま納経。

入口に戻り靴を履いているとそろそろ人が上がってくる。みんな同様に息を切らしているが、上がってくるのは皆年輩の人ばかり。みなさんの体力にはほとほと感心する。そろそろ降りようと階段に近づくと、上ってきたのは例のご夫婦。息を整えながら話をするが、昨夜は近くの温泉に泊まったとのこと。

次の札所へは遍路道だ。坂を下らずに遍路道に入るのはうれしいが、結局標高を下げなければならないのは同じで、道もぬかるんでいるので却って体力を使う。ため池の間から車道に戻り、高速道路の下をくぐってしばらく行くと有名な我拝師山が見えてくる。

今日の遍路道はここだけ

国道からそれて静かな道に入るとやがて72番曼荼羅寺に到着。こぢんまりした寺で屋根付きの休憩所もあるが、すでに団体が盛大に読経している。今日もあまりゆっくりは出来ないので、団体に混じって高速で読経、大師堂でも同様にして団体を引き離してから納経。次の札所はすぐなので休憩せず出発。

わずか500mくらいで次の73番出釈迦寺に到着。この2箇所は近いので団体もこの間は歩くようだ。別の団体にもかち合ったらしく、静かな集落に人があふれている。

この寺のすぐ奥には先程からの我拝師山が見えている。ここには出釈迦寺奥の院になる捨身ケ嶽禅定があり、かつて空海が修行したところだ。まだ空海真魚といっていた幼少の頃、将来仏門に入って多くの人々を助けたい、この願いが叶わないなら身を捨てて諸仏に供養する、と言って身を投げたところ、釈迦如来と天女が大師を助けたという伝説がある。山の中腹に建物が見えており登ってみたかったが時間的にも天候的にも難しい。

我拝師山と捨身ケ嶽禅定

出釈迦寺はますますこぢんまりしているが、ありがたいことにここにも休憩所がある。読経を済ませた後ベンチで休憩していると、とうとう雨が降り出してきた。今日は雨のメインの日だったのでここまで降らなかったのは上出来と言えるが、やはり気が滅入る。雨具を装着して出発。

歩きだして程なく雨は小降りになったので、早々に雨具を脱いでいつでも装着できるように手に持って歩く。我拝師山を背に歩くが前方にも小高い山がある。これは甲山で、この向こうに次の札所がある。畑を突っ切り山の麓を回り込むと、74番甲山寺に到着。ここにも団体がいて、貴重な休憩所が占領されている。とりあえずベンチの隅にザックを置いて読経と納経。この辺りは札所間が短いのでどこでも団体とかぶってしまう。納経してしばらくすると団体が出発したので、改めてベンチで休憩。

再び雨が降り出し、それが強くなってきた。一向にやむ気配がないので出発する。今日は8つもの札所を打つ予定だったが雨のせいで遅れがちだ。この状態では予定を変更せざるを得ないかもしれない。とにかく気合を入れ雨具を着て出発。

今度の雨はかなり本降りで、たちまち靴の中まで濡れてくる。川を渡って善通寺の町中に入るとやがて75番善通寺に到着。ここは空海生誕の地で、善通寺という名も父の善通にちなんでいるのだが、なにせ空海信仰の聖地のようなものなので人が多いだろうと覚悟はしていた。が、着いてみると予想を上回る人の多さ。加えて雨の激しさもあってすっかり意気消沈。境内も東西に分かれるほど広いのだが、ゆっくり休める休憩所もない。

売店横に屋根を見つけたので地べたにザックを下ろし、水場の縁に腰掛けて休憩するしかない。大師堂ものぞいてみたがロウソクを点ける所にも屋根がなく、ここはもう読経はいいやと思ってお札だけ納め、納経のみ済ます。

雨は激しさを増すばかり。足も膝の裏が痛くなってきて、しばらく出立する気にもなれない。ここは建物も多く見所も多いのだが、売店横から動く気にもならず、雨を見上げるばかりである。そのままやがて12時になってしまった。このままいても仕方ないので覚悟を決めて出発。本堂にもお札を納め、有名な五重塔を眺めながら東の赤門から出る。予定では11時には出発するつもりだったので、相当に遅れてしまった。この先の状態では予定変更は仕方ないだろう。

善通寺の町を抜け、布団屋の脇から遍路道に入り、田んぼの中の道を行く。土讃本線の線路をくぐり高速道路のインターの下を抜けると、1時間くらいで76番金倉寺に到着。ここも広々しており、立派な休憩所があったのでゆっくり休む。

ありがたい金倉寺の休憩所

昼飯代わりの行動食を食べ、地図を広げてこれからの行程を考える。今日は78番まで打って坂出に泊まる積もりで宿を取っている。納経所は17時までだから78番にはそれまでに到着しないといけないが、この時間からでは平均速度4キロ以上で歩かなければならず、さらに札所でもほとんど休めない。しかもここまでも無理してきたせいか膝の裏がかなり痛い。

とりあえず別案を考えたが、次の札所で最終決断するつもりで出発。幸い雨はあがったので雨具はしまう。膝の裏は歩き出すと慣れてくるのか次第に痛くなくなってくる。無理して足を痛めるよりはスケジュール変更した方が良いと思いペースを落として歩くが、意外と4キロに1時間かからなかった。

次の札所に着く寸前に、どこからともなく「お遍路さーん」と呼び止められた。見回すと近くの家の中から年輩のおじさんが出てきて、手作りだという小さなお地蔵さんの像を手渡された。なんでも息子さんが作ったらしくとても味のある焼き物の像だ。中をくりぬいてメッセージの書いた紙も入っている。ありがたくいただきしばらくお話をしてから出発。心温まり少し足取りも軽くなる。

讃岐富士が見えてきた

14時を過ぎて77番道隆寺に到着。雨はすっかり上がったがここにも休憩所があるのでザックを置いて読経と納経。ここで最終の決断。次の札所までは7キロ、そこから宿までは3.5キロ。14時半に出発すると、このペースなら16時には着ける。宿には遅くなるが17時半までには到着出来るだろう。

体力的には問題ないと歩き出したが、しばらく歩いていると膝裏が半端なく痛くなってきた。やはり雲辺寺の上りで痛めたらしい。以前の鶴林寺と同じだ。前回ほどひどくはないが、どうしてもスピードが上がらない。

歩きながら考える。今回無理して坂出までのスケジュールにしたのは、その後欲張って82番、うまくいけば83番まで行く積もりだったが、その間にはまた遍路ころがしがある。この足の状態では少々難しいと思われるので、それでは今日中に無理して坂出まで行く必要もない。宿は坂出にとってあるので仕方ないが、今日は丸亀か宇多津から電車で坂出に行くことにしよう。出来れば先の宇多津まで行きたかったが、丸亀の市街に入ったところで再び雨が降ってきたので、丸亀で上がることにした。

駅に向かいながら、予定通り行けなかったことを一瞬口惜しく思ったが、遍路というものはもともと縛りも決まりもなく自由だ。変に自分でルールを作ったり縛られたりせずに行こうと思い直す。駅からは高松行きの電車に乗って2つ目の坂出で下車。商店街を通って16時頃本日の宿のK旅館に到着。

ここは階段が急なのが難点だが、ご主人は親切だし洗濯は無料だし、風呂は広くて気持ちいいし、申し分なかった。宿泊は今日で終わりだが、今回も宿は全て当たりだった。食事は17時半で、今日は行動食しか食べていないので腹が減った。おかずが旨かったのでお櫃のご飯は全て平らげる。

ほっとする宿の部屋

本日の歩行は42,000歩、26キロ。足に盛大に湿布を貼り、21時に就寝。

四国遍路 8_3

11月5日

3日目

5:30起床。今日の行程も迷ったが、ちょうど良い所に宿がないのと難関突破の翌日なのとで、あえて短めのコースにした。結果的に正解だったのは、今日が1日中雨だったということだ。天気予報では曇りのち雨とのことだったが、どうせ朝から雨なのだろうと思っていたら、果たして本当に起きたときから雨が降っていた。予想は悪い方に当たるものだが、本格的な雨は室戸以来だ。

6:30に朝食をいただくが、同宿の人たちの半数はすでに準備を終えて出立するところだった。ご主人から昼ご飯にとおにぎりをいただきありがたい。7:00、久々に雨具を装着して出発。宿のご夫婦が雨の中道路まで見送ってくれる。

道は平坦で里山の中を進んでいくが、朝早いのと雨なのとで薄暗く、どうしても気分が沈みがちになる。雨はそんなに強くないが、雨具はポンチョとスパッツのみなので靴やズボンの一部が次第に湿ってくる。

うつむきながら歩いていると休憩小屋があり、普段ならこんな短距離では通過するのだが、いきなり小休止。雨の日は屋根が本当にありがたい。屋根の下から改めて眺めると雨の風景も悪くない。問題はその中に進んでいくことだけである。気分が乗らないまま歩くこと約1時間。

雨の中の休憩所はありがたい

8時過ぎに67番大興寺に到着。道がいったん下り、山門をくぐった後同じだけ石段を登っていくので、最初から水平に入ればいいのにと、小さなことで理不尽な愚痴を思い浮かべてしまう。それでも山門の先には巨大なカヤの木があり、雨ならではの幽玄な雰囲気ではある。

境内に上がると全く人気がなく、残念ながら休憩所もないので、鐘つき堂の屋根の下に荷物を置いて読経する。しばらくしてA屋で同宿のご夫婦が現れ、本堂の軒先で休憩がてら立ち話する。雨は次第に強くなってきたが先へ行くしかない。30分ほどしてからご夫婦より先に出発。

特に代わり映えのしない景色だが、雨が強くなって次第に靴の中が濡れてくる。靴は軽量で風通しの良いトレイルランニングシューズなので晴れている日はいいが、雨の日は水がそのままダイレクトに滲みてくる。ゴアテックスの靴ならいいのだろうが、こちらは晴れた日には蒸れて仕方ない。何か良い靴はないだろうか。

今日は急いでも仕方ないし、昨日の後遺症か少々足が痛いのでゆっくり歩く。少し軒を見つけては休んだりしていると、先ほどのご夫婦に先行されてしまう。その背中を見ながら歩き、やがて観音寺の市街に入ると交通量も増えてくる。線路を越え財田川の河口付近を橋で越え、琴弾神社の横を通ると68番神恵院に到着。ここはもう一つの札所69番観音寺も同じ境内に同居しており、一度に2箇所打つことが出来るお得な札所である。山門には両方の名前が書いてある。

一つの山門に二つの札所(見にくいけど)

ということで、ここでは4回読経することになるが、納経は一度に2ページ記入してくれる。神恵院はコンクリート造りの近代的な本堂だが、観音寺は室町時代建立の重要文化財で対照的である。境内には屋根付きの舞台のようなものがあり、荷物を置いてゆっくり休憩出来る。同宿のご夫婦2組も一緒に休んでいる。

靴を脱いですっかり濡れてしまった靴下を少しでも乾かすことにする。実はこの札所の裏には有名な寛永通宝の砂絵「銭形」があり、余裕があれば見に行こうかと思っていたのだが、雨だし展望台まで登らないといけないしで、やめることにした。観光は遍路を終えてからにしよう。

雨は強くなったり弱くなったりで、腰に根が生えたようになかなか出立する気にならず、少し早いがA屋でいただいたおにぎりを食べることにする。シンプルな梅干しのおにぎりは大変に美味であった。

12:00に出発。結局1時間くらいゆっくりしてしまった。雨足はまた強くなっているが、篠突く雨の中、観音寺の町を抜けていく。ある赤信号で待っていると、いきなり自転車のおじさんから「本山寺?」と聞かれる。次の札所なので当然とばかり返事をすると、「これ持って行き」と、なぜかキュウリを2本渡された。ご自分の畑でとれたものらしく曲がりくねっているが、お接待で野菜は初めていただいた。持っていても仕方ないのでそのままかじりながら歩く。

2本のキュウリをかじり、財田川を渡り終えた頃、今度はスクーターのおじさんから話しかけられる。おじさんは次の橋までは350m、3つめの橋を越えた頃から本山寺五重塔が見える、などとこれからの道のりを懇切丁寧に教えてくれ、最後にさっき取ったばかりというイチジクをくれた。イチジクも歩きながらむさぼり食う。

しばらく土手沿いに歩いていくと、三たび別の自転車のおじさんに、「昼飯食べた?」と唐突に聞かれる。先ほどおにぎりを食べたと言うと、この先の橋の向こうの袂にあるうどん屋が旨いと薦めてくれる。このおじさんも月の半分くらいはそこで昼飯を食べるらしい。その後も話しながら進むが、このおじさんも以前は歩き遍路をしていたそうで、73歳のときに51日で回ったらしい。おじさんと分かれて例の橋まで行くと対岸に件のうどん屋が見えるが、駐車場は車で一杯で確かに旨い店のようだ。さすがにうどんはパス。

遠くに次の札所が見える

そのまま土手道を進んでいくとスクーターおじさんの言った通り遠くに五重塔が見えてくる。道はやがて歩行者専用となり、予讃本線の下をくぐってしばらく行くと、70番本山寺に到着。ここは敷地は広いが建物が閑散としていて、今度も屋根付きの休憩所がない。ざっと見渡し護摩堂の軒下にスペースがあったので荷物を置いて読経。だいぶ雨の中にも慣れてきた。

閑散とはしているが遠くからも見える五重塔は立派なものだ。護摩堂の廊下に腰掛けて休んでいると、三度例のご夫婦がやってきたので世間話。このご夫婦は要所では鉄道やタクシーなどを利用しているそうで、それでも出会う私のことを速い速いとほめてくれる。

護摩堂の軒下で休憩

14:00出発、と、準備していると愛用のタオルがないことに気づく。境内を見直したがなかったところを見るともっと前に落としたらしい。最近は一度遍路に出る度に何かしら落としている。前回はバンダナでその前は手ぬぐい・・・。布ものは落としても音がしないので仕方ないが、布とはいえ愛用のモノをなくすのは口惜しい。今回はたかがタオルだが、モンベルの速乾性のもので、1000円もしたものなのでなおのこと悔しい。

出発するが雨はやむ気配もないし国道沿いは車が多いし、モノは失くすし、意気消沈しながら歩く。うつむきながら歩いていたせいか道案内を見過ごして道を間違えるし、踏んだり蹴ったりだ。

道はやがて国道から旧道に入り、少しほっとして先を進む。ここも讃岐街道とよく似た景色でやはり退屈な道だ。今日の行程は短いので早く着くかと思ったが、各地でゆっくりしすぎたせいでほどほどの時間となり、15:30今夜の宿のH旅館に到着。小さな町にある旅館だが、入ってみると思ったより大きな建物だ。濡れたポンチョを隣の物干しにかけ、脱いだ靴には新聞紙を貰って丸めて突っ込み、部屋に上がる。風呂にはすぐ入れるし洗濯は無料だし、ここも良い宿だ。

今夜の宿

今日の宿泊客は私ともう一人だけとのことだが、そのもう一人が随分遅く到着したので、夕食は広い食堂で私一人だった。メニューは魚ありトンカツありで旨かった。夕食後タオルを分けてもらえないかとお願いすると、快く名前入りのものを無料で分けていただいた。このタオルはその後失くすことはなく、今も家にある。

本日の歩行は38,500歩、約24キロ。雨には降られたが平坦な道ばかりで、前日のリハビリにちょうどよかった。