OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 8_4

11月6日

4日目

5時起床、6時朝食。
昨夜遅く着いたお遍路と一緒に食べる。昨日は佐野から雨の中雲辺寺を越えてここまで来たのだとか。みんななかなか体力があることだ。
6時半に出発。今のところ雨は降っておらず、昨日よりはマシだ。昨日同様の景色の中を歩いていく。今日は前回以上に札所が多いので、出来れば雨は降らないで欲しいものだが。

1時間くらいで山の麓に着き、ここから結構急な坂になる。遍路ころがし以外は平坦な所にあると思いがちだが意外ときついところがあり、ここもその様だ。着いてみないと分からないので心の準備ができず、却って辛いものだ。息を切らして坂を登り切ると、71番弥谷寺の袂に到着。しかしこの寺はここからがきつい。

歩いてきた道

仁王門をくぐってから石段が連続する。圧巻は最後の百八煩悩階段で、登り切った後息を整えるのが大変だった。ここまで合計500段はあったろう。しかもここで終わりではない。本堂はまるで嫌がらせのようにさらに200段近く登った所にあるのだ。息を切らせて上りながら鎮守堂や摩崖仏などを眺めるが、この寺は岩山にへばりつくように建っており、45番岩屋寺のようだ。地形的にはそれより厳しいかもしれない。

先の見えない百八煩悩階段

息も絶え絶えになったがさすがに眺めがいい。掃除を終えて降りてくるお坊さんに挨拶をしてようやく本堂に到着。息を整えたあと誰もいない本堂で読経し、今度は膝を気にしながら再び石段を下る。大師堂は煩悩階段を上がったところにあるが、建物の中にあり靴を脱がなければならず面倒くさい。靴を脱いで上がるのは1番以来ではないだろうか。とにかく朝から長大な石段を登らされたあげく靴を脱がなければならないとは大変だ。

頑張った分、景色は良い

大師堂は納経所のすぐ横にあるので、人の横で読経することになる。向こうは慣れているだろうがどうしても小声になってしまう。読経の後そのまま納経。

入口に戻り靴を履いているとそろそろ人が上がってくる。みんな同様に息を切らしているが、上がってくるのは皆年輩の人ばかり。みなさんの体力にはほとほと感心する。そろそろ降りようと階段に近づくと、上ってきたのは例のご夫婦。息を整えながら話をするが、昨夜は近くの温泉に泊まったとのこと。

次の札所へは遍路道だ。坂を下らずに遍路道に入るのはうれしいが、結局標高を下げなければならないのは同じで、道もぬかるんでいるので却って体力を使う。ため池の間から車道に戻り、高速道路の下をくぐってしばらく行くと有名な我拝師山が見えてくる。

今日の遍路道はここだけ

国道からそれて静かな道に入るとやがて72番曼荼羅寺に到着。こぢんまりした寺で屋根付きの休憩所もあるが、すでに団体が盛大に読経している。今日もあまりゆっくりは出来ないので、団体に混じって高速で読経、大師堂でも同様にして団体を引き離してから納経。次の札所はすぐなので休憩せず出発。

わずか500mくらいで次の73番出釈迦寺に到着。この2箇所は近いので団体もこの間は歩くようだ。別の団体にもかち合ったらしく、静かな集落に人があふれている。

この寺のすぐ奥には先程からの我拝師山が見えている。ここには出釈迦寺奥の院になる捨身ケ嶽禅定があり、かつて空海が修行したところだ。まだ空海真魚といっていた幼少の頃、将来仏門に入って多くの人々を助けたい、この願いが叶わないなら身を捨てて諸仏に供養する、と言って身を投げたところ、釈迦如来と天女が大師を助けたという伝説がある。山の中腹に建物が見えており登ってみたかったが時間的にも天候的にも難しい。

我拝師山と捨身ケ嶽禅定

出釈迦寺はますますこぢんまりしているが、ありがたいことにここにも休憩所がある。読経を済ませた後ベンチで休憩していると、とうとう雨が降り出してきた。今日は雨のメインの日だったのでここまで降らなかったのは上出来と言えるが、やはり気が滅入る。雨具を装着して出発。

歩きだして程なく雨は小降りになったので、早々に雨具を脱いでいつでも装着できるように手に持って歩く。我拝師山を背に歩くが前方にも小高い山がある。これは甲山で、この向こうに次の札所がある。畑を突っ切り山の麓を回り込むと、74番甲山寺に到着。ここにも団体がいて、貴重な休憩所が占領されている。とりあえずベンチの隅にザックを置いて読経と納経。この辺りは札所間が短いのでどこでも団体とかぶってしまう。納経してしばらくすると団体が出発したので、改めてベンチで休憩。

再び雨が降り出し、それが強くなってきた。一向にやむ気配がないので出発する。今日は8つもの札所を打つ予定だったが雨のせいで遅れがちだ。この状態では予定を変更せざるを得ないかもしれない。とにかく気合を入れ雨具を着て出発。

今度の雨はかなり本降りで、たちまち靴の中まで濡れてくる。川を渡って善通寺の町中に入るとやがて75番善通寺に到着。ここは空海生誕の地で、善通寺という名も父の善通にちなんでいるのだが、なにせ空海信仰の聖地のようなものなので人が多いだろうと覚悟はしていた。が、着いてみると予想を上回る人の多さ。加えて雨の激しさもあってすっかり意気消沈。境内も東西に分かれるほど広いのだが、ゆっくり休める休憩所もない。

売店横に屋根を見つけたので地べたにザックを下ろし、水場の縁に腰掛けて休憩するしかない。大師堂ものぞいてみたがロウソクを点ける所にも屋根がなく、ここはもう読経はいいやと思ってお札だけ納め、納経のみ済ます。

雨は激しさを増すばかり。足も膝の裏が痛くなってきて、しばらく出立する気にもなれない。ここは建物も多く見所も多いのだが、売店横から動く気にもならず、雨を見上げるばかりである。そのままやがて12時になってしまった。このままいても仕方ないので覚悟を決めて出発。本堂にもお札を納め、有名な五重塔を眺めながら東の赤門から出る。予定では11時には出発するつもりだったので、相当に遅れてしまった。この先の状態では予定変更は仕方ないだろう。

善通寺の町を抜け、布団屋の脇から遍路道に入り、田んぼの中の道を行く。土讃本線の線路をくぐり高速道路のインターの下を抜けると、1時間くらいで76番金倉寺に到着。ここも広々しており、立派な休憩所があったのでゆっくり休む。

ありがたい金倉寺の休憩所

昼飯代わりの行動食を食べ、地図を広げてこれからの行程を考える。今日は78番まで打って坂出に泊まる積もりで宿を取っている。納経所は17時までだから78番にはそれまでに到着しないといけないが、この時間からでは平均速度4キロ以上で歩かなければならず、さらに札所でもほとんど休めない。しかもここまでも無理してきたせいか膝の裏がかなり痛い。

とりあえず別案を考えたが、次の札所で最終決断するつもりで出発。幸い雨はあがったので雨具はしまう。膝の裏は歩き出すと慣れてくるのか次第に痛くなくなってくる。無理して足を痛めるよりはスケジュール変更した方が良いと思いペースを落として歩くが、意外と4キロに1時間かからなかった。

次の札所に着く寸前に、どこからともなく「お遍路さーん」と呼び止められた。見回すと近くの家の中から年輩のおじさんが出てきて、手作りだという小さなお地蔵さんの像を手渡された。なんでも息子さんが作ったらしくとても味のある焼き物の像だ。中をくりぬいてメッセージの書いた紙も入っている。ありがたくいただきしばらくお話をしてから出発。心温まり少し足取りも軽くなる。

讃岐富士が見えてきた

14時を過ぎて77番道隆寺に到着。雨はすっかり上がったがここにも休憩所があるのでザックを置いて読経と納経。ここで最終の決断。次の札所までは7キロ、そこから宿までは3.5キロ。14時半に出発すると、このペースなら16時には着ける。宿には遅くなるが17時半までには到着出来るだろう。

体力的には問題ないと歩き出したが、しばらく歩いていると膝裏が半端なく痛くなってきた。やはり雲辺寺の上りで痛めたらしい。以前の鶴林寺と同じだ。前回ほどひどくはないが、どうしてもスピードが上がらない。

歩きながら考える。今回無理して坂出までのスケジュールにしたのは、その後欲張って82番、うまくいけば83番まで行く積もりだったが、その間にはまた遍路ころがしがある。この足の状態では少々難しいと思われるので、それでは今日中に無理して坂出まで行く必要もない。宿は坂出にとってあるので仕方ないが、今日は丸亀か宇多津から電車で坂出に行くことにしよう。出来れば先の宇多津まで行きたかったが、丸亀の市街に入ったところで再び雨が降ってきたので、丸亀で上がることにした。

駅に向かいながら、予定通り行けなかったことを一瞬口惜しく思ったが、遍路というものはもともと縛りも決まりもなく自由だ。変に自分でルールを作ったり縛られたりせずに行こうと思い直す。駅からは高松行きの電車に乗って2つ目の坂出で下車。商店街を通って16時頃本日の宿のK旅館に到着。

ここは階段が急なのが難点だが、ご主人は親切だし洗濯は無料だし、風呂は広くて気持ちいいし、申し分なかった。宿泊は今日で終わりだが、今回も宿は全て当たりだった。食事は17時半で、今日は行動食しか食べていないので腹が減った。おかずが旨かったのでお櫃のご飯は全て平らげる。

ほっとする宿の部屋

本日の歩行は42,000歩、26キロ。足に盛大に湿布を貼り、21時に就寝。