OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

18切符旅アーカイブ 東北編1

以前に青春18切符で旅した記録です。
東日本大震災の2年前の2009年の冬に行った東北の旅です


旅は吉野家の牛丼に似ている。
無性に食べたくなるが、一度食べるとしばらくいいやと思ってしまう。

久々に無性にどこかに行きたくなり、冬の旅なので北国に行こうと思う。雪国は車で行けないので(スタッドレスタイヤがない)、必然的に鉄道の旅になる。

東北をゆっくり回りたかったが、名古屋から地道に進んでいると、余程休みがないと大したところに行けない。いろいろと考えた末、多少金はかかるが途中までワープしようと思い調べると、名古屋からは仙台行きの夜行バスがある。

仙台を起点にすると4日あれば満足できる行程となったので、12月中に計画を立て、1月の3連休に残っていた代休を足して4連休にし、バスの予約をし、18切符を買い、宿の予約をし、1月8日の夜に出発となった。

21:30名古屋バスターミナルを出発。早くに予約したためか、バスの指定席は「1A」。一番前は楽かと思いきや、目の前に棚があり足が伸ばせない。
失敗したと思ったが、四国遍路で夜行バスに慣れたのか仙台まで熟睡できた。仙台着は定刻7:10。

当初はここから仙石線石巻に出る計画だったが、仙台での待ち合わせが20分しかなく準備が忙しい。石巻線の前谷地で乗り換える列車が仙台発だったので調べると、何と1時間30分も後に出る列車で、しかも直通で楽なので迷わずこちらに乗ることにした。

ロッテリアで朝食をとりゆっくりと準備した後、この旅一番目の列車として快速「南三陸1号」で8:57に仙台を後にした。

ディーゼル列車とはいえ快速だけあって、かなりの速度で走り小牛田までノンストップ。今はディーゼルといえどもかなり快適な乗り心地で隔世の感がある。仙台は都会だったが、駅を2~3過ぎると東北らしい広々とした光景が広がり、旅の実感がわいてくる。

小牛田から石巻線に入り、前谷地からは気仙沼線に進入する。単線ローカル線に入るといきなり鄙びて茫洋とした光景になり、列車の速度も遅くなり旅情満点。ただ、柳津から本吉までは開通時期が遅く、遅いだけに建設技術が進んだのかトンネルが長大となり乗り心地も良くなる。

気仙沼線のこの区間津波の被害の多いところで陸の孤島となりやすく、道路が整備されるまで鉄道開通は悲願であったそうな。志津川からは海も見えるようになり、本吉からはまた鄙びた感じとなる。(※脚注:当時の感想で、まさかこの2年後にあんな悲劇になるとは、想像だにしていなかった)

今はない志津川

気仙沼には10:53到着。
乗り換えに少々時間があるので駅前に出てみる。幸い売店に駅弁を発見したので早速購入。今回のスケジュールはかなり出来が良く、出来がいいのでどこでも乗り換え時間があまりない。乗り換え時間がないと食事ができず、駅弁が入手できないと悲惨な事になるわけだ。初日にして昼食を手に入れることができたのは重畳である。

気仙沼駅

やがて大船渡線の盛(さかり)行きが入線、しばらく気仙沼で時間調整する間に購入した「纜(ともづな)弁当」を開く。フカヒレで有名な気仙沼らしく、フカ肉やサンマなど海の幸を使った料理で大変美味であった。

纜弁当

弁当を食している間に列車は出発、大船渡線に入る。この辺りから地形はリアス式となり、海の近くにも関わらずトンネルや山景色が多くなる。ここから宮古までは似たような光景だと想像できる。

陸前高田

陸前(宮城県)から陸中(岩手県)に入り、海を眺めながら大船渡市に入るとやがて終点の盛に着く。

ここからは第三セクターとなった三陸鉄道南リアス線となるので別料金。切符を購入して1両の車両に乗り込むが、結構地元の人でいっぱいでなによりだ。

列車は発車すると早速トンネルだらけ。途中吉浜までは旧国鉄盛線だったが、第三セクターとなっていろいろとサービス精神旺盛となったらしく、景色のいいところでは止まったり徐行したりしてくれる。列車も「たいへんよくできました列車」と書いてあり、何の事かと思ったら地元の幼稚園の園児が描いた絵を飾っているのだった。

13:26釜石到着。外から見るだけでは何か寂れた街である。
接続よく待っていた山田線宮古行き列車に乗り込むと、すでに地元高校生でいっぱいだ。そういえば今日は平日であった。

釜石は地形がよく分からず、思っていたのと逆の方向に走り出したので驚いた。なかなか無いことで、地図を持ってくるんだったなぁと思う。

山田線はリアス式海岸の典型のような地形を走るので、海→山の連続である。駅名も鵜住居(うのすまい)とか井上ひさしの小説で有名な吉里吉里(きりきり)など楽しいものが多い。

15:58宮古着。釜石よりは賑々しく駅前にも活気があるが、乗り換えは4分しかなく慌てて跨線橋を渡り別ホームに待っていた岩泉行きに乗り換える。

途中の茂市から接続する岩泉線は終点まで1日3往復しかない超ローカル線で、マニアに人気がある(現在は廃止)。なんでこんなところに作ったのかと思うくらい山の中を走っていくが、途中から雪が降り出しやがて吹雪となった。

木々の黒と雪の白でモノトーンの景色の中、山中を延々と走っていくと、あまりに周りに何もないということで有名な押角駅に着く。確かに何もないが、近くに道があるだけ四国の坪尻駅よりマシだと思う。

何もない押角駅

車内には地元の人も乗っているが、こちらの方言は何を言っているのか分からず、最初は外人が乗っているのかと思ってしまった。

16:33、1日3往復にしては立派な駅舎の終着岩泉駅到着。地元民は雪の降りしきる中さっさと駅舎を出ていってしまい、駅に残ったのは自分と同じ旅行者らしき人が数名。

岩泉駅

1時間くらい待ち時間があるのであわよくば何か食べようかと思ったが、駅周辺には見事なほど店がなく(この辺り四国に似ている)、腹が減ってきたが仕方なく自販機で買ったココアなどを飲んで紛らわす。

岩泉駅ホーム

17:20折り返し茂市行きがすっかり暗くなった岩泉を後にして再び山中へと分け入っていく。復路だし寝不足なのもあって茂市までは熟睡、18:12に雪が激しくなった茂市に到着。ここでも接続は良いはずだったが、雪のため後続列車が遅れていると駅員さんが教えてくれたので、駅舎で一服。

茂市駅

駅員さんは親切で、再び現れると途中の停車駅での待ち時間が長いためここで遅れは解消、終点の盛岡には定刻に着くと教えてくれる。

18:40頃盛岡行きが到着。山田線の盛岡行きはこの列車が最終なのである。
すっかり暗くなった中、列車は西に向かってひた走る。時々併走する道路でたまに車を見かける以外、全くといっていいくらい明かりがない。雪は激しくなる一方で、途中の駅のホームでは雪がうずたかくなっている。昼間はどんな風景なのが気になる。

茂市の駅員さんの言った通り、区界(くざかい)駅で遅れを取り戻し、次の浅岸までの間で長大なトンネルを抜ける。山岸あたりからようやく明かりが見え始め、街の雰囲気になってきた。

20:44本日の宿泊地である盛岡に到着。鄙びた駅ばかり見てきた身には盛岡が大都会に見え明かりがまぶしい。
さすがに腹が減ったがもう遅いので、駅前の松屋で夕食を簡単に済ませると、ビジネスホテルに投宿。

このホテルには温泉が着いているのでゆっくりと身体の疲れを癒し、明日に備えて早い目に寝ることにする。