OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 7_3

5月2日

3日目

やはり4時過ぎには目が覚めてしまう。昨日買った食材を食べて準備。今日は今回で一番距離が長いので、早い目に出立する。

松山市の北側を西に向かって歩いていく。この辺りはむかし兄が住んでいたところで、南側の山の上に松山城が見えている。山頭火の終焉の地である一草庵の前を通り、道はやがて川に沿った遊歩道のようになる。そのまま国道に合流。今日は平日なので交通量も多く、対面から山のように学生が自転車でやってくる。さすがに大都市、誰も私などに見向きもしない。

山頭火終焉の地

交通量の激しい幹線道路をかなり歩き、ようやく市街地を出ると広々とした田園地帯になる。穏やかな景色にほっとしながら進んで行き、9時前に52番太山寺の一の門に到着。ただ、この寺はここからが長く、参道を通ってしばらく行くとようやく山門がある。石段を登って立派な山門をくぐっても道は続き、そのうち次第に急な坂になる。しばらく上ると右手に納経所があるが本堂はまだまだ先で、息が切れてきた頃長い階段を上って到着。

境内はのんびりした風景で、地元のお年寄りが集まって井戸端会議をしている。良い天気の中ゆっくり読経する。納経ははるかに下ったところなので、のんびりと休憩した後は同じ道を下っていく。納経を済ませ、元の道を戻っていく。一の門をくぐると平地になり、田園地帯を進む。

次の53番までは比較的近いので一気に行ってしまおうと歩いていると、公民館のようなところで黄色い服を着た人がたむろしており、一人のおじさんがこちらを見るやいなや、激しく手招きする。のぼりに「お接待」と書いてあったので、休憩にはちと早いと思ったがご厚意に甘えることにする。

愛想のいいおじさんが席に座らせてくれると、すぐに水羊羹と甘酒が出てきた。疲れに甘いものがしみ通るようだったが、もう少し後だったらうどんも茹でたのにね、と、昨日の坂本屋に続いてタイミングがよろしくない。
まあ、お接待の内容を期待すること自体間違いで、ここでお接待を受けられることは単純にうれしい。ちなみにここは和気というところで、札所が2カ所もあるのでお接待に力を入れているとのこと。

休憩させていただいた後は足取り軽く出発するが、すぐに53番円明寺に到着。ところが到着寸前に、恐怖の団体バスが今まさに到着しようとするところが見え、団体の後については大変なので、大急ぎで山門をくぐり、取るものとりあえず納経を先に済ませる。納経さえ済ませば何とかなるのでほっとしていたが、その間に本堂では大音響で読経が始まっており、背に腹はかえられず大師堂を先に参る。

こぢんまりとした円明寺

この先はしばらく札所がないので、ここでのんびりしていくことにする。団体さんは大師堂でも読経すると雪崩を打って出て行ってしまい、境内はあっというまに静寂を取り戻す。ここは1598年に納められた銅板の納札があり、最古のものだとか。

ちなみに納札は、例の衛門三郎が、自分が空海を探しているということを知らせるために、寺にお札を打ち付けたのが始まりとされている。かつてはここのように金属製や木製で、寺の柱に釘で打ち付けていたので、遍路は札所に参拝することを「打つ」というそうだ。今は建築物の損傷を避け持ち運びの利便性を考えて、紙製の納札納札箱に入れるようになっている。

10:30出発。しばらく町中を歩いて行くと久しぶりに海沿いに出る。ここは穏やかな瀬戸内海で、今までの荒々しい太平洋とは雰囲気がまるで違う。天気も良く海を眺めながら気持ちよく歩いていくが、写真を撮るのに立ち止まっていると、後ろから年配の男性に声をかけられた。しばらく世間話をした後おじさんは先行していったが、この人が速いのなんの、あっという間に豆粒のようになってしまった。やはりあの年代の人は足腰がしっかりしている。

穏やかな瀬戸内海

光洋台のあたりからは海から離れ、平凡な地方都市の郊外の光景となる。以前の宇和島近辺と似た雰囲気で、見所も休むところもない。ノンストップで歩いているので脚が痛くなってきたが、休むところが無い。バス停にもベンチすらなく、うつむき加減にひたすら歩くしかない。北条の町に入ってきても鄙びた感じの町並みにはそれらしいところもない。看板で「花遍路」などと大書しているが、その割に遍路に冷たいなと思いつつ、とうとう今日の宿であるO屋に到着してしまった。まだ昼である。

事前にこうなることは想定済みだった。今日の距離から考えると北条で泊まるには近すぎるのは分かっていたので、宿泊地はもう少し先に考えていたのだが、この先2件しかない宿のうち1件は廃業、もう1件はいくら電話しても出ない。松山から先しばらくは宿の配置がうまくいかず、スケジュールを立てるのに難儀した。結局、せっかくJR沿いに進むのだから、歩けるところ迄行って列車で北条に戻り、翌日はもう一度列車でそこまで行くことにした。目標は菊間である。

どうせ戻ってくるのだから荷物を置かせて貰おうと宿に入っていくと、食堂も兼ねているO屋には先ほどブチ抜かれたおじさんがジョッキでビールを飲んでいた。和風の旅館なのになぜか部屋はツインのベッドがある部屋に荷物を置き、少し休憩して身軽になってから出発。ちょうどおじさんも出発するところだったので、何となく同行することになった。

さすがに空荷になるとおじさんのペースについて行けるが、それにしてもこの人、荷物を背負ってよくこんなに速く歩けるものだと思ったら、どうもかなりのベテランらしく、四国はおろか東京から下関まで歩いたり、果てはヨーロッパの有名なサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路まで歩いたりしているそうだ。今回も東京から青森まで歩く予定だったのが、予定を変えて四国を歩いているとか。

ベテランと同行

道は海の近くにも関わらず峠を越えることになり、鎌大師というのがあるそうだが、歩くことと話すことに専念していてとうとう気づかなかった。かなり急坂だったがかなりのペースで上り、さらに速いペースで下る。

下ると浅海(あさなみ)の集落で、ここから海沿いに戻る。人と同行しているといろいろ話が出来て楽しい反面、景色を楽しむことが疎かになる。それでも歩きながら何枚か写真を撮ったりして、菊間までの道程を楽しむ。

結局3時前には菊間に着いてしまうが、ここは鬼瓦の有名なところで、至るところに瓦屋が巨大な鬼瓦を展示している。おじさんとは歩きながらあっさり分かれ、想定していたより1時間も早い列車に乗って北条に引き返す。やはり電車は速く、あっという間に北条に戻る。

菊間の鬼瓦

宿で洗濯・風呂を済ませ、名物の鯛飯に舌鼓を打ち、8時半頃には就寝。

本日の歩行は52,000歩、32キロで、今回最長だったが、北条近辺以外では思いの外疲れなかった。