OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

価値観と基準

車で走っていて、前の車が妙に遅いと感じることはけっこうあると思う。

見晴らしがよくまっすぐな道なのに、なぜかゆっくり走る。制限速度50キロの道をぴったり50キロで走られると、遅く感じてしまうものだ。

そういうときは、特に急いでいなくてもどうしても少々イライラしてしまう。急いでたりするとイライラ度は増してしまい、場合によっては抜いてしまうこともある(法令は遵守です)

よくよく考えるとこちらの感覚では遅く感じるが、向こうの感覚はその速度が適性なのである。制限速度50キロの道を時速50キロで走るのは何もおかしくはない。

逆もあって、そこそこのペースで走っているのに、後ろからぴたりと張り付かれることもある。なんでそんなに煽って来るのだと思うが、これも向こうの感覚ではもっと早く走るのが普通なのだろう。

要するに、一人一人が持っている感覚や基準は人それぞれということだ。自分の感覚と人の感覚が違うのが当たり前なのに、そんなことを忘れてイライラしてしまう。世の中の感覚を自分基準で考えてしまうわけだ。

改めてそういう風に意識すると、以前よりかなりイライラすることは減ったような気がする。

これは車の運転だけではなくて、あらゆることに当てはまる。集合住宅に住んでいて、うるさい物音がすることもあるが、音を出している本人はうるさい基準が違うわけで、悪気があるわけではないだろう。

いちばん厄介なのが人それぞれの価値観の違いだと思う。いさかいが起きるのは、ほとんどが価値観の違いに原因があり、その最たるものが国同士の紛争だろう。特に宗教などは価値観の塊なので根が深い。

相手の感覚や価値観を考え理解することが、争いをなくすいちばんいい方法だと思うが、人類の歴史を見ているとなかなか難しいようだ。「多様性」という言葉はよく目にするのだが。