OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

補足遍路 2

ゴールデンウイークに6日かけて150キロを踏破し、修行の道場土佐も残す札所は3箇所となった。体調も天気も良く申し分のない遍路旅だったが、帰ってから次の行程を調べてみると、ちょっと中途半端な終わり方だと気づいた。

さすがに修行の道場、後半の3箇所は半端な距離ではない。特に37番から38番は札所間最長の87キロもある。以前の23番から24番の間83キロを上回る距離で、その時のしんどさを思い出すと少々気が重い。

前回終了地の安和から先は四国でも屈指の僻地で、鉄道でも窪川宿毛しかなくアプローチが大変になる。よって、土佐最後の39番まで行くにはどうやっても6日はかかる。あわよくば9月の連休に制覇しようと思っているが、連休は5日なので1日足りない。

前置きが長くなったが、9月までの暑くならないうちに37番岩本寺を打ってしまいたいと考え、前回と同様に補足遍路として1日歩くことにし、せっかくなので前後で旅をしようと考えた。

7月3日(金)に休みをとり、深夜割引が適用できるうちにと深夜3時に車で家を出発。高速道路を西へとひた走る。名神、中国、山陽、瀬戸大橋、松山、高知道と通過し、10時頃終点の須崎に到着。

歩き遍路ゆえに体験できなかったことをしようと、本格的なわらの炎で焼いたカツオのたたきを食し、須崎名物の鍋焼きラーメンを食し、あちこち寄り道をし、横浪スカイラインを通り、雨が降り出した中、宿泊地の高知に向かう。宿は駅の近くにし、明日に備えて早々に寝ることにする。

7月4日(土)、5時に起床、高知発5:51発窪川行きの列車に乗って安和に向かう。7:30に到着した安和駅は、先日来た時と同じく穏やかな波の音に包まれた懐かしい佇まいであった。

準備をして出発。今年の梅雨は気合が入っていて、ここのところ連日雨だったので、今回は天候についてはあきらめていた。却って峠を2箇所も越えるので崩落などで通行止めにならないように願っていたくらいなのだが、今日は穏やかに晴れている。日焼けなど考えもしなかったので日焼け止めを忘れて悔やんだくらいだ。

土讃本線の横を通ると焼坂峠の本格的な山道に入る。道は本格的過ぎて登山の時の様に鎖場まで現れた。急な角度のガレ場で、前日までの雨で濡れていて滑りやすい。転んだりしては元も子もないので慎重に登る。身体が慣れないうちの急登はきついが、30分くらいで焼坂峠の切り通しに到着。

焼坂峠の上り

下りはダラダラとした道が延々と続いて楽だが、夏場ということもあり草が生い茂っていて時々藪漕ぎをしなければいけない。夏に遍路に来るのは初めてだが、暑さや湿気以外に虫や草が想像以上に大変だった。    

時期が時期だけに人気は全くない。道も木が生い茂って昼なお暗く次第に心細くなる。連日の雨のせいか道も所々荒れていて恐怖も感じることも。ようやく下ってきて国道を走る車の音に少々ほっとした。こんな心持ちは初めてだ。

峠を下りきったところで急に目の前が明るく開ける。明るすぎだと思ったら高速道路の工事現場のまっただ中に出てしまった。山が切り開かれトンネルの口がぽっかり開いており、遍路道はそのど真ん中を突っ切ることになる。

この道で大丈夫かと思っていたら、警備の人がやってきて先導してくれる。いにしえのへんろ道ならではだが、こんな日でも1時間ほど前に遍路が通過して行ったらしい。ようよう工事現場を通り過ぎ、警備の人にお礼を言ってから本来の道に戻る。

線路沿いをしばらく行くと国道56号線に合流。交通量が多く歩道もなく、相変わらずの歩きにくさに辟易したが、ほどなく脇道に逸れ土佐久礼の町中に入って行く。

犬に吼えられながらしばらく行くと遍路小屋を発見し、休憩することにする。小屋の中にはこれから歩く添蚯蚓(そえみみず)遍路道のパンフレットもあったので、事前に情報を入手。

土佐久礼の町を抜けてしばらく北上するとやがて添蚯蚓遍路道に入っていく。ここから七子峠までは3つの道があり、この道は最も歴史が古い。別道の奥大坂道ができてから廃道になってしまっていたのだが、有志の方たちで復活させたとのこと。ところが昨年まで高速道路の工事の影響で通行止めになっており、今年にようやく新道が開通したので、この歴史ある遍路道を歩けるのは僥倖だった。

道はところどころ石畳もある風情のある道だったが、暫く行くと高速道路の工事現場に入る。新道というのはこれを階段でいったんくぐって登りなおすというもので、のぼりの階段を見てけっこうな高低差に気が萎えてしまった。手すりにつかまりながら這うように登って行き、てっぺん付近に新しく出来た東屋で息を整える。ここまで登るとさすがに展望が良く、山頂にある久礼城跡や海までが望める。

新道の果てしない階段

ここからしばらく歩くと本来の遍路道になるが、道はどこまでもダラダラとした登りが続き、ガレ場というのもあってかなりしんどい。息があがり汗は流れただでさえしんどいのにやたらと蜘蛛の巣に引っかかる。

さすがにこの時期は誰もこんな道は通らないのだろう。倒木をくぐったり崩落の跡を恐る恐る越えたりと、焼坂峠並みのしんどさだが、距離がある分余計つらい。

荒れた添蚯蚓へんろ道

ようやく道が水平になり、程なくゆったりとした下りになる。この道はおよそ展望が利かないが、2~3箇所展望の良い場所があり、遠くに久礼湾や双名島などが見える。

12時を過ぎようやく添蚯蚓遍路道は終わり、七子峠に到着。道の終わりに「人生即遍路」と彫られた山頭火の碑が立っていて、なるほどと思った。遍路道は遍路ころがしのようなきつい道もあれば、日和佐や奈半利のようなすばらしい風景の道もあるが、道のほとんどはただの平凡なアスファルト道である。人生も楽しいことも厳しいこともあるが、ほとんどは平凡な毎日の生活だ。

人生即遍路

自分なりの勝手な解釈でそんなことを考えながら国道を越えると田舎道に入っていく。遠くに56号線の車を眺めながら穏やかな田んぼ道を歩く。この頃になるとさすがに雲が厚くなってきて、やがてぽつりぽつりと雨が落ちてきた。勢いはないので前回のように菅笠にビニールカバーをつけて様子を見る。

とある集落でおばあさんが声をかけてきて、家でコーヒーでも飲まないかと言ってくれたので、お言葉に甘えて見知らぬ人の家に上がらせてもらう。

コーヒーをいただきながら、今日越えてきた峠のことや、今まで出会った出来事などを話し、やがて雨も上がったので辞することにし、お札を書いてお渡しする。人にお札を渡したのは数回だけだったが、おばあさんはとてもありがたそうに「南無大師遍照金剛」と唱えながら受け取ってくれた。

外に出ると雨はすっかり上がっていて、気分よく田舎道を歩いていくとやがて56号線に合流。ここから窪川まではずっと国道沿いに歩くことになる。

途中にお雪椿という大きな椿の木がありその横に休憩所があったので一服。何かいわれがあるようだがこちらは休むほうが重要で、脚が休まった頃に出立。その先の道の駅などにも立ち寄るが、観光客でごったがえしていて落ち着かないのでこちらは早々に出発。雨もあがって暑くなってくるし車はうるさいし、次第に疲れてきた。

やがて窪川の町に入っていき、16時頃37番岩本寺に到着。本日は46,800歩、約30キロの歩行であった。

この札所はいろいろ歴史があり、本尊が5体もあるため「五社」と呼ばれている。普通、般若心経といっしょに唱える真言はひとつだが、ここは5つもある。ここの慣例通り一ノ宮の真言だけを唱えて終了。

岩本寺本堂内陣の天井画

1日だけの遍路なので今回はここで終了。もっと歩いてみたいが、次の金剛福寺は87キロも先だ。楽しみは次回にとっておくことにして、窪川駅に向かう。

高知までは特急で戻るが、振り子式の列車は立て続けに現れるカーブを素晴らしい速度で駆け抜けさすがに速い。この区間は難所なのでほとんどトンネルだが、地図で見ると今日の行程を巻き戻しで見ているようなものだ。

出発地である安和駅を通過したのは窪川からわずか20分後で、行きは8時間以上かかったのでかなりの差である。約1時間で高知に着きホテルへ戻る。食事をしに町に出たら祭りをやっていて、一人ながらにぎやかな雰囲気を楽しんだ。

翌日は遍路では行けなかった安芸の野良時計や手結港の跳ね上げ橋、和食海岸のお竜の像などを見学し、国分寺近くの店で遍路石まんじゅうを食し、土佐を満喫してから帰路に着く。そのまま帰る予定が、兵庫県宝塚市中国道が大渋滞。それを避けて舞鶴道経由で帰ることにしたため、太平洋から日本海まで、日本を横断する羽目になってしまった。