OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 3_2

5月2日

夕食がうまいところは当然ながら朝食も美味。朝から美味しいものをいただき、出立の準備をする。
7:30、I旅館出発。 

雨は降っていないが雲が低く垂れ込めていて、いつ降ってもおかしくない天気。今日は今回のメインとなる距離で、何もない道を延々と30キロ以上歩くことになる。脚は回復したものの、だるさが残っている。

海沿いの道を歩いていくが、まだ平日なので自転車で通学する学生と次々とすれ違い、3人に1人くらいが挨拶をしてくれる。四国では遍路というものが根付いていて、老若男女問わず挨拶をしてくれて気持ちが良い。

宍喰(ししくい)の道の駅に9:00に到着。このあたりはサーフィンのメッカのようで、駐車場に止まっている車はほとんどがサーファーのものだ。遠くに波の中、サーファーと思しきゴマ粒がぷかぷか浮いているのが見て取れる。

道の駅からは国道を外れて宍喰の町中を歩く。国道の喧騒から離れて静かな町中を歩くのはいいものだ。町外れの古目大師を拝んだあと国道に戻る。

程なく水床トンネルを抜けると「高知県」の標識があり、とうとう阿波を離れて土佐に入る。ここで「発心(ほっしん)の道場」から「修行の道場」に入ったわけだ。

土佐に入る

改めて心を引き締めて東洋町に入ると、再び国道から離れ甲浦(かんのうら)の町中を歩く。国道から離れると距離は遠回りになるが、静かな道を歩けるし地元の人とも顔をあわせるので、遠回りの方を選ぶことにする。 

再度国道に合流し、またまた海沿いに歩いた後、三たび国道を離れて「野根まんじゅう」で有名(かどうか知らないが)な野根の集落に入る。番外霊場東洋大師があるのでここで休憩。

東洋大師

今日のコースは昼食など望むべくもないので、大師を拝んだ後ベンチでおにぎりを食べる。東洋大師は境内に通夜堂と呼ばれる建物がある。通夜堂は遍路道のあちこちにあり、ことわれば自由に寝ることが出来るので野宿派の人にはありがたい施設だ。ここは親切にもトイレや洗濯機まで設置してある。最初は通夜堂に寝ることも考えたものだが・・・ 

野根の集落を外れると、いよいよ人家一つない海沿いの道を延々と歩くことになる。波は激しいし車の往来も激しい。おまけに雨が落ちてきたのでまたもや雨具を装着する羽目になり、ただでさえ辛い行程に拍車がかかる。

前方を見ると、これから越えていかなければならない岬が遥か彼方まで延々と続いていて気持ちが萎えるので、道の10mくらい前だけを見て黙々と歩く。 激しい波濤の音を聞きながらこんな風に歩いていると何も考えなくなる。些細な段差も億劫になり、わざわざスロープを探したりして、思考が原始的になるのがわかる。

延々と続く道

どれくらい歩いたか、ようやく室戸市の標識を確認。やがて休憩所の東屋が見えてきたので一休みすることにする。先に来ていた人と挨拶するが、お互いしんどいですねとしか言うことがない。道の傾きは違うが焼山寺と同じで、難所には違いない。

そこからしばらく歩くと久々に集落が現れる。入木の集落で、ここには佛海庵というお堂があるが、拝む元気もなく横目で目礼しながら通過。

またもや海沿いの道をしばらく歩いた後の15時頃、ようやく本日最後の集落である佐喜浜へと入っていく。久々に見るまともな町並みだが、この頃になると疲れがピークに達しており、休憩する場所を探すより先を急ごうという気持ちになる。 それでも途中にあった神社の石垣に腰をおろして一服するが、すぐに出立。

佐喜浜までくればもう少し、という心理が働くが、実はここから目的地までまだ5キロ程度の距離がある。もう少しという心理が働くと却ってしんどくなるのは山登りに似ている。目的地が見えると着いたような気分になるが、そこからなかなか近づかず、いらいらしてしまう。

町を出てから永遠に続くかのような感覚で道を歩くとようやく宿が見えてくるが、今回は2軒あるうちの遠い方を予約してあるので、1軒目を通過してからの約500メートルが一番辛かった。

16:30本日の宿である旅館Tに到着。本日の総歩行距離は34キロ、歩数は46,000歩に及んだ。 2日間歩いているが、まだ次の札所には到着しない。それもそのはず、24番までの札所間は、遍路中2番めに長い間隔で、80キロ以上あるのだ。

洗濯-風呂-夕食というゴールデンコースを味わい、部屋でゆっくりと身体のストレッチをする。さすがに膝にダメージがきている。明日は久々にアップダウンもあるので少々不安だが、食事をいただいた後、豪快な波の音を聞きながら眠りにつく。