OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

HSP

小さいときから、我ながら引っ込み思案な性格だと自覚していた。あまり自分から話し掛けたりする方ではなく、誰かと仲良くなっても、なんとなくいつも気を使ってしまう。

たまに誰かとケンカしても(といっても口喧嘩くらいだが)、その後のもやもやとした空気が嫌で、こちらは悪くないと思っても自分から謝ったりして、仲直りするとほっとしていた。

自分に関係なく、他人が争っているのを見るのも嫌だった。とにかく場の空気が険悪になることが我慢できず、なんでみんなもっと平和にできないのだろうと真剣に思ったりしていた。

それでも、大学生になって一人暮らしをするようになったくらいから、生活が変わったり忙しかったりで、生きて行くのに必死だったからか、そのような性格をあまり意識しなかったし、みんな同じようなものだろうと思ったりしていた。

特に30代になったあたりから、転職などもあって転居も多く、新しい環境では、じっくり心と向き合うようなことも少なかったし、多少の逆境は頑張って乗り越えていたと思う。特に転職で縁もゆかりもない街に引っ越した時は、環境の激変に弱音を吐いている暇もなかったし、新しいことに積極的にチャレンジしたりもできていた。

しかし歳とともに、なにかこう心の中でもやもやするものが増えてきたような気がしてきた。以前なら嫌々ながらもガムシャラに取り組んだようなことも、最初から諦めてしまったり、嫌すぎてやらない理由を探したり・・・

歳を取ってきてから、子供の頃の性格に戻ってきたような気がする。還暦とはよく言ったものだと思ったりする。

何かもやもやした気持ちをいつも持っていたが、とある本屋で手に取った本に釘付けになった。そこに書いてあったことが見事に自分に当てはまったからで、そこで初めて「HSP」という言葉を知ったのだった。

HSPとは、Highli sensitive Personの頭文字で、「感受性が強く敏感な気質を持った人」のことだそうだ。生れついての気質で、病気とかそんなもんではないらしい。

これを知った時はまだそんなにこの言葉は出回っていなくて、WEBでも本でもほとんど見かけなかったが、その後どんどん目にするようになり、一般的になってきた。「敏感な人」というフレーズで、今や5人に1人くらいが該当するらしい。

こういう気質があるということと、そんなに多くの人が同じ気質を持っているということに、結構救われた感じがしたが、それで人生が明るくなったというわけでもなく、生きづらいことには変わらない。

それでも自分の気質を客観的に見ることができたので、かなり参考になった。例えば身体の具合が悪くても、その原因や対処法が分かれば安心するのと同じで、自分の気質を客観的に見ることができたのは良かった。

自分の気質の特徴は、こんな感じ。
・物事を深く考えすぎる。一つのことからいろいろと深く掘り下げて、想像しすぎる。
・刺激を受けやすい。大きな音や眩しい光が苦手。子供のころは毛糸の服のチクチクした感じが大嫌いだった。
・他人の気持ちが気になって仕方がない。他人にどう思われているかとか、怒ってないだろうかとか。
・なんでも自分のせいにしてしまう。
・自分とは関係なくても、人が争っている場面を見たり、その場にいるのが嫌。

人にあまり怒ったりしないが、それは無駄に衝突したくないからだけ。人当たりはいいと思うが、嫌われたくないだけ。四六時中常になにか考えていて、頭が疲れてしまうことがある。人に「考え過ぎ」と言われることがある。
自分でもかなりめんどくさい気質だと思うが、どうしてもそういう風に考えてしまうから仕方がない。

HSPというものを知らず、自分の性格をずいぶん持て余していた。
なぜこんなに気を使うのか。
なぜ自分がいつも折れるのか。
なぜ小さなことにいつまでもくよくよしたり、不安になったりするのか。

HSPは生まれ持った気質なので、治療することはできない。だから自分の行動や環境を変えるしかない。それでも「何でこんな考え方するのだろう?」ということに答えができただけマシというものだ。
「知る」ことは不安になることもあるが、安心することもある。