OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

不安

極度の不安症だと自分で思っている。

もともと、何でもかんでも事前にしっかりと準備や計画し、そのとおりに進めないと気がすまない性格。
計画したとおりに物事が運べばいいが、予定外のことが起こるとパニックになったりする。要するに臨機応変の対応が苦手なわけだが、世の中計画どおりに進むわけがないので、たいがい慌てふためくことになる。

車で出かけるときには、ルートや行く先の情報を確認することはもちろん、行った先の駐車場の場所や混み具合まで調べずにはおられない、といった具合。
おかげで旅のスケジュールをたてるのは大得意。

何事においても失敗やトラブルを極度に恐れてしまう。
逆を返せば、トラブルになりたくないから、入念に準備するのかもしれない。

旅くらいなら多少の失敗は何とかなるが、人生においても同じように考えてしまうからたちが悪い。
人生こそ、思い通りにならないことの代名詞のようなものなのに、同じように考えてしまうから、ちょっとしたことで慌てふためいて落ち込んだりする。

人生において先々の準備など、健康かお金くらいしかできないが、これももちろん完全に安心できるような準備などできるわけがない。
お金を貯めるにしてもたかが知れているし、健康などいくら気をつけていても突然怪我したり病気になったり。

仕事にしてもお金にしても健康にしても、不安がっても仕方がないのはよく理解している。備えはあるに越したことはないが、それ以上に大事なのは、何かが起こったときの対処や、柔軟性だろう。

起こりもしないようなことを考えて、それに不安になっている。不安に考えていることなど95%は起こらないし、残りの5%が起こったとしても死ぬほどの目に遭うわけでもなく、それはそれで何とかなったりするものだ。

起こりもしない事象を考えて勝手に不安になって、結局何も起こらずホッとするという不毛なことを延々と繰り返している。

そもそも人生は失敗の繰り返しである。誰でも生きている間は大なり小なり失敗をするもので、どんな優秀な人でも失敗しない人などいない。逆に失敗を通して学ぶことが多いはずだ。失敗した記憶の方が鮮明に残っていたりする。

それにも関わらず、失敗を極端に恐れて不安になる。そして失敗を恐れるから前に進めない。それでいて諦めることもできず、迷いが心の中を堂々巡りする。失敗するかもしれないという不安が逆暗示に繋がり、さらに悪い結果を招き入れることになる。

実際のところ、普段の失敗くらいで、人生が終ってしまうようなことにはまずならない。そうなっても素直に反省して次に活かせばいいのだ。それを乗り越えた先に、「やってよかった」「自分にもやれた」という自信に繋がり、次へのバネになる。

否定的な思考は脳の萎縮を招く。逆に肯定的な思考は、脳のやる気の部分を駆動して、気分がおおらかになるものだ。人生がうまくいっている思考とはこういうことだろうと思う。

レジリエンスという言葉がある。弾力や回復の意味で、うまくかわす、適応するということに使われるようだが、このレジリエンス力を持って、トラブルをかわしたり跳ね返す力が一番必要だと思う。そして、それが最も自分に欠けていることもよく分かっている。

そもそも不安というのは、元々人間の脳に備わった機能だそうだ。狩りをしていた原始人は、楽観的にいるとすぐ死につながるので、不安を感じやすいようにできているらしい。

と、まあ、頭や理屈ではよく分かっているのだが、そうは言っても頭が勝手にいろいろ考えてしまい、自動的に不安が湧き出てくるのだから始末が悪い。