OSA日記

旅と食と健康とメンタルと

四国遍路 5_2

2日目、6:00起床。
窓から海を見ると昨日とはうって変わって穏やかになっている。程なく岬の向こうから太陽が昇ってきて、今日もいい天気だ。6:30朝食、準備して7:00出発というのはいつものパターン。

うってかわって穏やかな太平洋

海沿いに国道を歩いているとほどなく通夜堂があり、そこから大竹まこと似のおじさんに寄っていけと呼ばれる。休むには早いけど・・・と思いながら入っていくと囲炉裏と炭があり、いきなり「火を熾してくれ」と言われた。

お接待を受けるかと思っていたので面食らったが、火を熾すのは得意なのでそこら辺の道具を使って盛大に炭を熾すと、今度は「なかなかやるな」と感心されてしまった。

いろりと巨大なヤカン

落ち着いてよく見ると通夜堂には違いないが、隣の部屋には木魚や位牌などがあり、どうも大師堂らしく、大竹まこと似のおじさんは住職みたいだ(後で地図を見ると「土佐東寺大師堂」となっていた)。

この住職は盛大に炎をあげる炭の上に巨大なヤカンをおいて湯を沸かしだしたが、何せ巨大なのでいっかな沸く気配がない。その間にいろいろな話を聞いたが、なかなか興味深いものだった。

曰く、遍路というものは回った回数など自慢するものではない。死に装束(白衣)を着て自分の墓(金剛杖のことで、卒塔婆を型取ったものだとか)を持って歩くのは死出の旅なのだ。
曰く、4回目からは逆打ちをするが筋、そこまでいくと「死に損ない」・・・逆打ちの順路をたどると「し(死)」の文字となる。
曰く、何回も回る体力があるのなら、社会のために働くべき。
等々。

なかなか興味深いお話ではあったが、一向に湯が沸く気配がないので、そろそろ辞することにする。住職はせっかく火を熾してくれたのだからコーヒーを飲んで行けと言ってくれたが、待っていたらいつになったら出発できるか分からない。

国道をしばらく歩いていたら、次第にサーファーが増えてきて入野海岸に出る。道の駅もあり辺りはサーファーが多い。なぜか海岸に馬がいると思ったら競走馬の厩舎まである。砂浜はちょうどいい練習場なのだろう。

砂浜に馬

橋を渡って入野松原に入っていく。昔囚人が植えたという木々の間を歩いていくが、砂浜沿いに歩いていくのは気持ちがよい。松原を抜けると広々とした運動公園のようなところに出、川を渡るといきなりけっこうな上り道になる。

ここからまた延々とアスファルトになるが、国道を離れたので車の交通量はぐっと減ってありがたい。やがて道は整備された農免道路に入り相変わらずアップダウンが続き、車で走ると気持ち良さそうなまっすぐの道も、歩くとしんどいだけである。

特筆すべきことも休むこところもなく延々と歩き続け、11:30頃ようやく四万十川沿岸にたどり着く。四万十川は今や有名になってしまったが、久々に見る大河は相変わらず雄大である。

川の土手にある東屋に入り、飴などを舐めて一服する。四万十川下流の橋である長大な四万十大橋を通って対岸に渡ると、今度は土佐清水へ通じる国道321号線に入っていく。

休憩した東屋。なくしたバンダナが見える

しばらく川沿いに歩いていたがやがて川から離れ、地図によるとそのあたりに数件の食堂があるらしい。情報が古いのでどうかと思っていたが、最初のうどん屋は健在。ただ、やたら客が多かったので通過、次の食堂は店じまい。最後の喫茶店に望みをつなぐと営業中だったので、やや古びた感のある建物に入る。

メニューはありふれたものだったが、こういうときの常道でカツ丼を注文。どんな食堂でもカツ丼は大体外れがないものだが、ここのものはタマネギ丼かと思うくらいタマネギだらけで、最初はカツ丼に見えなかった。

再び国道に戻りしばらく行くと、右手の丘の中腹に「大文字」がある。京都にあるアレと同じだが、戦国時代に応仁の乱で京都から逃れてきた貴族の一条教房が、中村に京都を模した町を築いたときに京都をしのんで大文字も作ったのだそうだ。

中村の大文字

大文字を横目に見ながら進むと、国道は次第に山に入っていく。ここで何か足りないと思ったら、代えのバンダナにしていた手ぬぐいがない。どうも四万十川の東屋で乾かしていて忘れたらしい。2日続けての失くし物に我ながらゲンナリする。

道は上り一方となり、気分も足取りも重く歩いて行き、やがて1.6キロの長大な新伊豆田トンネルに入る。入ってすぐ彼方にトンネル出口が小さく見えるが意外と近く見え、あそこまで1.6キロもあるのかと思う。

排気ガスが充満する中タオルを口に当てながら歩いていくが、近くに見える出口が一向に近づかない。結局通過するのに20分かかったので時速は4.8キロか、などと頭で計算しながら道を下っていくと、ドライブインがあったので休憩。

実はこの先のコースによっては明後日ここまで打ち戻ってくることになる。というのは、38番札所は足摺半島の先端にあり、その次の39番へ最大の打戻しをすることになり、ここがその分岐点となるのだ。

その分岐点に四国遍路の中興の祖と呼ばれる真念が建てた真念庵がある。歩き遍路はぜひ立ち寄りたいと書いてあるので打戻りの時に寄ろうかと思っていたが、まだ時間に余裕があるし、明後日のコースに選択肢を設ける意味もあるので先に寄っていこうと考え直した。

分岐道を入り町中を少し歩いた後、山の中腹にある真念庵へ上って行く。庵の前には札所の本尊88対の石仏が並び、信仰の厚さを今に伝えている。

真念庵の石仏

国道に戻ると今日の目的地、下ノ加江までは5キロくらいだ。だが例によってこの5キロが実に長い。すっかり痛くなってきた脚を引きずりながら歩いていくが、道に沿って流れる下ノ加江川のきれいなこと。水が透明で大きな魚が泳いでいるのが見え、西日を反射する川面はとても美しい。

ようやく町への分岐をまがりしばらくして本日の宿Aに到着。ここは珍しくおじさんとその息子さんが切り盛りしている。洗濯機は懐かしい2槽式だったが、風呂も食事も申し分なかった。打戻りのため明後日もう一度この宿に泊まることになるのだが、良いところなので安心する。
21:00就寝。

本日の歩行は44,500歩、この日も30キロオーバーだった。